安倍備前の造形と焼成考
門脇 満    
 わが国の焼物は縄文時代に始まったことが知られている。
しかし、造形にルールがあったのかなかったのかわからない。古窯ごとの特徴や時代ごとの特徴はそれぞれにあるが、たぶん親から子に、師匠から弟子に伝えられたものと自ら工夫したものによって、進歩発展してきたものと思っている。

 喧嘩にはルールがなく、あるとすれば自己規制があるだけであるが、空手、柔道やそしてその外のスポーツ、伝統文化、伝統芸能などでは、すべてといってよいほどのものにルールがある。ルールがなくてもそれなりに楽しめるかもしれないが、ないよりもあるほうがより楽しめるというふうに考えてよいと思う。

喧嘩の観戦というのは聞いたこともないし、一部の喧嘩は犬も喰わないと言われている。闘犬、闘鶏は見方によっては喧嘩かもしれないが戦わせ方や勝ち負けについてのルールがあるはずだ。

観戦や鑑賞の対象になるものの多くにはルールがあり、それによって見る者をより大きく楽しませてくれる。

 古唐津にいう三日月高台、縮緬皺、尻まくりなど目利きのための約束事はさておき、陶芸とルールについては考えたこともなかったが、安倍安人は桃山茶陶にはルールがあると言うのである。

安倍備前との出会い
 およそ400年前、桃山・慶長期に突如として現れた「桃山茶陶」は、数十年間おおいにもてはやされた後、古田織部の死と軌を一にして忽然と表舞台から消えていった。

その後、数百年のあいだ忘れ去られたかにみられていたが、近世になって桃山茶陶が再評価され、多くの陶芸家によりその再現が試みられてきた。しかし桃山茶陶とくらべ、どうしても受け入れられない違和感を取り除くことが出来なかった。かくいうわたしもそんな違和感を感じ続けた一人である。

 そんなとき安倍の作品、安倍備前とでも言うべきものに出会った。そして、すごい、こんなものを焼く人がいるのかと思った。

その後、代表作とも言える作品の何点かについても手にとってみる機会を得た。初めての出会い以来一貫してすごいと思い続けてきたが、それは古備前と見紛うばかりの出来に魅せられ続けたからであった。

しかし安倍から直接安倍備前の造形と焼成についての話を聞く機会を得るようになって、これはけた外れにすごいのではないかと思うようになったのである。

焼成と焼きなり
 何故にすごいと思ったのか。

まず、最初に衝撃を受けたのはその「焼きなり」であった。ここでいう焼きなりとは、焼きあがったときに得られる焼き肌の風合いのことである。これは土を焼き切っていることはもちろん、焼き肌に変化があり深みがあり、濃く複雑な味わいが現れているかどうかということである。

土を焼き切ると述べたが、焼き切れていない物は言ってみれば生焼けであり、これは粘土状態を残しているとも言え、もろくて欠けやすい。普通によく見るものの多くはその生焼けで、概して魅力に乏しい。

また、焼き肌の変化、深みとは、肌に焼いた回数の変化が重なって現れることなどから深みを感じることを言い、濃く複雑な味わいと言い換えてもよい。

 安倍は、焼物を純度の低い鉄だと思えばよいと言う。なるほど安倍の作品を見ると湿潤で、たしかに鉄を感じさせる。桃山・慶長期につくられた備前茶陶の名品においてのみ見ることが出来る焼き肌である。焼きなりについて安倍は「一回で焼くと思うからわからなくなる」と言う。

桃山茶陶の名品と言われるものは、最初の設計図に描いた「焼きなり」に焼き上がるまで、繰り返し何度も窯に入れて焼いていると言う。それは、4回・5回にもおよび、なかには10回を超えると思われるものもあると言い、作品にあらわれる「火の当たり」を見ればすぐにわかることだと言う。もちろん安倍も、狙った焼きなりが得られるまで繰り返し焼いているということである。

話は少しそれるが、この繰り返し焼くためには、使用する陶土がその焼成方法に耐えられるものである必要がある。現在、備前焼で最も多く使用されている田土は耐火度が低く、繰り返し焼く焼成方法には向かない。そしてそのような焼成方法の違いによって、一方は深く、濃く、変化のある複雑な味わいが得られ、他方は浅く、薄く、変化に乏しい単調な味わいしか得られない。

 永い間、あの古備前が持つ古格のある肌合いは、400年の歳月が醸し出すものと思っていたが、安倍の作品は窯から出たその日から古格のある肌合いを備えている。これについて安倍は、時間がたてば味がよくなるということはありません。と、ごく当然のことと、こともなげに言う。これも大きな驚きであった。

造形
 ついで造形である。

安倍の作品を見ると、どっしりとした安定感を感じる。安定感のなかに動きを感じさせるものも多い。作品を初めて見たときから、安定感のある堂々とした造形だと感じていた。そしてそれは安倍のセンスのよさと技術の確かさによるものだと思っていた。

ところが、いろいろと話を聞いていくうちにそのような単純なものではないということがわかってきた。

 多くの人が茶陶の最高峰と憧れる桃山茶陶は、作者やその造形について今日にいたっても解明されておらず定説と言われるものもない。桃山茶陶風のものは桃山以降、現代までいろいろな人によって焼かれているが、押したり引いたりした「ゆがみ」とか「ひずみ」による左右非対称がその特徴のひとつと言われてきた。

アートとしての桃山茶陶
 これについて安倍は、桃山・慶長期に焼かれたもののうちの一群のものとそれ以外のものはまったく別のものだと言う。そして桃山茶陶の出現以来およそ400年を経て初めて、その一群のものを「アート」であると喝破し、その正しさを自身の作品によって示している。

そしてその理論は、安倍の作品にはどれひとつとして桃山備前を模倣したものはないにもかかわらず、桃山備前に間違えられ、あるいは「桃山の写し」などと言われることによっても証明されている。一部の作品は悪い業者の手によって、そのサインが消され古備前として流通させられるという被害にあうということもあったと言う。

 それでは、400年の間だれも解明しえなかった『まったく別ものでありアートである』とはどういうことであろうか。

力の波及
 安倍の話のなかに、わたしの理解では「力の波及」とでもいうべきものがあるが、これは1ヶ所に力を加えると、その力は次々と他へ及んでゆく。安倍は「風船の1ヶ所を指で押すと、その力は風船全体に及ぶことを思い浮かべればよい」と説明する。

ヨーロッパ彫刻、たとえばミケランジェロの筋肉の動きが忠実に彫りだされている作品を思いうかべていただきたい。体の姿勢を少しでも動かせばそのために全身の筋肉に影響を及ぼしてしまう。これに対して日本の仏像、たとえば弥勒菩薩の造形手法では、上げた手と下げた手を左右逆にしても、他の部位に影響を及ぼすことはない。

 この力の波及を図で説明すると、A図に⇒の力が加わるとB図のようにdはd´に移動し、それによってaはa´に移動する。そしてbはb´に、それによってcはc´に移動する。そして、ここでは図示していないがa´、c´に及んだ力をつぎつぎと波及させていくのである。


▽図
力の波及

このように、目であるいは感覚で理解できる力の波及をさせているのであって、思いつくまま、なんの脈絡もなく歪めたり窪めたりすることはない。そしてこのような造形手法は茶碗だけでなく水指や花入などについても用いられている。

力とその量のバランス
 ついで「力とその量のバランス」というふうに理解しているのであるが下の図を見ていただきたい。われわれは、これまでの経験から、@図をみても違和感を感じることなく受け入れることができるのに、A図をみると違和感(このような形で静止状態になるはずはないのにと思う)を感じてしまう。

▽図
バランス

 この違和感を感じるということは、たとえば自分の部屋に置いた家具、調度・装飾品のすべてについて、A図のようなアンバランスのものが据えられ、あるいは飾ってあった場合、不自然さから不安な心理となり、落ち着かない居心地の悪い心理状態となるだろう。これは、置かれた品物の力の量のアンバランスを無意識のうちにみて、その不自然さに無意識のうちに不安感やイラツキを感じるからである。

また歩き始めたばかりの幼児の歩く姿の危なっかしさ、あるいは体操競技を見ていて10点満点をとった選手の演技は美しく安心して見ていられるのに、下手な選手の演技はいつミスをするかとハラハラドキドキ、知らぬ間に力が入っていることがある。いずれもわれわれが微妙なバランスの狂いを感じ取る鋭い感覚を備えているからであろう。

 そこでB図、C図のようにアンバランスのものに○や◇、・を加えて左右のバランスをとることによって違和感を感じなくさせているのである。

▽図
安定感

 安定感だけでいえばビール壜のような同心円のものでもよいのかもしれないが、それでは表情が無く、自分の主張を表現しようにも十分に出来ない。

そこで、動きを与えながら、力(量)を加えることによってバランスをとり、表情や自らの主張を表現するのであろうと理解している。ここでいう力とは、点であり線(ここでの「点」や「線」は観念的な点や線でなく目に見える「・」や「―」をいう)であり長さ、太さ、広さ、深さなどであって、一方に「線」という力を一定量与えたとき、反対方にはそれに見合う量の例えば「広さ」を与えて、動きのある、あるいは変化のあるバランスをとるのである。

 安倍の作品は、よく見るとその作品の上半分と下半分、あるいは右と左、また上部から下部(底側)まで、一点の気を抜くところもなくバランスを取った造形がなされていることがわかる。その「力」が上・下、左・右どこから見てもバランスがとられていて、それによって見る者に安定感や安心感を与える造形に出来上がっている。

三点展開
 点と点を結ぶと線である。

轆轤びきの左右対称の茶碗は線の連続で造られていると言える。点と点を結ぶと線になり、点と点にもう一つ点を加えた3点を結ぶと三角形となり、これが面である。三角定規を思い浮かべてもらえばよい。

点と点を結んだ線には「量」というものがないが、面をつくることによって「(広さという)量」を表すことが出来る。このことから、立体(の外面)を三角面の連続で造りあげ、面のなかに「力」を量で表して変化のあるバランスを得ることが出来る。そして「力の波及」と「力と量のバランス」を「三角の面」の連続の中で表現していく「三点展開」の理論が安倍の理論であり造形であり、安倍が言うところの「織部様式」であると思われる。

といっても解りにくいかもしれないが、たとえば折り鶴は三角形の面の連続で出来上がっているのを思い浮かべていただきたい。平面や立体は三角形の連続によって表現することが出来ることが理解できるであろう。

 安倍は、利休と織部様式の造形についての説明で、轆轤は点と点を結ぶ線をつくるだけであって面をつくっているのではない。利休や織部は点と点にもう一つの点を加え面とした。

それは、エル・グレコが二次元の空間にもう一点を加えて三角形による表現法を発見し、それがセザンヌ、ピカソと発展していった、いわば「三点展開」の理論が大航海時代の東西文化交流によって日本にもたらされた大きな成果のひとつであつたのではないだろうか、と言う。そして、利休・長次郎による楽茶碗と、桃山・慶長期を中心とした織部茶碗、備前、信楽、伊賀、志野、唐津等のうちの一群の茶陶は同根のものであり、同じ造形理論によって造られていると言うのである。

 以上のような「三点展開」という造形法則によって一点のバランスの乱れもなく造りあげられたものを、焼成の設計図に従って焼き切ったものが、先に述べた「桃山・慶長期に焼かれたもののうちの一群のもの」であって、現代においてよくみられる感覚や情緒によって押したり、引いたり、削ったりしたものとは別世界のものだという所以である。

もちろんこれら後者の作品を否定するものではなく、言いたいのは、安倍が言うところのいわゆる利休・織部様式とこれらのものは、別次元、別世界のものだということである。そして、それらの代表格が本阿弥光悦であり、近代においては北大路魯山人であり、それらが今日まで引き継がれていると言うのである。

出来
 安倍の窯は完全地下式の穴窯で、いちど焚き始めるともうなんらの手も加えることは出来ない。火を止め窯から作品を取り出すまで、どのような作品が出てくるのかだれにもわからない。まさに火任せそのものである。

造形は百パーセント造り手の意思と技によると言える。最初に述べた焼きなりも相当な部分までコントロールが出来るものと思われる。

しかし、最後の「出来」の部分は、それこそ窯から出してみなければわからないのである。一度、歩留まりを尋ねたことがあるが、「とても数字と言える数ではない」との答えであった。

 結構最近までであるが、作品集に載っている代表作のようなものも、いちど焼けたのだからいつでも焼けるだろうと思っていた。しかし、これこそ最も大きな間違いだとわかった。

先に述べたように安倍の焼成には設計図があり、それにそって順を追って焼いていくという手法と思われる。しかし、作品に焼成の変化が現れる1300度を超えた窯のなかで、自然釉のかかりをコントロールすることは至難の技であり、不可能と言ってもよいであろう。いい焼き味が出てきても、まだ自然釉のかかりが足りないと思えば、さらに窯に入れてもう一度焼くことになる。そしてまだ足りないのであればもう一度続ければよいのであるが、実際には自然釉がかかり過ぎて作品にならないといったことがほとんどだと言う。

それでも失敗を恐れずに挑み続けることによってのみ、名品と言えるものが取れるのであろう。弓で六十メートル先の的に向けて射た矢の当ったところは一点であるが、その当った一点を狙って、これに命中させることは至難の業である。

 そのような人智を超えた部分で創り出されたことを思うとき、狙った一点に当てたともいえる作品に出会ったとき、「とてつもなくすごい」と思わずにいられないのである。

理(ことわり)
 これまで述べてきたように、安倍の造形や焼成には「理」がある。それは安倍の造形や焼成は説明出来るということでもある。

もっともそれは説明を求めたりまた必要としたりするということを言っているのではなく、説明が出来るということは他の人と共通の認識となりうるということである。なんとなく良いと言うことがあるが、なんとなくとはどういうことかと聞かれたときに、「なんとなくだ」としか言いようがないことがある。このように感覚や情緒によって造られたものは感動を説明しにくく、したがって共通の認識となりにくい。

それでは安倍の作品には情緒がないのか?そうではないと思う。わたしは、安倍の作品は理を情緒で包んでいるように感じている。

たとえば、安倍の造形に理があると言われてもその理は見えにくく、説明なしではなかなか理解できない。その見えにくくしているのが情緒ではないか。理の塊を情緒でやさしく包むことによって、見る人の心のなかに無意識のうちに受け入れられ易く、安らぎさえも与えているのではないかと思うのである。

 初めに述べたように、わたしが最初に安倍備前に惹かれたのは、古備前と見紛うばかりの出来に魅せられたからであった。しかし安倍の造形と焼成の理論をまがりなりにも理解したことにより、例えて言えば厚い雲の下の世界しか知らなかった者が初めてその厚い雲を通り抜け、真っ青な大空の世界を知ったような感激と感動を知ることが出来た。

そして、安倍の作品だからすごいのではなく、作品そのものがわたしにその作品をすごいと感じさせることに気付いたのである。安倍の手によらなければ、この世に出現しえなかったのは事実である。しかし世に出たあとは安倍の作品であることによってではなく、作品そのものがわたしを惹きつけ、そして離さないのである。




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