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No.1125 | さむしろ | 2006-08-04 13:02:58.877611+09 |
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わたしも集団をイメージしていますが、群雄割拠(ちょっとオーバーですが)というよりも一人の名手がいてその子や弟子が一団をなして制作した。 絵画の場合、狩野派のように頭領となる者がいて弟子や下職が一団となって、二条城(であったと思う)の襖絵を描きあげるといった大きな仕事をしたという話の記憶があります。ほかに土佐派とかいろいろな派がありますが、規模の大小は別にして各分野ごとにそのような集団化されたグループがあったであろうと想像します。 作られたのがおよそ30年間であろうと思われますが、極めて数が少なく、また一方で極めて高度な造形力です。専業ではなかった可能性も想像します。 |
No.1126 | したり尾 | 2006-08-04 19:05:22.307875+09 |
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かなり高度な技術を持った人々であるとは思います。専業であるのか、兼業であるのか想像の範囲外ですが。 私は集団が存在しても、絵画や仏像制作のような制作集団であるとは想像していません。それぞれの作品があまりに自由で個性的ですから。 しかし、すべて想像の世界ですから、どのように思い巡らしても自由です。 |
No.1127 | さむしろ | 2006-08-06 20:26:19.552896+09 |
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すべて想像の世界といえるかもしれません。ただ、少々極端かもしれませんが、作るところを見た人はだれもいないわけで、「これは間違いない」というものは一つもないことになってしまいます。 まず仮説をたてて、可能な限りその仮説がなりたついろいろな角度からの資料を集め、また矛盾をみつけ、みえなかったところが少しでもみえないかともがいているわけで・・・。 |
No.1128 | したり尾 | 2006-08-07 14:14:06.88164+09 |
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もちろん、そのとおりです。 仮説ついでに、大胆に発言しますと。 志野の「羽衣」「広沢」「かめのを」あたりは同じ作者でもおかしくない。 織部は「冬枯」と「菊文茶碗」は同じ作者かな。 あまり沢山見ていないし、忘れてしまったものも多いので、自信を持っていう事はできませんが・・・。 しかし信楽の「水の子」などを見ると他の作品とはあまりに違うので、どう考えればいいのか分からなくなってしまいます。 |
No.1129 | さむしろ | 2006-08-07 23:25:28.905938+09 |
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確かによく似た造形のものがたくさんありますね。今、目の前にある図録をみただけでも、志野「通天」「亀甲文茶碗」「山の端」は兄弟のようにみえます。 一ヶ所に集めてみれば多くのことがわかってくるでしょうが、出来ないことが残念です。 |
No.1130 | したり尾 | 2006-08-08 17:08:14.26027+09 |
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高台の写真があれば、高台だけを見比べてみると面白いですよ。また、別の分類ができます。高台も作者の癖が出ますからね。 |
No.1131 | さむしろ | 2006-08-09 10:08:39.273061+09 |
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確かにNO1129の茶碗の高台をみるとよく似ています。 |
No.1132 | したり尾 | 2006-08-09 16:03:51.826733+09 |
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そうでしょう。 このようにして、織部や瀬戸黒、志野などを高台を中心に調べてみると、大体、何人ぐらいの作家だか見当がついてきます。ついでに楽や唐津なども見てみると何か分かってくるかもしれません。 少し無理があるかもしれませんが、志野の「蓬莱山」と常慶の「香炉釉井戸形楽茶碗」も高台や釉薬のかけ方など似ていないこともありません。 この際、想像するだけ精一杯想像してみましょうか。 |
No.1133 | さむしろ | 2006-08-10 20:48:28.49177+09 |
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そうですね、それなら早速その想像(ちょっと論点がずれます)ですが、前々から織部様式の誕生についてひとつのシナリオを思い描いています。そのシナリオの元になりうる、というかまったくの絵空ごとではないのではと都合のよい解釈ができるものがありましたので紹介しましょう。 |
No.1134 | したり尾 | 2006-08-11 09:07:15.626633+09 |
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面白そうですね。どんなストーリーになるのか楽しみにしています。精一杯話を膨らませてください。ただし、無理があるなと思ったら、遠慮なく書かせていただきますよ。いいですか。 |
No.1135 | さむしろ | 2006-08-11 12:33:57.17737+09 |
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どうぞどうぞ。 それでは、06,7,23日経新聞「美の美、レオナルドの目」からの抜粋です。 レオナルドがこだわったのは、顔だけではない。人体研究にかけても、疲れを知らない男だった。冬の夜長は夏に描きためた裸体画から一番立派な肉体を選んで練習し、覚えこむことが大切だと手記に書く。裸体画の裏づけは、死体の解剖によってなされた。(つづく) |
No.1136 | さむしろ | 2006-08-11 16:03:19.281772+09 |
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「どうして画家は解剖学を知る必要があるのか一裸体の人々によってなされうる姿勢や身振りにおける肢体を上手に描くためには、腱や骨や筋や腕肉の解剖を知ることが画家には必要である」(『レオナルド・ダ・ビィンチの手記』) まったくもって、ルネサンスはすごい時代である。画家が絵を描くために死体を解剖することは珍しくなかった。レオナルドは -(略)- 約三十体もの解剖をおこなっている。 -(略) (つづく) |
No.1137 | したり尾 | 2006-08-12 10:02:51.943204+09 |
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思いもよらない入り口から入ってきましたね。びっくりしました。 さてこの話がどう展開されるのでしょう。 |
No.1138 | さむしろ | 2006-08-12 13:53:48.734455+09 |
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美術評論家の布施英利氏(美術解剖学)は、医学部の研究室でレオナルドの解剖を追体験したことがある。一(略)一 その布施氏に聞いてみた。一(略)一 「レオナルドは手首を回転させるとき、骨がX状に動くさままでデッサンしている。そこまで解剖図にした人は、当時いなかったんじゃないかなあ。内面から構造的に人体を把握している。美術館で見ても、他の画家の作品とはジャンルがちがう。他の画家の作品が絵だとすれば、彼のは設計図です。」(引用終わり) |
No.1139 | したり尾 | 2006-08-12 18:15:46.195054+09 |
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ここからが、さむしろさんのご意見の開陳となるわけですね。楽しみです。 |
No.1140 | さむしろ | 2006-08-12 19:45:31.676752+09 |
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引用は以上ですが、レオナルドが生きたのが1452〜1519のようです。画家が絵を描くために死体を解剖することは珍しくなかったようですから、当時のヨーロッパではこのように感覚だけでなく極めて正確に人体の動きを表現するという技法、あるいは意識が、画家などの芸術家の世界ではある程度一般的となっていたであろうと想像します。 そしてそのような知識をもった者が、16Cに日本にきたキリスト教伝教者あるいはその従者にいたのではないか、という想像です。 その伝教者らが茶の湯者と接点があったことは記録からも明らかですから、茶の湯の道具の話題やルネサンス芸術について語ることがあったとしても不思議ではないでしょう。 したり尾さんはお気づきでしょうが、ここで言いたい事は、ルネサンス芸術の知識(技能)と茶の湯者の出会いが「長次郎楽茶碗」や「織部様式茶陶」を誕生させることとなった、という想像です。 ただこの部分は、したり尾さんと見解を異にする部分でもあります。 |
No.1141 | したり尾 | 2006-08-12 20:51:47.66387+09 |
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もし、さむしろさんのお説のとおりだとして、レオナルドの人体解剖と織部様式とはどのような関係があるのでしょうか。 |
No.1142 | さむしろ | 2006-08-13 16:01:35.535542+09 |
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わたしは「長次郎楽茶碗」や「織部様式茶陶」にくわえられている造形は、他からの何らかのヒントそれにもとづくひらめきがあったればこその誕生であったと考えています。 そして、その何らかのヒント或いはひらめきの元は身体の動きを表現した彫刻であると考えていました。ところがレオナルドの人体解剖の記事をみて彫刻だけに限ることはないと思いました。 |
No.1143 | したり尾 | 2006-08-13 18:50:44.417152+09 |
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「彫刻だけに限らない」とすると、絵画にも幅を広げて考えてみたということでしょうか。あるいはもっと広げてお考えになったのでしょうか。 |
No.1144 | したり尾 | 2006-08-13 21:11:14.981671+09 |
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後から考えてみると、これは野暮な質問でした。 さむしろさんは彫刻であれ絵画であれ、人体と織部様式を結びつけてお考えなのですね。その根拠は何ですか。 |
No.1145 | さむしろ | 2006-08-14 20:12:15.89411+09 |
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レオナルドの描く人物にそう感じました。 根拠といえるかどうかわかりませんが、 織部様式を安倍理論の三点展開における「面」で理解しようとしても理解出来ないように思います。 例えば耳付水指の耳は、左右で位置が違います(一方が少し上で他方は少し下)。このことを面の理論では(私には)説明出来ません。 また、「力の波及」ということも理解しないと織部様式の理解が出来ないのではないかと、私は考えています。 |
No.1146 | したり尾 | 2006-08-15 18:40:56.881286+09 |
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さむしろさんのご意見は次のようなことと理解していいのでしょうか。 レオナルド・ダ・ヴィンチの人体の研究は、肉体における「力の波及」の研究である。 こうした考え方が何かの形で桃山期に日本に輸入され「織部様式」が誕生した。 こういうことでしょうか。 |
No.1147 | さむしろ | 2006-08-16 14:01:58.671034+09 |
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そこまで単純化するほど理解が深まっているわけではありません。 レオナルド・ダ・ビィンチが人体を研究した理由は、NO1136にあるように 「どうして画家は解剖学を知る必要があるのか−−裸体の人々によってなされうる姿勢や身振りにおける肢体を上手に描くためには、腱や骨や筋や腕肉の解剖を知ることが画家には必要である」(『レオナルド・ダ・ビィンチの手記』) をそのままに受け入れればいいだろうと思います。 このことは彫刻においてもそのままあてはまり、16Cのヨーロッパではそのような考えが芸術家の間では広く一般化されていたであろうという、ある意味想像です。 そのような考え方が利休の頃に日本に伝わり、その考え方と茶の湯茶碗の両方を理解した者の手によって、あるいは両方を理解した者の指導によって、その考えをとりいれた茶碗の造形がなされた。そして水指、花入においてもそうした造形がなされるようになった。 という想像です。 |
No.1148 | したり尾 | 2006-08-16 21:04:25.150178+09 |
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なかなか難しいところですが、ダ・ヴィンチはルネサンス時代でも特別な存在であったようです。 ルネサンスを代表する作家は、一般的にはミケランジェロ、ラファエロ、ダ・ヴィンチだと言われています。 3人とも、絵画や彫刻ばかりでなく、現在もイタリアに残る建造物も作っています。その意味では当時の作家は現在よりも幅広いジャンルで活躍をしていたようです。 その中でもダ・ヴィンチは抜きんでた存在で、土木、工学、音楽、数学、地理、機械、植物、そして解剖学と活躍の場は多岐に渡り、ルネサンスの理想像と言われています。 ですから、ダ・ヴィンチを基準に考えると無理が出てしまうように思います。 |
No.1149 | さむしろ | 2006-08-17 12:58:50.178885+09 |
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引用の新聞記事には「画家が絵を描くために死体を解剖することは珍しくなかった。」とも書いています。 したり尾さんは、16C前半のヨーロッパにおいて、肉体を出来るだけ忠実に描写しようという考え方が、ある程度の広がりをもって存在した、あるいはそうではなかったについて、肯定的でしょうか? それとも否定的でしょうか? わたしはそれを肯定的にとらえています。そしてそのような描写、造形の考え方が伝わった可能性は十分にあると思っています。 レオナルド・ダ・ビィンチその人の理論なり描写力なりが日本に届いた必要はありません。 |
No.1150 | したり尾 | 2006-08-17 17:29:58.396721+09 |
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ルネサンスという時代は、ヨーロッパがローマンカトリックから解き放たれ、この世の美を謳歌した時代でした。 ヨーロッパの人々は、この世の全てのものに強い関心を抱き、ある人は地の果てまで旅をし、ある人は科学や哲学に没頭していきました。 こうしたことは否定できるものではありません。 そしてその大きな波が日本にも押し寄せてきたことも、日本の文化に、日本の人々の生活に強い影響を与えたことは、歴史的事実であると思っています。 しかし、日本にも既に運慶、快慶らの作品など鎌倉期から、非常に優れたリアリズムの作品もあります。 ですから、肉体表現という角度だけからヨーロッパの影響を考えることは課題が残るのではないかと思っています。 |
No.1151 | さむしろ | 2006-08-18 12:45:36.571585+09 |
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わたしはこれまで述べたような仮説のもとに、肯定的材料や否定的材料を集め、少しでも真実に近づきたいと考えています。 今度は「長次郎楽茶碗、織部様式茶陶の誕生」についてのしたり尾さんのお考えをお聞きしたいですね。 |
No.1152 | したり尾 | 2006-08-19 08:39:53.840798+09 |
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今は、まだ「織部様式の誕生」について直接語れるほど材料も揃っていませんし、考えもまとまってもいません。 しかし、今「それまで全く存在していなかったものが、突然誕生する」他の例を、我々の時代の中で探し出し、その秘密を探ろうとしています。 はるか昔の出来事の真実をつかまえる事は難しいものですが、せめて現代のことであれば理解できるに違いない。それが分かれば、「織部様式誕生」の様子が少し見えるかもしれないと思うからです。 |
No.1153 | さむしろ | 2006-08-19 19:14:51.101234+09 |
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NO1151に書きもらした部分がありましたので書き加えます。 NO1145で書いたように「長次郎楽茶碗や織部様式茶陶」が肉体表現のみを参考に成り立っているとの考えではありません。いくつかの側面があると考えています。 たまたま目にとまって例にあげたレオナルドの死体解剖にその一つの側面を感じたということです。 |
No.1154 | したり尾 | 2006-08-19 20:33:28.233353+09 |
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それでは、私の話しの前に、さむしろさんから、その他に影響を受けたと考えられるものをお教え頂けますか。 |
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