茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ごゆっくり閲覧ください。
No.915さむしろ2006-04-22 17:58:26.382965+09
Fさんは安人コレクションを随分増やしておられるようですが、今度は「安人」の名前までコレクションにされたということになります。
No.916マスター2006-04-22 20:08:04.803078+09
Fさんは、安倍さんの「奥出雲のスタジオ」がある島根県奥出雲町(旧横田町)の方です。
Fさんの師匠(?)で古美術の目利きである古老が、安倍さんが横田町に窯を築いたことをつかまえて「ヤマタノオロチ以来(の大事件)」だといわれたとの話があります。
No.917さむしろ2006-04-23 12:23:55.096393+09
ということは、安倍さんに焼酎を飲ませて名品を独り占めしようという魂胆でもあるんですかね?
No.918したり尾2006-04-23 13:27:16.374582+09
なるほど焼酎が出るについても、いろいろ話があるものなのですね。
何はともあれ、うまい焼酎であれば結構です。

ところで今日から始まった「21世紀展」を覗いてきました。
今回は安倍さんは伊部茶碗を出品していられました。
いかにも最近の安倍さんらしい大変華やかな作品でした。
No.919さむしろ2006-04-23 18:01:11.067076+09
ほう、21世紀展に行かれましたか。どのような茶碗か見てみたいですね。
No.920したり尾2006-04-24 13:19:57.27873+09
形はなかなか詫びているのですが、さまざまな色がある。だから全体としては華やかな印象を受けます。
最近の伊部の作品にはそのような焼けのものが多いでしょう。目立つ茶碗です。
No.921さむしろ2006-04-24 20:40:33.699369+09
なるほど。なんとなくイメージが湧いてきました。

茶碗だけでなく、年々、形とか表情が変ってきていますね。
No.922したり尾2006-04-25 15:55:07.728555+09
形の変化は当然のことですが、私は特に「焼け」の変化が印象的です、とくに伊部が。
No.923さむしろ2006-04-25 19:48:54.384327+09
伊部はそうですね。「アトリエ訪問」でもそのことに触れてあったように思います。
No.924したり尾2006-04-26 17:39:01.646185+09
そうでしたね。
次第にいわゆる備前から、一見何焼きだか分からない不思議な輝きのある焼き物へと変化していきました。
No.925マスター2006-04-26 19:00:33.214314+09
したり尾さん、安倍備前の「土」はどうですか?
山土ということはわかっていますが、山土ならいいというもんでもないでしょうから。
No.926したり尾2006-04-27 15:27:45.542987+09
「アトリエ訪問」で安倍さんご自身が随分詳しく話しておられますから、私がここで触れる余地はあまりありません。
備前の山土といっても、耐火煉瓦ができるようなえらく丈夫なものから、割合色の出やすいものまで様々です。実際にどのぐらいの種類があるのか分かりません。そのブレンドの仕方は作家の企業秘密です。「アトリエ訪問」を拝見すると公表できるギリギリのところまで話しているなと思います。
いずれにせよ、いい作品を作るには、まずは土選びからであることは確かです。
No.927マスター2006-04-28 19:39:41.269981+09
土にもいろいろとくせがあって、土を替えるとそのくせをつかまえるのに長時間を要するので大変なんだ、との話もありました。

田土が少なくなって貴重品となったとの話を聞いた事がありますが、安倍さんにはまったく関係ない話ですね。
安倍さんの窯で田土を高温で数度焼きすれば、完全にへたってしまって作品にならない。耐火度が低いから。
No.928したり尾2006-04-29 19:11:39.695053+09
そうですね。おそらく安倍さんの焼きの変化は土の変化という要素もあるのだろうと、想像しています。

田土も高くなったという話ですが、昔、山陽新幹線が開通したとき大量の田土が出て、今後数十年は大丈夫だと聞いた事があります。だから、埋蔵量が減って値が上がるとは考えにくいことです。
むしろ、山土が、徐々に認められるに従い値が上がっていっているとは聞いています。山土の埋蔵量はまだまだ大丈夫だとは思いますが、いい土はどうですかね。

田土の使い方も江戸期のような細工物を作るのなら納得できるのに、もったいないことだと思っています。
No.929マスター2006-04-30 18:32:40.198995+09
それでは山土を使う人が増えているんですね。安倍備前を認めざるを得ない、ということでもあるかもしれませんね。

土についてはこの辺にして「つくる」についてふれてみます。

安倍さんは、双葉社発行『つくる陶磁郎』で備前徳利のつくり方を公開しています。(酒器をつくる。2004年2月25日発行)記事にそって話を聞いたので、どの程度伝わるか疑問ですがしばらく連載します。想像しながら読んで下さい。

つくるのは備前預徳利で、完成品寸法は高15.9p、胴径9.8pです。

約500gの土をロクロに動かぬよう据えます。中心に穴を開けるようにして広げていきます。浅い湯のみ程になると、内側はコテ外側は手をつかって垂直に挽き上げます。
No.930したり尾2006-05-01 13:08:51.319182+09
土について、もう一言言わせてください。備前の作家が山土を使うようになったのは、安倍さんの影響であろうと確信しています。最近、このHPを初め、いろいろ技術面で発言しておられますから、影響はかなり大きいと思います。

さて徳利の作り方です。大体記事のとおりでしょう。ここまでは、どの作家も職人の同じではないですか。轆轤挽きの段階では、そうそう違いはないでしょう。速度の違いはあるでしょうが。
No.931マスター2006-05-01 17:52:48.077563+09
山土が広く使われだした理由が安倍さんにあるとの意見はまったく同感です。

その2
ついで内側からコテの先の丸いところを当てて胴に膨らみをつけるように挽きあげます。肩の部分を少ししぼるようにして肩をつくります。この作業で肩衝徳利の胴体部分の形がほぼ決まります。ロクロ目は残ったままです。
底は切り離さず、板と徳利の間にナイフなどで切りを入れて離れよくしておき、いったん乾かします。
No.932したり尾2006-05-01 20:10:03.497447+09
ここまでが轆轤挽きですね。多分、他の作家の方々も同様の作り方だと思います。
No.933マスター2006-05-02 19:03:48.474663+09
そうですね。ただ、ほかの方でひも造りというのがありました。

その3
程よく乾いたら、径の細い土の紐をつくり縁に一周させ、胴体になじませてつなぎとします。つなぎとするためのものであるので、必要なわずかを残して大部分を切り取ります。
縁を筆でぬらし継ぎやすくし、口部分を作るのに必要な土をドーナツ状にして乗せ、胴体になじませながらつなぎ合せる。
継ぎ目から上をいったん垂直に挽き上げ、口を絞ります。
口を広げ、なめし皮を当て、縁を整えます。
No.934したり尾2006-05-02 20:17:23.360539+09
何回か作陶の場で拝見して事がありましたが、ここまで細かいところまでは覚えていません。
ただ、この先が安倍さんらしいところでしょう。次をどうぞ。
No.935マスター2006-05-03 15:34:37.419217+09
はい。

その4
コテを肩部分(肩と口の立ち上がり部分の間)にあてるようにしてゆっくり押さえてゆがみをあたえる。乾燥すると膨らんでくるので、土を締めておくためでもある。
板と徳利の間にパレットナイフを差し込んで外します。
No.936したり尾2006-05-03 16:03:50.696249+09
「乾燥すると膨らむ」ということは、どうも理解できません。普通は乾燥すると縮まるものです。あるいは、一様に乾燥しない場合、ひびが入るということはあり得ます。また、歪ませたつもりが、乾燥の過程で元に戻ってしまうということも起こり得ます。
多分、説明が足りないのでしょう。
パレットナイフを使うのはいかにも安倍さんらしい。安倍さんにとっては、道具は使いやすければ何でもいいのです。この辺りは実に合理的です。
No.937マスター2006-05-04 16:02:58.497994+09
膨らむについては、乾燥の過程で元に戻る、と理解しました。

その5
両手で丹念に三角に押さえながら、手持ちのよい形にしていきます。三角のうち一方は押さえずにおいて、膨らみを残した部分の上部を注ぎ口にします。指で注ぎ口を軽くおさえながら口の形を整えます。
上から見ると三角形をしていますが側面から回しながら見ると、たくさんの三角の稜線が見られます。これは成型の途中で幾度も押さえ、また丹念に削りを加えるためです。
No.938したり尾2006-05-05 11:27:02.762292+09
ここが、安倍さんの面目躍如というところですね。
安倍さんの徳利をお持ちの方は、この文章を読みながらじっくりその造形を観察なさることを勧めます。姿の美しさの理由がお分かりになるはずです。
と言っても、その時その時によって姿は変わります。
勿論、造形の原理は同じなのですが。
制作年代によっても、姿は変化しています。もっとも大きく変化したのが、首だろうと思います。昔のものと比較すると、この10年ぐらいの作品は徐々に首が伸びてきています。
現在の安倍さんの徳利は、姿のいい美人を見ているようですね。初期の作品は野武士のような姿でした。
No.939マスター2006-05-05 14:13:24.421344+09
その6

程よく乾いたところで、刃がたなを使って底部分から胴体全体を丹念に削ります。このときロクロ目はすべて落とします。全体の形を見ながら、じっくり時間をかけて行います。
筆を使って、どべを全体に塗り仕上げます。これは表面を滑らかに仕上げるためで、古備前でもよく行われている手法です。
よく乾燥させて、本焼きとなります。

備前預徳利 終り。

No.940したり尾2006-05-05 18:04:48.061633+09
轆轤目をすべて落とすとありますが、たまたまその徳利の轆轤目はすべて落とされたのであって、安倍さんの徳利すべてに当てはまる話ではありません。むしろ轆轤目を強調した作品もあります。このHPの伊部お預徳利がいい例です。
また、仕上げは時間をかけてゆっくりということですが、他の作業に比べて時間をかけるということでしょう。
こうと決まったときの安倍さんの仕事ぶりは、とてもすばやいものです。
ですから、この記述が安倍さんの仕事ぶりの平均的なあり方だとは言い切れません、念のため。
No.941マスター2006-05-06 19:22:41.092656+09
わかりにくい説明が、したり尾さんの解説でだいぶ理解しやすくなりました。

第2話
茶入  『つくる陶磁郎 4』(1998年9月26日発行)に写真付解説があります。

ロクロに固定したカメ板のに土を動かぬよう据えます。ロクロを回転させながら中心に穴を開けるようにして広げていきます。内側はコテ、外側は手をつかって肩まで垂直に挽き上げます。余分な土を残さぬよう均一に挽きあげます。
No.942したり尾2006-05-07 15:17:52.459728+09
残念ながら「茶入」については分かりません。茶入そのものに、それほど強い興味を持っておりませんので。
ただ、この文章を読む限り、ここまでの制作過程は徳利と大きな違いはないようですね。

焼き物に限って言えば、安倍安人という作家には水指のような恐ろしくダイナミックな世界と、茶入や香炉のような非常に繊細な世界と二面あるようです。
その接点に茶碗があると思っています。
安倍の二面性は、焼き物以外の作品にも見受けられますが、その話は、また別の機会に譲ります。
No.943さむしろ2006-05-07 16:21:33.50102+09
わたしも永い間茶入に魅力を感じることができなかった一人です。もともと骨董好きから入っていますので、古い茶入を見たり手に取ったりする機会は多かったのですが、やはりそうでした。

ところが安倍さんの茶入を手に入れたとき、半年くらいの間、しまわずに目の届くところに置いておき、毎日眺めていました。同じ棚に常滑の鎌倉初期の壺(高26p位)も置いていましたが、その迫力に負けることなく、また飽きがきません。そのとき初めて茶入にも魅力があるんだと知りました。
No.944マスター2006-05-07 19:17:29.662731+09
茶入 その2
肩先で余分な土を切り落としたあと、内側をきれいに整えます。
茶入は特に内側をきれいに仕上げておかなければいけません。濡らした刷毛などを使って丁寧に仕上げます。
そして、上端を人差し指で内側に曲げるように丸みをつけて置く。ここでカメ板ごとはずし、いったん乾かします。
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