ひとすじの清流
−安倍安人作陶展に寄せて−
出川 直樹
 織部様式は美の革命であった。
 左右非対称、不定形の造形から放射する生気と緊張、動きの中に主張される確固たる存在感、常に中国大陸・朝鮮半島の影響を受け続けてきたわが国の陶芸史の中で、織部様式こそが真の独創によって、他国が二十世紀の前衛芸術まで待たなければならなかったオブジェの美を併せ持つ新次元を開拓したのである。
 今ひとつ日本陶芸の大きな特質は釉を施さず土のみを高温で焼締める石器に無限の「景色」と味わいを見出しこれに高い美的価値を認めたことで、これもやきものに対し日本人が独自に持ち得た高い美意識として誇り得よう。
 この織部様式と無釉石器の交差する地点に花開いたのが桃山時代の茶陶備前である。
 これが私達日本人の心に直接響く工芸品であるのは当然といえよう。
 ところが、かさついた肌、石炭カスがこびりついたような灰被り、厚化粧じみた無理やりな景色、また無心無作為を至高の美とする民芸思想の悪しき影響か、作家精神を放棄したかに見える土管のような花入、火消壺のような水指などなど、私たちの期待に反して現代備前の現況は必ずしも満足ものではない。
 しかしこんな作品の洪水の中に私達はひとすじの清流を見出すことができる。生き生きとしたたしかな造型と潤いのある肌を併せ持つ安倍安人の作品群がそれである。
 彼の作品の持つ桃山備前の風格に、あまりに伝統に忠実すぎるという声も出よう。逆説めくが、伝統の打破はたやすいことである。奇を衒って壺の胴に窓を開ければ、また備前の水指に色絵を焼付ければ即伝統打破である。要はその手法や表現がその場かぎりではなくそののち大きな展開の種となり得るかどうかであろう。
 創造性に満ちた画家・造形家としての彼は今までにもさまざまの新しい手法を試みてきた。なかには極めて独創性の高いものもあった。しかし同時に鋭敏な審美家としての彼はよくあるように思い付きのエスキースの段階で作品を世に出すことなく、そのほとんどを潔よく捨ててきた。彼にとって桃山備前の力の前にそれらは捨つべきものだったのである。
 その中で今回発表の「火襷文」の構想は十年も前から試みられ、彼自身の厳しいセレクトをくぐってついに独自の手法として定着したものである。この手法は備前焼の技法と表現の自然な無理のない前進であり、大きな可能性を秘めていることは見ての通りである。
 彼の作品の風格はどこから生まれるか。少し備前焼を見る人ならばその作品の中に一点たりと桃山備前直写のものはないことに気付くだろう。
 彼がわがものとしたのは桃山の形態ではなく桃山の心である。古備前の名品ありと聞けば彼は千里を遠しとせずに実見し、一点一点の造形、景色からヘラ目の一本一本の長短、深浅、角度まで彼は克明に記録している。しかしそれらの精緻な分析と止揚を通して彼が行き着いたのは結局、法則に従いながらしかも奔放自在な桃山の造型精神であったのではないか。作品の造形がきっぱりとして何のたゆたいもないのはそのためであろう。
 そして誰もが驚くのがそのみごとな焼成である。湿潤で渋さの中に底光りがするような肌合は桃山備前にはよく見られ、これこそ名陶備前の名を高めた第一の要素だが、不思議にも現代ではこの焼成ができるのは安倍安人以外には見ない。窯だけでも設計を変えて十数回つき替えたという研鑽の結果といえよう。
 古備前は数百年使いこんだからあの味わいが出ている、とよく言われる。たしかに表面には汚れも油も着くだろう。が、実際には極度に焼きの甘いものは別だが、しっかり焼けたものは少しも表面から浸みこまない。洗い落とせば元通りで瓦はいくら磨いても玉にならないのと同じである。桃山の備前は焼き上った時から既にあの肌合いを持っていたと思われる。玉は初めから玉であった。このことは現にその肌合を甦らせた彼の作品を見れば明らかである。
 団体に属すこともなく、単独で精進する彼は知る人ぞ知る作家であったが、その作品のレベルは既に現代備前の中での最高の位置に達している。
 ひとすじの清流はやがてその勢いを増すであろう。
(工芸研究家)
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