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No.705 | したり尾 | 2005-12-06 13:54:33.970514+09 |
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段々話がかみ合ってきましたね。 当然、柳自身は「織部様式」までは踏み込んでいませんが、考え方としては織部様式全般に当てはまる話であると思います。だからこそ、ここに紹介する価値のある話であると判断したのです。 さむしろさんとの最大の相違点は、「奇数形」の理解ですが、柳は繰り返し繰り返し「偶ではなくて奇である」とか「割り切れぬ数字」とか述べていますので、どうしても単なる変形には読み取れないのです。円は割るも割らぬもありません。 従って、さむしろさんの言われるとおり、私は単なる破壊では奇数形にはなり得ないと考えます。 さむしろさんが例に出された話は、柳も意識していると想像ますが、どこをどう欠けば偶数が奇数になるのか法則まで考えたのではないでしょうか。 柳の、茶の湯に関する別の文章には、しばしば「美の法則」という言葉が見受けられます。ある種の法則を見出していたことは間違いのないところだと思っています。その法則こそ、安倍さんお説に近いと考えるのです。 |
No.706 | さむしろ | 2005-12-06 18:29:49.704887+09 |
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はい。相違点が明確になりました。 安倍さんの理論は、もっと単純でわかり易いものだと思います。 柳の言う「美の法則」が真に法則であれば、もっと単純にもっとわかり易く説明出来るはずです。 したり尾さんのお怒りを覚悟で言えば、新興宗教の教義のような気がします。 説明ができないために仮のご神体とした、例えば、長嶋がバッテングを教えるのに「パッ」と打て、という言い方をしたという話は有名ですが、これを野村に言わせると「理論だって説明が出来ない」と言います。 ただ長嶋の場合は実績がありますから、頭の中には真理がつまっていると思います。 「奇」が数であるならば、何を持って数をカウントするのかが明らかにされないと偶も奇もないのではないでしょうか? カウントのルールがないのでは納得のしようがありません。 作品にもよるでしょうが、多分押したり引いたり削ったりの作業は数十回にはなるでしょう。奇数にするためには毎回それを数えていなければならなくなりませんか? 長次郎に限らず安倍さんにしても一ヘラ、二ヘラと数えているとは思えません。 柳は作品をみれば(何の数かわかりませんが)「数」がわかる、つまり数えることが出来るということになりますがそうでしょうか? そのうえに織部様式茶陶とその他の桃山茶陶の違いについても「美の法則」で説明出来なければいけません。 |
No.707 | したり尾 | 2005-12-06 20:01:38.411815+09 |
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前にも紹介した文章を、少々短くして再び、ここに紹介します。 「茶人達の愛した美の世界には大いに近代的なものがあり、むしろその(現代美術)先駆をなすものであって、この歴史的事実はもっと注意されてよいであろう」(()内は、したり尾) さむしろさんは、この文章をどのように評価されますか。 |
No.708 | さむしろ | 2005-12-07 20:35:33.707703+09 |
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評価を、とおっしゃっても困るのですが、 その「近代的なもの」「先駆をなすもの」というのが長次郎茶碗(に代表される一群の茶陶)であり、その美の法則が「破形」論であり、 「破形」とは「偶」を「奇」にする行為のこと、あるいは奇になったものをいうのか、多分後者を言っているだろう。 というふうに理解しました。 そういう前提で言えば、確かに初めて造形がなされたことをとらえて、「近代美術の先駆」と喝破したのは見識かと思いますが、そうであればそれまでの評価であるべきで、その造形の理論の解明をしたとは思えない状態で(その理由は再々述べているとおりです)、安倍さんと同列とまではいかなくとも近いとの評価は安倍さんに対して失礼ではないかと思っています。 |
No.709 | したり尾 | 2005-12-07 22:55:45.67686+09 |
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そこまで、お叱りを頂戴するとは・・・。 本当に残念です。 安倍安人さんを侮辱するつもりなど、全くありませんでした。むしろ、意識としては逆でした。本当です。 ですから、そのように感じられたことに大変な衝撃を受けています。 さむしろさんが理解されている事と、私がこれから申し上げようとした事とは、少々違うのです。 しかし、もはや申し上げる事はしてはいけないようです。 さむしろさんには随分嫌な思いをさせてしまいました。申し訳ありません。心からお詫びします。 |
No.710 | さむしろ | 2005-12-08 17:51:17.369014+09 |
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それは申し訳ありません。 叱るも、怒るもありませんでしたが、誤解を与えてしまいました。 今日は一日中忙しく出歩いていました。これからもう一つ会合がありますので、書き込みはまた後ほどということにさせていただきます。 相手が柳宗悦ですから不足はありません。時間をかけてでもとことんやりたい気持ちです。 |
No.711 | したり尾 | 2005-12-08 20:34:20.200661+09 |
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それでは、恐る恐る私の意見を・・・。 多分、順序を逆にしたほうが理解しやすいと思います。 柳宋悦は、西洋美学をまず学び、その視点から長次郎茶碗を観察したのではないかと。 柳は、雑誌「白樺」の創刊から参加しています。まだ、高校生の頃です。 この、いわゆる「白樺派」の活動で大変重要なことは、セザンヌなど当時最も新しいヨーロッパ絵画を日本に紹介したことです。彼らは、単に紹介するにとどまらず、「西洋美学」を学び取っていきました。(傍証であれば、いくらでもあります) つまり、柳は、民芸運動を始める以前に「西洋美学」の基本をまず理解したのです。(仲間には高名な画家や彫刻家、小説家も多々います) その上で、長次郎茶碗を観察すれば、それがどのように構成されているか分かるはずです。 安倍安人さんが画家として出発し、だからこそ、織部様式の仕組みを見抜くことができたのと同じように。 こう見ると、柳が「奇数形」にこだわる理由が分かります。 ただし、柳は画家でもありませんし、陶芸家でもありません。だから、安倍さんほどは、きちんと言い当てることができなかったのではないか、私はそう考えます。 また、柳の思想が彼の目を狂わせることもあったとも感じます。 しかし、観察眼だけは大したものです。 以上が私のかいつまんだ意見です。 恐惶謹言 |
No.712 | さむしろ | 2005-12-09 10:59:20.487718+09 |
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安倍が画家として出発し(中略)織部様式の仕組みが見抜けられ(略) の部分ですが一部は認めます。しかし、安倍理論は造形と焼成があります。代々焼き物を続けてきても桃山の焼成ができない陶芸家が全てといっていいでしょう。造形にしても焼成にしても人並み外れた注意力と想像力と継続力がもった安倍だからこそたどり着いたと想像します。 現在、安倍安人のいう造形論をしっかりと理解している人がどのくらいいるでしょうか? 近世美術についての研究も進み、またその資料の入手や現物を見ることも格段に容易になったであろうと想像します。 安倍理論は随分前から公表されています。学問と経験を積んだ多くの名だたるお歴々はおられても、安倍理論を理解し賛意や共感を示す専門家はまだまだ少数であろうと認識しています。そして、理解したとしてもその理解の程度の深さについてもどれ程のものであるか疑問をもっています。少なくとも自らの著述で安倍理論を是認する論を述べた人を知りません。 柳が長次郎茶碗に特別の注意、興味をもったことは柳の見識を示すものであるとは思いますが、わたしには破形論をもって本質をとらえたとは思われません。あれだけ多くの著述があったわけですからもう少し具体的な論があってもいいのではないかと思います。 たまたま一つ投げた石が同じ方向に飛んだからといって、同じ獲物を見つけ狙ったとは断じられないのです。 別の視点ですが、古い茶道書「南方録」では陰陽ということがうるさく書かれています。陰陽のことはよくわかりませんが、例えば全体を五つの線で区切ってこの線を陽とし、線と線の間に線を引いて陰とする(逆だったかも)といったことが書かれています。 現在では、この陰陽と偶数奇数がほとんど同義に使われているようです。尋ねたところでは、道具の組み合わせについても陽に対して陰をもっていく、歩き方でも陽の足で席中に入ると陰の足で出るとか、すべてのことが陰陽でなりたっているようです。そのような意味で偶に対する奇と考えるのが順当であろうと思うわけです。柳がいくらかを理解していたと認めるためには、もう一歩も二歩も踏み込んだ理論を論じていたという事実が必要です。 |
No.713 | したり尾 | 2005-12-10 19:02:03.744323+09 |
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「安倍安人の造形論は安倍安人だからこそ辿り着いた」といわれていることは、そのとおりでしょう。その理論に基づいた作品が生み出されているのですから否定しようがありません。 ただし、さむしろさんが指摘されているとおり、その理論はほとんど注目されていないことも事実です。なぜか、いわゆる美術評論家の方々は、焼き物には目を向けないようです。 焼成論は別にして、造形論は西洋美術の造形論を学んだ人なら、理解できるはずだということを安倍さんはいつも言われています。しかし、目を向けようとしないのですから、現状ではどうにもなりません。 柳の著作物に「茶陶」の話がもっとあるべきだとのお話ですが、ご存知のように彼の興味は別のところにあったのですから、それを言われてもせん無いところです。だから、彼の茶陶に対する意見が間違いであるということにはなりません。 私が興味を持つのは、彼の論理は、当時最も新しいとされた西洋美術の造形論をよく知っているという点です。「白樺派」の参加者達は、画家や彫刻家に限らず、セザンヌなどの絵画を読み込み、その造形論を深く学んでいます。これはよく知られた事実です。 セザンヌの絵画はごく簡単に言えば対象をを幾何学的形態に基づいて整理、抽象化していくというものです。その理論は、ピカソたちに受け継がれ抽象画が誕生しました。それは、ちょうど「白樺派」の活躍と同時期でした。 ですから、その観点から茶陶を見れば、ご紹介しているような造形論が語れるはずだと私は考えています。 「南方録」について、なんとも申し上げられません。さっそく読むことにしましょう。 |
No.714 | さむしろ | 2005-12-11 15:51:00.901111+09 |
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「注目されない」「目を向けようとしない」ということについては、安倍安人の造形論が理解できないあるいは解かりたくないというのが多分にあるのだろうと思っています。 単なる理論だけでなく実際に作品という形で再現されたものを見れば、中途半端な理解ではとても文章には書けないだろうということも一つの理由として考えられます。 わたしが言いたいのは『柳の著作物に「茶陶」の話が・・・』 ではなく、長次郎茶碗の本質を見抜いていたのであれば、その本質論を展開しておくべきであり、今仮に柳が出てきて「実はわたしは安倍の生まれる前に、すでに安倍のいう織部様式論を理解していました」などと言えば「何を勝手な、都合のいいことを言っているのか」と一喝したいところです。 したり尾さんの論の根拠では「柳が理解していたかもしれない、という可能性を否定できない」ということにはなっても、「理解していた」との話にはどうしてもならないでしょう。(このことはしたり尾さんが、「…茶陶を見れば…中略…造形論が語れるはず」とされていることからもわかります。) どうしても、柳なら解かったかもしれないという状況論、希望論でしかないと思います。 今、自らと同時代に安倍安人がいて、安倍安人の織部様式論があり、安倍備前があって、安倍理論を理解したのかしなかったのか、安倍理論の日本陶芸史上においての意義をどうみたのか、世の美術専門家・評論家が3年後か10年、50年後か、いつの時代かに世から評価されことになるかもしれません。 真実はやがて認められます。そのときになって都合の良い立場をとろうとすることは許されません。 |
No.715 | したり尾 | 2005-12-11 18:25:35.300626+09 |
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安倍安人の造形論に美術評論家が目を向けないのは、残念ながら陶芸が美術として認知されていないからです。 日本には多くの美術家集団があります。彫刻や絵画、その他空間芸術などはそれらの集団に入っていますが、陶芸がそうした集団に参加している例は稀です。つまり、陶芸は、日本の美術界ではまだまだ閉ざされた世界です。 陶芸界でも、何人かは美術として意識し活動しようとしている人はいますが、日本の陶芸界では活動しにくく、また、育てようとするファンも少なく、世界へ脱出する人もいます。 これが、美術界が安倍さんの造形論に目を向けにくい大きな理由です。私は、現在の陶芸界にかなりの責任があると思うのですがね。 もっとも、安倍さんご自身は、陶芸家などとは名乗っていませんが。 ところで、柳の話ですが、少なくとも桃山の茶陶を美術として意識し、だから西洋近代美術と比較検討しています。ここがとても大事なところで、その視点だけは理解していただければありがたいのですが。 |
No.716 | さむしろ | 2005-12-12 12:48:55.782917+09 |
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陶芸の美術性についての話題になると安倍さんも、陶芸は通産省(現経済産業省)の所管であって文部省の所管ではない、と常々言っておられました。 確かに陶芸界にいる圧倒的多数の人達は職人としての仕事をこなしておられるという現実の中では、「陶芸」をひとくくりにした分類では経済産業省所管とならざるを得ないでしょう。 柳の話は少し書物にあたってからご返事します。 |
No.717 | したり尾 | 2005-12-12 17:25:05.750065+09 |
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ご返事をお待ち申し上げます。 私は、今まであまり柳宋悦について著作を読んだ程度で、さして興味は持っていませんでした。しかし、この議論をするにあたって、彼の思想の背景や、その業績の功罪などさまざま学ぶこと、考えることができました。ありがたい経験でした。 |
No.718 | さむしろ | 2005-12-15 18:25:18.851625+09 |
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今日、やっと柳宗悦の本を入手しました。 最初はインターネットの古本屋検索で探しましたが、結構値が高いのにビックリしました。なんとか安いのを見つけて発注しましたが売れていました。 公立図書館の蔵書検索でみつけたので、今日借りました。二冊を借りましたが、返却日は1月7日、駐車場は無料(短時間のため)ということで、今後はこれがいいと思いました。 |
No.719 | さむしろ | 2005-12-16 12:33:44.17005+09 |
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柳宗悦の「茶と美」をパラパラと拾い読みしました。読み返すところが全編いたるところにあり、感想を書き込むところまでいきません。 ただ作意に対する反発は少々ではないようです。 |
No.720 | したり尾 | 2005-12-16 13:05:40.838305+09 |
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そのとおりです。作為に対する反発は、非常に強い。 前にも書きましたが、実は我々が議論しているところは「奇数の美」の前半に過ぎません。後半では、桃山茶陶も近代美術も否定し、結局「井戸」がよいということになるのです。 こんな話は、いかにも柳らしいし、議論する話でもないので紹介しませんでした。 まずは、ゆっくりお読みください。お待ちします。 |
No.721 | さむしろ | 2005-12-18 15:51:53.4788+09 |
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奇数の美、九 には、 (中略)奇数より偶数を追ったのが西洋の見方であるともいえる。つまり割り切った形である。 ギリシャ美学の理念は完璧な美に置かれたといえよう。そうしてその典型的なものを、均斉のとれた人体美に見たのである。平衡の整ったギリシャ彫刻はそれを物語ってくれる。 東洋はこれに対し、奇数の相を追い、その現れを自然の中に見つめた。前者は割り切れた均斉の美、後者は割り切れない不均斉の美である。茶道はいつも後者の美の深さを語るが、これを広く東洋的または仏教的見方と見なすことができる。 とあります。 上述の「奇数の相」の中には「長次郎楽茶碗」が含まれると考えていいと思います。そういう前提ですが、このHP窯辺論談の「安倍備前の造形と焼成考」の中の「力の波及」、「力とその量のバランス」の考えが安倍理論を正しく言い表しているのであれば、その考えをもって上記引用文をみれば、安倍さんの三点展開の理論は「奇数の相」を追ったということは出来ず、ギリシャ彫刻ギリシャ美学の理念の立場に立つと言うべきであると思います。 |
No.722 | したり尾 | 2005-12-18 16:51:03.097409+09 |
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ルネサンス様式の美が、そのまま直輸入されたと考えるなら、さむしろさんのおっしゃるとおりでしょう。 しかし、長次郎を含む織部様式の美は、ヨーロッパの影響を強く受けながらも、さらに発展させていると、私には見えるのです。 ヨーロッパで長い年月をかけて、ルネサンス様式から発展していったものを、桃山の茶人達は、一瞬で乗り越えてしまった。茶碗や花入を見ると、当時のヨーロッパの美とは随分違って見えます。むしろ、現代の抽象作品に随分近い。そこに桃山茶人達の恐ろしさを感じます。ちょうど、安倍安人の作品の恐ろしさのような。 |
No.723 | さむしろ | 2005-12-18 18:35:26.317781+09 |
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わたしの認識では、現在織部様式がどのような経緯で、何をきっかけにして生まれたのかについて確たる説はありません。 初めて安倍安人が「三点展開」と喝破し、その内容を簡単に著したのがこのHP「安倍備前の造形と焼成考」(安倍さんは、大方の内容について肯定されたと聞いています)との認識です。 どのような経緯からにしても人体美の造形理論(と同一あるいは類似の造形理論)を茶碗、花入、水指などの造形物へ採り入れて「形」にしたのですから、そういう意味では大いなる発展と言っていいのかもしれません。したり尾さんの言われる「発展」の意味はこれとは違うのでしょうか? 以上のように考えれば、安倍の三点展開論つまり割り切れた均斉の美と、柳の割り切れない不均斉の美は、やはり対立する、あるいは異質なものであると思わざるを得ません。 奇数の美、十五に 『今までの「楽」で無事の美に達しているものはない。有名な光悦といえども未だしである。』というのがありますが、これは「楽茶碗」と「光悦茶碗」を同一線上のものと考えていることを示しています。安倍理論では光悦茶碗は「素人茶碗」になります。そのようなことからも、柳の「破形」論には「破る」以外の展開はみえません。 たとえば、柳でなくまったく無名な人でも、安倍さんより先に安倍理論と同一あるいは類似の論文を発表されていたということが明らかになれば、迷うことなくそれを支持します。逆に柳といえども明確なものがない限り認めることはできません。 |
No.724 | したり尾 | 2005-12-18 23:25:44.455326+09 |
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例えば、ダ・ヴィンチの「モナリザ」と長次郎の茶碗が同じように見えますか。私には、その間にあまりに大きな違いがあるように見えます。 光悦についてですが、私の読んでいる「奇数の美」には、その項目がありません。「奇数の美」は11で終わっています。ですから、さむしろさんのご指摘には少々戸惑っています。 |
No.725 | さむしろ | 2005-12-19 10:38:30.93661+09 |
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モナリザと長次郎楽茶碗がどのような比較の対象になるのか、またその必要があるのかよくわかりません。 茶陶制作にギリシャ彫刻(あるいは少なくとも類似)の造形理論が採り入れられた。そして出来上がったものが織部様式茶陶である。その是非は別にして、それではいけないのでしょうか? あるいは胡麻やヘラによる表現のことなのでしょうか? 岩波書店の文庫本に載っています。 また、楽茶碗について長次郎の名を使ったところもありますが、全体を通してみると長次郎の楽とそれ以降の楽茶碗を区別しているようにはみえません。 ご承知のとおり安倍さんは、造形手法について長次郎(二人とも三人とも言われていますが)とそれ以降の楽を分けておられます。 |
No.726 | したり尾 | 2005-12-19 10:59:47.8567+09 |
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「岩波」のものは、既に絶版になっているはずです。 私の手にしているものは、この議論を始めるときに記しましたように、今も発売されている「講談社学芸文庫」です。 過去の出版物が誤りだと気づいた場合、版を重ねるごとに、作者が加筆をしたり、削除したりすることがしばしば行われますので、そのためかもしれません。 「モナリザ」の件は、少々時間がないので、夕刻以降、書き込むことにします。ごめんなさい。 |
No.727 | したり尾 | 2005-12-19 17:03:33.107821+09 |
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お待たせしました。 初めに申し上げますが「安倍備前の焼成と造形考」は、よく安倍安人の考え方がまとめられていると、常々思っています。その上での議論です。 「モナリザ」ですが、実は「モナリザ」でもミロのヴィーナスでも、ミケランジェロの作品でもよかったのです。 桃山の茶人達は、西洋の美の原理を理解しても、それをそのまま取り入れたわけではなかったということを申し上げたかったのです。 ヨーロッパでは300年かかって、ようやくルネサンスの様式美から脱出し、抽象の世界へと進むことができましたが、桃山の茶人達は一瞬で乗り越えてしまった。これは大変なことだと思います。 そのことを理解していただきたかったのです。 さむしろさんのご意見は、おおむね分かりました。ご意見を全面否定するつもりは毛頭ありません。 もちろん、安倍安人と柳宋悦の間には大きな違いがあります。 しかし、なぜ柳が「奇数の美」という表題をつけた文章を書いたのか、なぜ「破形の美」ではなかったのか。また、なぜ、あれほどまでに「奇数形」にこだわったのか、その点だけは疑問として残ります。 さらにヨーロッパの近代美術と桃山茶陶を同じ土俵の上に並べて論じた姿勢に、安倍安人との共通点を感じています。 お聞きしたいのは、この2点だけです。 |
No.728 | さむしろ | 2005-12-20 00:45:16.013831+09 |
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何点かお尋ねしますが、 桃山の茶人達とは(厳密でなくても)どういう範囲の人たちが入るのでしょうか? 西洋の美の原理を理解しても・・・、の、理解した原理はどのようなものだったのでしょうか? そのまま取り入れたのではない。についてですが、どのように取り入れたと考えるのでしょうか? 「破形の美」でなく「奇数の美」としたのはなぜか?とのことですが、柳は奇数の美一で、「破形」とは(中略)。これを「不定形」とか「不整形」とかいってもよいが、分かりやすく「奇数の美」と呼ぶこととしたい。と書いていますがこれではいけませんか? また、「意味は数奇も奇数も同じである。」と述べ、別の箇所で「歌数奇」なる言葉が文献に見え(中略)「数奇」の語が1444年頃編集されたと思われる漢和辞書に「数奇」とでていることを紹介しています。これはもともとあった語であって、柳独自の語とは考えないほうがいいのではないでしょうか?もちろん独自の解釈ということはあるでしょうが。 また、「数奇」をまた「麁相なるもの」といったが(中略)「麁」は「粗」で、荒い様で奇数の意である、ともいっています。したり尾さんがおっしゃるほど「奇数」の語にこだわりはないように思うのですが。 |
No.729 | したり尾 | 2005-12-20 15:33:28.412515+09 |
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「桃山の茶人達」とは、利休グループを指します。ほかに誰かいるのでしょうか。このご質問の意味を教えてください。 「ヨーロッパの美の原理」とは、門脇満さんが「安倍備前の造形と焼成考」の「力の波及」以下でお書きになっている美の原理です。 「そのまま取り入れたのではない」の意味は、その原理を抽象化し、象徴化していったということです。そうしなければ、「峯紅葉」や「冬枯」など作品の造形や絵付けまで説明できないからです。 「安倍備前の造形と焼成考」に沿って言えば、セザンヌやピカソ達の造形論まで、いっきに持っていってしまったということです。 柳宋悦の「奇数の美」の理解は、多分寄って立つところによって、随分違うという気がします。私は、西洋美術との関連性を意識した上で読みました。 しかし、確かに曖昧に書かれていたり、ほかの要素も加わっていたりしていますので、これ以上話を進めるのは難しいと思うようになりました。 |
No.730 | さむしろ | 2005-12-20 20:20:04.369771+09 |
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柳は「茶祖」という言い方をしています。書院茶の足利の時代から村田珠光、武野紹鴎(鴎は当て字です)、千利休、古田織部、他にも北向道陳、津田宗及、今井宗久などなど。唐物中心の書院茶時代、珠光の侘茶への移行期、利休の侘茶完成期とつづきます。 したり尾さんも同じだと思いますが、わたしは利休と織部しか念頭にありません。はたして柳はだれだれを念頭においていたのだろうかと興味をもちました。井戸茶碗がいつ頃から使われ始めたのか資料を持ち合わせませんが朝鮮出兵の後であれば1592年あるいは1597年の出兵後となるでしょう。これは楽茶碗初見より後です。 「一瞬で乗り越え」の意味はわかりました。「一瞬の閃き」があったからこそ、人体美の造形理論を茶道具という造形物にもってこれたとも言えるのではないでしょうか。 本筋から少しはずれますが、以前話題に出ました「矢筈」ですが、茶の湯の釜に姥口(うばぐち)というのがあります。筒形の釜もあります。これらをベースに造形をすれば矢筈水指ができます。還付が耳になります。蓋も一緒に焼けばいいでしょう。見本にふさわしい釜は1500年代前半にはすでに存在していたようです。人体美の造形理論との出会いには長い年月を要したのでしょうが、二つを結びつけることは一瞬であったのではないかと想像します。 「奇数の美」の解釈は相当遠いようです。本を読み返してみるのですが、柳は井戸茶碗などの轆轤引きや焼成中の歪み、釉はげなどを含めて「奇数形」といっているように思います。 ただ互いの見解はほぼ出尽くしたということにしましょう。 |
No.731 | したり尾 | 2005-12-20 22:51:42.36646+09 |
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いずれにせよ、「奇数の美」の議論は年内に終えたいと思っていました。 「矢筈」の話は興味を持ちました。これは、説得力があるご意見です。 付け足しで、最後に一言。 セザンヌは、ルネサンスの美を部分的には否定しているのです。 例えば、遠くのものは小さく見え、近くのものは大きく見えるという遠近法。そうとも限らないというのがセザンヌの意見です。 また、セザンヌがピカソ達に強い影響を与えたのは、写真のように一面からのみ、ものを見るのではなく、多面的に見て、それをひとつの画面に現してしまうという描き方です。まだまだあります。こうしたセザンヌの新しい理論が抽象画のスタートになりました。 セザンヌが「近代絵画の父」と呼ばれているのは、そのようにルネサンス様式を乗り越えたからです。 それにしても、ルネサンスの理論がなければ、セザンヌの理論もない。その意味でルネサンスを受け継いでいるといえるのです。 セザンヌと全く同様な作業だとは思いませんが、織部様式を作った人々は、一瞬でルネサンスからピカソまで行ってしまった。そこのところが、本当は私には理解できないところです。 以上、付け足しです。 |
No.732 | さむしろ | 2005-12-21 20:16:17.829393+09 |
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長時間お付き合いいただいてありがとうございました。お蔭さまで柳宗悦の一面ですが知ることができました。 矢筈の話は面白いでしょう。 「釜が矢筈のモデル」論は多分これまでにでていないだろうと思います。 モデルと成りうる釜の写真を、近日中にものはら別室に載せていただくよう写真を準備してお願いしましょう。 |
No.733 | したり尾 | 2005-12-21 22:42:19.806304+09 |
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「矢筈」の話は、さむさしろさんの説明が一番合理的です。すぐに納得しました。 考えてみれば、中国での焼き物の原型も、鉄器や青銅器でした。釜は、どうしても蓋をしなければなりませんしね。 とすると、「矢筈」の花入も水指ですか。あり得るな。 柳宋悦の話で、私も随分ほかの情報も集めました。 柳が活動を始めた時期、明治終わりから大正にかけての日本の文化人達の思想ですとか、西洋文明をどのように吸収していったか、あるいは明治、大正期と桃山時代の西洋文明の取り入れ方の違いなど・・・。 議論とは、直接はかかわらなかったので触れませんでしたが、随分発見もありました。 さむしろさんのお陰です。 今だから言いますが、私は、柳宋悦が大嫌いでした。 |
No.734 | さむしろ | 2005-12-22 20:27:35.126697+09 |
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茶会記に1587年に「備前物ノ新キ花瓶」を用意したとの記述があります。 織部は1599年より備前水指をしきりに用いた、とありまた、「備前筒花入」を使った記録がある。 1601年の茶会記に「備前三角花入」の記述。 茶会記をじっくりみていけば、水指が先か花入が先かもわかるのではないでしょうか。矢筈水指より矢筈花入が先では困りますが…。 備前桶形水指の名品「破桶」は木桶を模しています。 1587年に利休が秀吉を迎えた茶会で「ヤフレ桶水指」を使ったという記録があるようです。もしそれが「破桶」であれば、その当時すでに相当な技巧をそなえていたことになりそうです。 |
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