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No.795 | したり尾 | 2006-01-19 08:56:21.244991+09 |
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うらやましいことです。それでスタジオそのものの写真はないのですか。むしろ、それを見たいな。 |
No.796 | さむしろ | 2006-01-19 11:08:37.884721+09 |
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したり尾さん、それより山のスタジオで一杯やることのほうをお願いしたいですね。 |
No.797 | マスター | 2006-01-19 19:13:13.592725+09 |
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山のスタジオは改修中でした。そのために写真は遠慮しました。 作業的にはもう少しのようでしたが、時間的にはもう暫くかかりそうだとのことでした。 |
No.798 | したり尾 | 2006-01-20 18:02:47.531357+09 |
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さむしろさん、勿論あそこで一杯なんて贅沢ですね、いつかやってみたいものです。 建物の全貌は、ゆっくり待ちましょうか。 |
No.799 | さむしろ | 2006-01-21 23:42:53.974331+09 |
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あの山の中では、タクシーは拾えないし呼べないでしょうから泊りがけがいいですね。 気候がよくなってということで四月五月というところでしょうか。 |
No.800 | したり尾 | 2006-01-22 16:43:56.981595+09 |
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そうですね。いつ建物が完成するのか分かりませんが、その頃には完成していることでしょう。 ところで、少々時間があってもので、矢部良明氏の「水指」についての文章を読んでいました。 その中で、寛永3年に出版された「草人木」でランキングされている茶道具の表がありました。 昔 1茶壷 2釜 3茶入 4文字 中興 1茶入 2掛物 3釜 4茶壷 当世 1茶入 2掛物 3花生 4釜 とあるそうです。中興とは利休時代、当世とは織部時代で、いずれにせよ、水指はランク外のものであったとあります。しかし、現実には慶長年間に花入とともに、水指は大いに珍重され飛躍的に発展したとありました。 ことに矢筈口の登場によって工芸美を脱し、その芸術性が高められたが、矢筈口がどのような経過で登場したのか分からないということでした。 茶の湯の中で焼き物の占める割合が非常に高くなるのは織部の時代に入ってからですから、今の段階では矢部さんの言われている慶長年間というのが妥当な線かなと思いました。あくまで今の段階ですが。 |
No.801 | さむしろ | 2006-01-22 23:39:56.18387+09 |
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主道具の序列が変化していったとの記述はわたしも読んだ記憶があります。水指は脇道具だったのですね。 したり尾さんの書き込みについて全体的に同感です。 |
No.802 | したり尾 | 2006-01-23 09:15:19.312646+09 |
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門外漢としてお尋ねしますが、今でも茶の湯の世界の中では水指の位置はそんなに低いのですか。それから、もうひとつ。織部の業績も茶の湯の関係者の中では、どう評価されているのでしょうか。 |
No.803 | さむしろ | 2006-01-23 12:22:49.115467+09 |
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好みもあるでしょうが、水指は茶入や花入よりも注目度は高いと思います。 わたしの好みでは@茶碗A水指B釜C掛物D花入といったところです。 織部の評価ですが、織部様式物(用語は別として)は別格としても織部の書状、織部作茶杓、織部作竹花入は一級の評価になると思います。 |
No.804 | したり尾 | 2006-01-23 21:01:51.101947+09 |
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ありがとうございました。 常々、水指がもっともよく安倍安人さんの個性をもっともよく現していると思っていました。 おそらく安倍さんに限らず、水指こそ、作家の実力をもっとも発揮するものだろうと思います。 その割りに、茶の湯では、水指のランキングが低いのが不思議でなりませんでした。 しかし、現代ではそうではないというお話でしたので納得できました。 勿論、茶碗も作家の個性を現しているのですが、水指はたとえ茶の湯の知識が全くなくとも美術の興味がありさえすれば分かりますから。 |
No.805 | したり尾 | 2006-01-24 11:40:00.31921+09 |
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もうひとつ大切なことを書き忘れていました。 茶碗は、いろいろ作る方法もあって、素人でもいい作品を作ることは可能です、光悦がいい例です。 しかし、水指は素人では不可能です。芸術家が満身の力をこめて作るに足る対象であると認識しています。 勿論、茶碗の価値が低いなどというつもりはありません。奥が深いのです。しかし、素人でも頂点近くまで辿ることはできる面白い世界です。 |
No.806 | さむしろ | 2006-01-24 17:54:04.861251+09 |
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ただお茶方(道具好きに対する意)のほうから言えば、第一が茶を入れる「茶入」、第二が床の「掛物」、第三が席中に最初から最後まで在る「釜」ということになるのかもしれません。(第一、第二は入れ替るかも) NO803は道具好きの意見と考えて下さい。 水指は鬼桶、種壺類の外は取り上げものが少ないような気がしますね。 正月のNHKTVで「白洲正子」をやっていましたがご覧になりましたか? |
No.807 | したり尾 | 2006-01-25 07:55:25.573209+09 |
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すると「草人木」の時代からほとんど変化なしということですね、大方は。 また、水指は「鬼桶」「種壷」が多いということは、他の道具類との関係であまり個性を主張してほしくないということですか。それとも、単に流行ですか。 「白州正子」は見ていません。なにか面白いものがありましたか。 |
No.808 | さむしろ | 2006-01-25 19:39:28.007849+09 |
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そうですね。あまり変化はないということですね。 水指ですが、現代において評価の高い水指としては桃山織部様式物、祥瑞、古染付、鬼桶、南蛮などがあげられますが利休時代に間違いなくあったのは鬼桶(南蛮もか)で、織部様式物は重なっている可能性がありますが重なっていない可能性もあります。 祥瑞、古染付は少し時代が下るのではないでしょうか? 水指は利休時代まではまったくの脇役であったのかもしれません。 白洲正子ですが、広瀬久美子(?)さんの司会でゲストの3人(女1男2、いずれも知らない人)で白洲の人となりを話しながら、白洲がよく訪ねた琵琶湖畔の寒村、火祭りなどをカメラで紹介するものでした。白洲愛蔵の陶磁器類をもう少しは見せてくれるのではと期待したのですが期待はずれでした。そこで手元にある白洲の著書をめくってみました。そこに「信楽は好きだけど伊賀はきらいだ。こねくり回したいやらしさは鼻持ちならない。」と書いていました。ほかにも「不完全の美」という項もありましたし柳宗悦と近い考え方なのかなと思いました。いち文を読んだだけで決め付けはできませんが、白洲正子はここ「ものはら」で語り合っているような桃山造形の奥の深さ、味わいという世界を知らぬまま古美術人生を終えたんだなとの勝手な同情をしました。 |
No.809 | したり尾 | 2006-01-25 20:18:29.206791+09 |
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白州正子のお師匠さんの青山二郎は、ある意味では大変興味深い人物なのですが、彼女は結局、古美術好きの趣味人です。 柳宋悦は、さまざま問題はあるにせよ、日本の陶芸界のリーダーであったことには違いないのですから、ふたりの距離は大きいと思います。思想家と鑑賞家の違いでしょうか。 水指については、大体分かりました。小堀遠州の価値観が今も生きていると考えていいのでしょうか。 |
No.810 | さむしろ | 2006-01-26 21:27:44.474053+09 |
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なるほどそういうことですか。そんな気もしますね。 こんなことも書いていました。「理想をいえば、長次郎の無一物に、志野の卯花墻、高麗の井戸茶碗でお茶を飲むことだが、(略)」と。 同じ手法の伊賀は「こねくり回した」といいながら、長次郎の無一物や志野の卯花墻には惹かれていたのですね。 遠州のというより利休以来あるいはその前からというべきかもしれません。 本来、特に利休以後、茶の湯において鑑賞は主ではありませんから、道具の格式という意味での序列は茶の湯の本質が変わらないかぎり大きくは動きようがないと思います。 |
No.811 | したり尾 | 2006-01-26 22:36:39.980132+09 |
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「茶の湯においては、鑑賞は主ではない」というお話は、なるほどなと思いました。そうなのでしょうね。 白州正子は、あまり深追いしても無駄だと思いますよ。彼女のお師匠さんの青山二郎なら、趣味人の王様のような人ですから、なかなか面白いのですがね。 |
No.812 | さむしろ | 2006-01-27 20:15:04.142047+09 |
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「鑑賞が主ではない」というのは私もそう思っていますが、ただそれはとことん突き詰めていったところの本質のことであって、道具のわかる人たちにとっては(とりあえずの茶会において)道具が一番であって、それを否定するものではありません。 白洲正子の件は、白洲は大いに楽しんだと思うが、結局深いところの悦びは知らぬままであったであろうと言いたい訳で・・・。 ということでこれは終わりにしましょう。 |
No.813 | したり尾 | 2006-01-28 16:34:05.347455+09 |
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さむしろさんの「茶の湯」のお話はそれなりに理解しているつもりです。ご安心ください。 |
No.814 | さむしろ | 2006-01-28 19:21:04.98844+09 |
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大変失礼しました。 今モーツァルトが静かなブームだそうで、そのモーツァルトの誕生日が昨日だったそうですね。 先日、モーツァルトの曲が単に有名なだけであるということでなく、確かに人に安らぎを与えているということを脳波を調べることによって実証していました。ベートーベンを聞いた場合と比較しながらでした。 ノーベル賞学者の小柴教授は大変なモーツァルトファンだそうですが、その教授が「モーツァルトは曲を聞かせるだけで世界の誰に対してでも心の安らぎを与えるのだから凄いことだ。私の科学ではとても真似のできないことである」といったことを話しておられました。 そこで安人ですが、安倍さんの水指と茶入を別々の機会にですが、半年間かそれ以上の間座右において朝晩眺めていたことがあります。妙に落ち着くというか、違和感がないというか飽きがきませんでした。 モーツァルトの話を聞いてこのことを思い出しました。 |
No.815 | したり尾 | 2006-01-29 16:56:54.712769+09 |
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モーツアルトは確かに非常に稀な天才といっていいでしょう。 去年の暮れ、残されたモーツアルトの手紙を読みました。実生活は一生お金の苦労ばかりで、悲惨な生活です。 しかし、そうしたことと彼の作る音楽は全く関係がないのです。人生のどんな苦労も、彼の音楽に影響を与えませんでした。肉親の死のときも作った曲は実に明るいのです。 亡くなる直前まで作っていた未完のレクイエムでさえ、明るく力強いものでした。 殆どの人たちはそれなりに人生の軌跡がその作品に現れるものですが、モーツアルトにはそれが見えません。天才とはこういう人間をいうのだと思いました。 しかし、モーツアルトの曲が誰にでも安らぎを与えるという小柴教授の言い方には少々抵抗があります。誰にでも安らぎを与えるものでもありません。モーツアルトが嫌いな演奏家は山のようにいます。 脳波にアルファ波が現れるという研究も、牛にモーツアルトを聞かせると乳の出がよくなるという話も、素直に信じることはできません。ベートーベンとモーツアルトと比較するから、そのような結果が現れるのであって、おそらくモーツアルトとハイドンと比較すれば結果は似たようなものになるはずです。 なお、私自身は、モーツアルトも安倍安人さんの作品も大好きです。しかし、それは小柴さんのいう安らぎとは少し違うものです。 |
No.816 | さむしろ | 2006-01-29 22:47:50.566582+09 |
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そうですか、モーツァルトも貧乏だったのですか。それは面白い話です。 確かにだれもと言えばおっしゃるとおりで、例えば安倍安人と聞いただけで反発する人がわたしのまわりににもいます。先の書き込みの表現は必ずしも正確ではありませんが、ただ、わたしは、某番組でのコメントを別段の違和感なく聞き入れました。 |
No.817 | したり尾 | 2006-01-30 09:56:07.655078+09 |
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実はその番組は私も見ています。 多分モーツアルトであればすべてよしとする傾向に抵抗を覚えるのは、私の人生の大半をモーツアルトを聴きながら過ごしてきたせいでしょう。 面白いのはモーツアルトは嫌いだとか、苦手だとかいう演奏家のほうが、かえってモーツアルトの曲の本質を突くような、いい演奏をすることもあることです。 私は、長く聞いてきた割にはモーツアルトにそれほど詳しくはないのですが、何でもかんでも盲目的によしとすることは、どこか間違っているとは思います。 安倍安人の場合も、安倍安人だから好きとか、安倍安人だから嫌いと決め付けてしまうことには、やはり少々抵抗があります。ひとつひとつ作品を観察し、いろいろな側面から、いつも捉えなおし続ける作業が必要なのだと思っています。 |
No.818 | さむしろ | 2006-01-30 18:31:23.210179+09 |
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「モーツァルトであればすべてよし」と聞かれましたか。 わたしはそうは受け取りませんでした。 |
No.819 | したり尾 | 2006-01-30 20:09:51.902424+09 |
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この話は、あまり深く突っ込みたくはないのですが・・・。 あのような実験というのは、一見科学的に見えるのですが、条件さえ変えればまったく別の結論を導き出すことも可能です。テレビ的ではありますが際どい演出です。そこへノーベル賞の小柴教授の発言をはめると、その際どい実験さえも、正しい結論であるかのような印象を視聴者に与え危険です。遊びの一種とみなせば、許される類でしょう。 まさか「ものはら」でモーツアルト談議をすることになるとは思ってもみませんでした。 |
No.820 | さむしろ | 2006-01-31 18:17:49.168806+09 |
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したり尾さんがモーツァルトに一家言お持ちとは知りませんでした。 しかし、そこまで難しく考えるほどのことではないように思いましたが・・・。 確かにマスメディアに大きな弊害もあることはわかりますが、そのことはほとんどの人が気付いていて、個々の基準で割り引いてみていると思います。しかしうっかりということもありますので、一歩引いてみるくせをつけるように気をつけましょう。 砂漠のような乾燥地では乾燥地にあった植物が育ち、湿地帯では湿地帯にあった植物が育つように、モーツァルトからはモーツァルトらしい曲が生まれてくる、といった程度の話です。 また、野球では3割打てば一流の仲間入りです。7割の凡打をもってダメの烙印を押すことはしません。そんな視点でもよいのではないでしょうか? |
No.821 | したり尾 | 2006-01-31 20:59:55.489143+09 |
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一家言あるというほどでもないのですがね。ただ何となく、長い間モーツアルトも聴いてきたという程度です。 モーツアルトは3割打者というレベルではありません。10代に作曲した曲も亡くなる直前に作った曲も、同じように誰も届かない高い曲でした。永遠の神童というところでしょうか。これは音楽好きの人たちが皆そう語っていることです。 でも、彼の生きていた頃は、人々にとって、そんなことはどうでもいいことでした。一時期、大いに持て囃されて流行作家になったのですが、そのうち飽きられて、亡くなってから、人々はようやくモーツアルトを惜しんだという程度だったのですよ。お葬式には誰も出席しなかったので、今もお墓の正確な場所が分かっていません。 作家の価値とは何ですかね。・・・というより、人の一生とは何でしょうか。 それにしても、普段、メディアには少々問題があると感じていたもので、やや熱くなりました。大人気ない。 |
No.822 | したり尾 | 2006-02-01 07:57:37.867145+09 |
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朝になって、さむしろさんの言われる意味がようやく理解できました。 817の私の書き込みの一部が誤解を与えました。 「モーツアルトであればすべてよしとする傾向には抵抗がある」という私の書き込みは、確かに「モーツアルトにも、いい曲と悪い曲がある」という意味に理解できますね。 そう表現したかったのではありませんでした。なにかモーツアルトの曲が精神安定剤のような効果があるという趣旨の一部の本や番組の表現に強い反発を感じると表現したかったのです。 書き方が違っていたなと思います。すみません。 その他、申し上げたいことは821に書き込んでいるとおりです。 |
No.823 | さむしろ | 2006-02-01 19:21:50.281047+09 |
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なるほど、おっしゃりたいことが理解できました。 メディアについての思いについては、わたしも似たような感想をもっています。ただ、三流だ害悪だと思っていても今回の外務省による上海領事館員の自殺隠蔽を明らかにしたようなスクープもありますので完全否定はできません。読者、視聴者が賢くならなければしようがないんでしょうね。 これからは名誉毀損訴訟が増えると予想していますので、メディアも自制するのではないかとの淡い期待もあります。 |
No.824 | したり尾 | 2006-02-01 21:00:55.46805+09 |
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政治向きの話は、やめておきませんか。 メディア論も、あまり深くは突っ込まないことにして、それでもひと言だけ。 新聞にしろ、テレビにしろ、雑誌にしろ、読んだり見たりしながら、もっと深く社会の動きを知る方法。 @なぜ、「昨日」ではなく「明日」でもなく「今日」そのことをニュースにするのか。 A「何を伝えているのか」ではなく、「何を伝えていないのか」考えてみること。 この2点を絶えず意識しながらメディアに接すると、大分世の中が分かってきますよ。 例えば、昨日まで大ニュースだったものが、いつの間にかどこにも載らなくなってしまうことがあるでしょう。必ず、理由がありますよ。その辺りに案外、興味深い世の中の仕組みが潜んでいることもあります。 |
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