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No.43 | マスター | 2005-03-09 15:57:30.741289+09 |
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長次郎の楽茶碗の造形や生い立ちについての話なんか、おもしろそうですね。 |
No.44 | さむしろ | 2005-03-09 16:09:20.116804+09 |
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長次郎の楽茶碗や織部様式の茶陶の議論はぜひやりたいテーマだけど、ただあまりに大きなテーマなのでもう少し先でやりたい気分ですね。 |
No.45 | したり尾 | 2005-03-09 21:44:29.979861+09 |
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面白そうな話ですね。 やがて私も参加させていただきたいですね。 少し、話を戻しましょう。 例の唐招提寺展の後、ふと気になって西洋美術館のロダンの作品を何点か観てきました。西洋美術と東洋美術の違いが気になったからです。 まず強く感じたのは「ロダンの作品は、なんと醜いものだろう」ということでした。猛烈なエネルギーは感じるのですが、決して美しいものではない。(私はロダンが大好きです) これはだいぶショックでした。70年代に小林秀雄と岡潔の有名な対談があったのですが、その中で岡潔が現代美術は、決して美しくないと語っていたことを思い出しました。ついでに、ギリシャ彫刻も観ましたが、やはり美しくない。 普段の生活の中では美しく感じるものが、この時は逆になってしまったのです。 もちろん、これは正しい評価とは言い切れないのでしょう。数時間、東洋の美の世界の中にいて、その基準で西洋美術を見てしまったから、強い拒否感が出てしまったに違いありません。 それにしても、美の基準というものは幾つもあるのだということを改めて確認しました。 さて、安倍安人の話です。彼は、絵画と焼き物、西洋美術と東洋美術の世界を行ったり来たりしている。ということは、二つの美の基準を同時に持っているということになる。(19世紀以降のアジア人は多かれ少なかれ、そのような二重の価値基準の中にいるのですが) 安倍安人の「理」は、絶えず別の世界から、見ざるを得ない二重の世界に生きている作家の宿命なのかもしれないと思いました。 イチローも、また、アメリカという異文化社会の中に飛び込んで、大きく花を咲かせました。彼はその社会で大きくなればなるほど、武蔵に例えられるような日本的「求道者」のイメージが強くなります。 複数の価値基準の中で生きることの面白さを、今、考えています。 |
No.46 | さむしろ | 2005-03-10 13:37:56.742261+09 |
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ロダンの作品が醜いというのは、近くから見ると醜く見えるということですか? また、武蔵の話がでましたが、古来達人を求道者といった言い方をするような気がしますね。これにはわたしも異議はありませが、本質の部分は理であり、それをささえる自信、信念、執念、精神的な強さの側面の姿をみて求道者というのかな?というとりあえずの感想です。 昨日今日と花粉症にまいっています。 |
No.47 | したり尾 | 2005-03-10 17:43:07.698443+09 |
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花粉症、たいへんですね。実は、私も同じです。部屋の中でもマスクです。 ロダンが醜いという意味は、彼が描く世界が醜いという意味です。 多分、あの時、西洋の絵画を観ても、醜いと感じたのだろうと思います。そのように感じたということです。 立場を変えれば、美しく感じていたものが醜くも見える。ヨーロッパとの比較はしばしばやりますが、アラブの基準から見れば、アジア的なものはどのように見えるのでしょうか。 いずれにしても、様々な価値基準からものを見てみるというのは面白いことです。そのほうが世界が広くなり、新しいものを生み出すことができると思えるのですが・・・。 |
No.48 | さむしろ | 2005-03-10 18:19:24.622069+09 |
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「ロダンが描く世界」ということは絵画上のことですか? |
No.49 | したり尾 | 2005-03-10 20:14:21.02335+09 |
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ロダンは彫刻家ですから、絵画上ではありませんが、表現上という意味だ理解とします。 その上で言いますと、ひとつは何を表現しようとしているかということです。 特に、19世紀以降の西洋美術の多くは、昔の地獄絵図にたいへんよく似ています。ロダンの彫刻が地獄絵図にあっても少しも不思議ではありません。あれは、美しいとは言えませんものね。 もうひとつは個性ということでしょうね。簡単に言えば、「俺が俺がで嫌になる」というところでしょうか。 無名の工人達が造った仏像を観た直後でしたから、余計にそう感じたのです。 お断りしておきますが、柳宗悦のように無名であるから美しいとは思いませんが。 |
No.50 | さむしろ | 2005-03-10 20:42:42.671632+09 |
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ロダンといえば考える人を思い浮かべますが、それと「彼が描く世界」とがつながりません。彫刻は通常個ですから顔が醜い、手、足が醜い、上半身が、下半身が醜いと考えてしまい理解不能です。いっ個の彫刻によって表現される世界、言い換えれば彫刻から受けるものが醜いということでしょうか? ある程度離れてみると造形、表現、醸し出す雰囲気が素晴らしいが、近くでみると醜いものだ、ということでしょうか?歌舞伎の女形は遠くからみるとなかなかいいが、楽屋で面と向かったら興ざめだ、ということだとわかりやすいですけどね。 |
No.51 | したり尾 | 2005-03-10 22:04:13.625539+09 |
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どうも私の表現が拙いようで、少々歯がゆい思いです。 私の申し上げたいことは、彼が表現しようとしているものは何かということ、つまりテーマです。 たとえば、情欲であったり、○○欲と呼ばれているものであったり、あるいは、そこから生まれてくる苦しみであったり。それこそ、地獄絵図ではないでしょうか。 現代美術のテーマには、そうしたものが実に多い。それを観て感動する自分がどこかおかしい気がしてきましたもので。 たまたま私の見たものがロダンでしたが、別にロダンでなくてもよかったのです、現代美術であるならば。 なお、「考える人」は「地獄の門」と題した大きな彫刻の一部です。それは象徴的なことでした。 |
No.52 | さむしろ | 2005-03-10 23:42:48.339612+09 |
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「表現しようとするテーマ」ということであればわかりました。家族の団欒はホームドラマにはなっても小説の題材にはならない。小説の題材としては事件、悲恋、汚職などきれいでないものを取り上げているように思いますが、このようなことと理解していいでしょうか? |
No.53 | したり尾 | 2005-03-11 09:15:35.030758+09 |
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最も近いものは、週刊誌や夕刊紙のタイトルです。あの世界では、醜いものをこれでもかこれでもかと、白日の下に晒している。それはとてつもないエネルギーのある世界でもあります。 極楽にはあまりエネルギーは感じませんが、地獄には異常なエネルギーを感じますものね。 しかし、私はロダンの描こうとしていたものを否定しているのではありません。西欧と東洋では、これほど美に対する価値観が違うというこを再確認したということです。 よく、日本では、侘び寂びといって、必ずしも美しいとは言い難いものを珍重するといわれます。 しかし、一見、美しくないものでもそうしたものから見えてくる世界、あるいは目指す世界は、なにより美しい世界であると思います。 それに比べると、西欧の美の目指すところは、表面は美しく見えて、実は醜悪なものである場合があります。 なかなか難しい問題ですが、要は何を目指すか、つまり何を志すかということだろうと思います。 今申し上げたことは、必ずしも私が結論づけたことではありません。書きながら、別の考え方も成り立つぞとも思っています。 |
No.54 | マスター | 2005-03-11 12:56:51.855046+09 |
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「芸術」は必ずしも「美を表現」するものではない。すなわち「芸術」=「美」ではない、という視点でみるのは違いますか? |
No.55 | したり尾 | 2005-03-11 13:30:57.943247+09 |
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やはり「美」なんです。 ロダンにしても、最終的には「美」の世界に辿り着こうとしているのです。そうでないと、週刊誌とロダンが同じものになってしまいますしね。 ただ、辿っていく道が違うのだと思う。 昔から、ヨーロッパでは、醜悪なものの果てに美や理想像を見出そうとする流れがありました。その辺が、仏教的な世界と、キリスト教的な世界の違いなのだとも言えるのです。 しかし、不思議なことにお茶の世界では、必ずしも美しくないものに「美」を見出そうとしています。その点では、お茶はヨーロッパ的と言えない事もありません。 |
No.56 | さむしろ | 2005-03-12 00:40:43.828314+09 |
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辿り着くところは「美」である、の部分がわかりません。怒りの発露あったり、恐れ、喜び、哀しみ、楽しみの表現であってもいいではないか、と。ただ、その喜怒哀楽の表現をとことん突き詰めていった先、研ぎ澄まされた究極には「美」となった喜怒哀楽がある、といったことなんでしょうか?喜び、怒り、哀しみ、楽しみを表現したものであれば、それはそのまま喜怒哀楽と受け止めたほうがわかりやすいのではないかとの感想です。「美」とすることに「無理やり」を感じます。 |
No.57 | したり尾 | 2005-03-12 08:44:07.520663+09 |
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ルネサンス以降、美しいものは、あの世ではなくこの世にあるというように目の向け方が変わりました。 ルネサンスは「人間復興」と翻訳されます。人間生活の中にこそ「美」があるというの西欧の芸術の根本思想です。 初めのうちはミケランジェロやダビンチに代表されるように人間の理想像を主に描いていました。しかし、現実には、人間の生活は美しいものばかりではない。絶えず苦しみが襲ってくる。そうしたもの全てを描くことこそ、芸術の役割である。近代の西欧の芸術の思想は、このように変わっていきました。 繰り返しになりますが、求める世界は「美」なのです。 さむしろさんに、なかなかご理解いただけないのは、もちろん私の表現の拙さにあります。しかし、こうした西欧の美術の思想の難しさにも、少しはあるのかなとも思います。 あまりややこしい話に、はまり過ぎてしまいましたね。もう少し、きちんと整理できてからお話すべきでした。申し訳ない。 |
No.58 | さむしろ | 2005-03-13 09:02:48.600547+09 |
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おはようございます。 きのうは本業のほうで総会があり、その後飲み会、午前0時ごろ帰宅したんですが、メンバーの一人が昇天のフォルム状態ということで呼び出され、乗って行った車をホテルがわりに介抱をしていました。先ほどやっと電車に乗せて帰らせました。疲れました。 |
No.59 | したり尾 | 2005-03-13 10:54:34.602163+09 |
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たいへんお疲れ様でした。 今日は、ゆっくり休んでください。 また、明日でも、時間があれば、このお店でお茶でも飲みましょう。 |
No.60 | さむしろ | 2005-03-14 14:03:55.293727+09 |
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古陶磁評論の出川さんが古陶磁関係の力作本を出されたようですね。 |
No.61 | マスター | 2005-03-14 15:38:30.26446+09 |
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出川直樹さんは、安倍さんの古くからのお友達でね。先月末に出版されました。 「古陶磁」〜真贋鑑定と鑑賞〜(講談社)です。なかなかの本ですよ。 |
No.62 | さむしろ | 2005-03-14 15:45:36.196455+09 |
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どのような内容ですか? |
No.63 | マスター | 2005-03-14 18:12:38.479298+09 |
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相当な大作ですから、まだ途中までしか読んでいませんが・・・。 古陶磁とは何か、いかに鑑定するか、どのように集めるか。どのように鑑賞するか。こうしたことが、一つ一つ写真入りで、非常に丁寧に解説してあります。 この本の考え方は、著作によればこうです。 「古陶磁は時の果実である。(略)生まれた「時」には当時の人々の暮らしぶりや美意識が籠められ、それからの永い「時」には地上や地中での過ごし方が含まれる。(略)本書はそれが生まれた「時」と同様に、今まで触れられなかったそれからの「時」を重視する。「時」が何をこわし何をつくったのか。(略) すべての古陶磁に共通する「古」の部分に焦点を当てたのである」。 出川さんの文章は、中学3年生の国語の教科書にも載せられているほどいい文章ですから、非常に論理的で読みやすいですよ。 |
No.64 | さむしろ | 2005-03-14 20:20:59.769401+09 |
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どの範囲のものでしょう? 日本、朝鮮、中国?日本でも6古窯、唐津、美濃物、京都などなど? |
No.65 | マスター | 2005-03-14 20:53:35.358984+09 |
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日本、朝鮮半島、中国、そして東南アジアです。 今気がつきましたが、茶道具として使われている範囲のすべてですね。 |
No.66 | さむしろ | 2005-03-14 22:57:30.915781+09 |
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古陶磁の目利き、鑑定にとどまらずそれを超えた、あえていえば古陶磁の生き様、といった理解でいいですか? |
No.67 | マスター | 2005-03-15 08:14:41.010846+09 |
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そのとおりです。 そして出川さんはこの本では、長年古陶磁と接してこられた経験から、現代の焼き物の課題にまで触れられています。 ですから、読者としては辞書のように好きな項目を選んで読むこともできますし、腰を据えて、じっくり読み込むこともできるというわけます。 難点は、かなりの分量ですから電車の中で少しずつ読んでいくことは難しいということです。 深い知識のある方にも初心者だと思っている方にも、焼き物に少しでも興味のある方でしたら、いろいろ刺激を受ける作品であることは保証します。 まあ、じっくり読んでみてください。コーヒーのお替りはいかがですか。 |
No.68 | さむしろ | 2005-03-15 09:44:19.978871+09 |
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朝のコーヒーはうまい。 現代の焼き物の課題って興味ありますね。さわりだけでも紹介してほしいですね。 |
No.69 | マスター | 2005-03-15 10:25:38.57515+09 |
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あまり書くと出川さんに申し訳ないですから、ほんの触りですよ。 たとえば、 「総じてよく焼けているものは、堅牢でヨゴレがつきにくく、よく焼けていないもの、甘い焼きのものは汚れやすく壊れやすい。やきものはしっかり焼けたものを本来とするので、現代の伝統的な窯場のものは、その意味からも古作に及ばないものが多い」。 いかがですか。かなり手厳しいでしょう。しかし、当たっているんですよ。具体的に、どこがどうだとか、いろいろありますが、このあたりまでにしておきます。 |
No.70 | さむしろ | 2005-03-15 18:37:20.051871+09 |
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やっぱり焼きものですから焼き切っていないと魅力がないですよね。 写真もそこそこ使っていますか? |
No.71 | マスター | 2005-03-15 19:28:46.152154+09 |
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焼きに違いの写真は今のところ見つかりませんが、全体に写真は多いですよ。そういう意味では図鑑のようです。 |
No.72 | さむしろ | 2005-03-15 19:55:51.393597+09 |
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なるほど。そういえばいつ頃だったか、安倍さんの個展図録に出川さんがいい文章を書かれてましたね。 |
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