茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ごゆっくり閲覧ください。
No.525したり尾2005-08-04 09:00:43.275272+09
その後、よく考えた結果、523で申し上げたことを全面撤回します。
絵画活動といっても、具象画の活動は、安倍さんの場合焼き物よりも余程神経を使う大変な作業だろうと推察します。
安倍さんの具象画は、隅々まで細かい神経を張り巡らさないと描くことのできない世界です。
立体の作品にも似たものをを感じますが、絵画活動より少しは自由かなと思います。
完全な抽象の作品は、偶然性も加味されますから、これは自由に解き放たれたものでしょう。
いずれにせよ、そのすべてが安倍安人の世界です。どの表現もそれぞれがまったく別のものであり、そのすべてを一番合った方法で表現しているに違いありません。
この推察がおおむね正しいものかどうかは、ご本人に直接聞いてみて頂けませんか。
No.526マスター2005-08-04 19:13:42.839998+09
絵画方面のことはまったくわかりません。何を尋ねるのかさえ考えてしまいます。
ゆっくりと話せる機会があればそんな話もしてみましょう。
No.527あしろ木2005-08-04 20:38:07.276988+09
絵画は視覚にのみ訴える芸術作品ですので、手でさわれる立体のものに比べると、人の心を動かすものを表現するのは とても難しいことだと思います。(あおい)
No.528したり尾2005-08-04 21:22:47.11102+09
522でマスターから、安倍さんにとって焼き物を作るということと、絵画などを制作するということは同じ意識であるかという課題を頂戴しました。そこで私なりに考えた結果を申し上げてみたのです。
まったく別の表現で言います。こういうことだと思います。
安倍さんは、焼き物、具象画、立体、抽象とさまざまな活動をされていますが、それは、安倍安人の中にさまざまな世界があって、絵画でなければ表現できないものは絵画で、焼き物でなければ表現できないものは焼き物で表現しているということです。
一言でアート(芸術)といっても、ジャンルが違えば、それぞれ別の世界であり、意識も違うのではないかと考えます。
こういうことだと思うのですが・・・。
No.529マスター2005-08-05 12:58:38.082146+09
あまり深く考えていませんが、わたしの理解では、表千家・裏千家では茶道具を作る方たちを職方といっているようです。職方では家元の有形無形に示された茶の湯道具としての規範のなかで「茶の湯にかなう」茶道具を作ります。

ところが安倍さんは、茶の湯道具の規範を知ったうえでなおそれには拘泥されず自分なりの茶道具を作ります。表千家・裏千家の「茶の湯にかなう」かどうかについてはほとんど関心がないのではないでしょうか?
No.530さむしろ2005-08-05 18:37:14.393645+09
…自分なりの茶道具を作ります…、というよりも自分なりの水指、茶碗、花入を作ります、のニュアンスに聞きました。他の道具との取り合わせは考えないといったふぜいでした。
つまり安倍さんの水指の前に、楽さんだろうが永楽さんだろうが他のだれであろうが彼等の茶碗をおいて、それらの茶碗とのつりあいは考えないということと理解しました。

具象、立体、抽象等についてはわかりません。あるのは単純な好き嫌いだけですし、それさえもわからない場合がほとんどです。
No.531したり尾2005-08-05 20:48:04.487148+09
安倍安人以外の茶道具を作る作家の皆さんは、取り合わせを意識するものなのですか。
今まで、取り合わせは茶人達の自由であり、それこそ茶人のセンスが問われるところだと思っていました。
No.532したり尾2005-08-06 08:28:09.638097+09
今日はヒロシマ原爆投下の日です。
広島は、お茶の家元もあるほど文化豊かな水の都であったと聞いています。しかし、それも原爆によって一瞬でこの世から消えてしまいました。
こうして私たちが文化を語ることができるのも、とりあえずこの60年、日本だけは平和であった証です。
原爆でなくなった方々に心からお悔やみ申し上げ、文化豊かな日本になることを祈ります。
No.533さむしろ2005-08-06 08:31:00.234567+09
取り合わせの意識は使う側、作る側(千家職方)両方にあると思います。他の作家はわかりませんが、これは使える、これは使えないの意識はもっておられるだろうと思います。例えば鈴木五郎の作品の中には、これは使えるとは思っていないだろうと思えるものがあります。家元の「書付がもらえる」ようになるとそういうことをより考えるようになるだろうと想像します。
使う側にもほとんど考えない、教科書どおりを好む、自由自在などいろんな人、レベルがあるでしょう。
No.534したり尾2005-08-07 07:28:41.861579+09
整理していただいてありがとうございました。おおむね理解できました。そうすると、作家が育つか育たないか、使う側にも課題があるわけですね。
千家職方は、千家と一種の契約関係にあるから仕方がないとしても、その他の数ある作家の皆さんを育てる力というか、千家の影響下にはない茶人は、現代には存在しないのですか。
よき理解者、よきパトロンがあって作家は育っていくものです。
振り返れば、その意味でも安倍安人という人は恵まれているといえるのでしょうか。
No.535さむしろ2005-08-07 14:59:40.95707+09
もちろん表千家、裏千家以外に多くの流派がありますから、表・裏千家以外を学ぶ方たちも多いと思います。ただ全体からみれば少数派ではあります。
また、利休・織部の茶の湯にあこがれる方たちも多くおられると思います。ただ、その時代の茶の湯道具の数が少なくまた高価ということで実践するにはいたらない。同時に目利きとなることの難しさもその理由のひとつでしょう。

理解者により安倍安人が恵まれているとみるか、安倍備前に出会えた「理解者」が恵まれているとみるかですが、わたしは後者だと思っています。
パトロンについては、現代ではなかなかむつかしいような気がします…。
No.536マスター2005-08-08 09:44:31.936627+09
そういえば東予時代には見た事もない焼き味のものがとれた。そんな時、これは、これこれだと言って桃山時代の名品を見せてもらい、これはいい焼き味なんだということを学んだ、というようなことを以前安倍さんが言っておられたことを思い出しました。

そういうことを考えると理解者あるいは教え導いたり指針やそのヒントなどを与えてくれる人の存在は大きいですね。
No.537したり尾2005-08-09 07:55:23.225309+09
確かにいわゆるパトロンは、現代ではもはや存在する余地はないのかもしれません。
しかし、あれだけ一時は衰退産業だといわれた映画もかなり復活し、一般の投資家達も映画にさまざまな形で投資を始めました。すると、映画自身もますます面白くなってくる。いい回転を始めています。
今や焼き物に限らず美の世界は、完全に衰退産業になってしまった感があります。その中で、安倍安人のみが独り勝ちというところでしょうか。
しかし、いろいろな作家が出てきて、さまざまな応援者がいて(どちらが先か分かりませんが)全体として活気ある状況が生まれることを期待しています。
あるいは、美の世界にこそ構造改革が必要なのかもしれません。
No.538さむしろ2005-08-09 10:03:23.696647+09
確かに名古屋三越での備前二人展でも、安倍安人の強さが証明されました。
美の世界の衰退ですが、魅力のないものは残れないということではないでしょうか? 仮に「ものの持つ力」といいますが、以前はものの持つ力がわからなくても例えば人間国宝という四文字がつけばその作品に力があるがごとく飛びつく人がたくさんいたのです。
しかし当世では魅力が実感できないと手を出さない。たとえ駄作であろうと実感できるということが必要となったということではないでしょうか? 他にお金の使い道はいくらでもあるわけですから。

テレビでの巨人戦の凋落もその例ではないでしょうか。面白くなければだれも見ません。ただ野球そのものが飽きられたのか、あるいは今のプロ野球があきられたのか、わたしは後者だと思っています。
No.539したり尾2005-08-10 08:14:05.894783+09
日本のプロ野球の話は、大変分かりやすい例でした。それはそのとおりです。ただ「美」の分野では作家の死後、初めてその価値が高まるということがいくらでもありました。
よく「時代の半歩だけ前を行け。一歩前に進めば、世の中はもう理解してくれない」といいます。
もとより時代の後ろを歩いていたのでは話にならない。(焼き物をはじめ、多くの「美」の世界は、今、時代の後ろを歩いているような気がしますが)
私はもっといろいろな作家が出てきて、互いに切磋琢磨していくことが安倍安人のためにも、私たちのためにもいいように思うのです。
焼き物そのものが人々に飽きられているようでは、安倍安人の価値も正当に評価されないからです。
No.540さむしろ2005-08-10 20:30:59.132058+09
メトロポリタンのMさんが日本とアメリカの評価基準は違うということを言われたとの話しがありましたが、単なる流行ではない「ほんもの」の評価が出来る人達がある程度の数いないと、作る側も求める側も自己満足の世界で終わってしまうのではないでしょうか。
No.541したり尾2005-08-11 18:26:49.064321+09
いろいろ生意気なことを言いましたが、さて我々に何ができるとなると・・・。考え込んでしまいます。
No.542マスター2005-08-11 21:16:10.208284+09
生意気なことはありません。思っていること、思いついたことなんでも書いて下さい。
仮に書きすぎても訂正は自由です。
No.543さむしろ2005-08-11 21:42:30.090995+09
わたしはあまり心配していません。魅力あるものには心を惹かれます。
わたしは古唐津(桃山〜江戸初期の唐津焼き雑器、茶陶)が好きで、発掘の小皿を平盃などといって酒器にしたりしています。古唐津がもつ味わいには他の何物にもかえがたい魅力があります。
安倍さんのところへ行くと、同じような古唐津(浅くゆがんでいて盃にはならない)を茶巾台に使っておられます。3年、5年たっても変わりません。聞いた事はありませんが魅力を感じておられるだろうことはわかります。

わたしはあんまりむつかしく考えないほうがいいと思います。
良いもの魅力あるものは良い。
なんら魅かれるところのないものはいらない。
考えるとすれば「なんでいいんだろう?」ということくらいですね。
No.544マスター2005-08-13 19:21:51.847245+09
むつかしく考える必要はないとは思いますが、(好き嫌いは別にして)どこがいいのか、なぜいいのか、について広く知ってもらう必要があると考えています。

このHPでは桃山茶陶の名品について、その造形と焼成の秘密を解きあかそうとの試みが続けられています。いまだ多数に受けいれられるにはいたっておらず少数説だとは思いますが、このことが理解されないと安倍安人、安倍備前の正しい評価は定まらないだろうと思います。
No.545したり尾2005-08-15 18:59:09.872594+09
ずっと考え込んでるのは、次のようなことです。
結局桃山という時代は、世の中の大変革の時代で、だからこそ、新しい文化も誕生したのでした。
「茶」はその中でも最も革新的でいわば時代の最先端にありました。時代は少し下りますが、織部などは今もなお斬新で付いていけないくらいです。
もちろん、そういった作品を制作した作家も大したものですが、その作家を支えて支持した人々にも大変なエネルギーを感じます。
振り返って今の時代はどういう時代なのか、時代を生きている私たちにそうしたエネルギーはあるのか・・・。
そうしたことを、なんとなく考えてしまいまして。
室町末期や、平安末期、あるいはローマ末期にどこか似ているような気がします。いいのかな、こんなことで・・・。
No.546さむしろ2005-08-18 00:28:41.538313+09
暫く考えていましたが、あえて単純にします。
あの信長が天下統一の真最中にさえ茶道具狩りを行ったほど茶の湯・茶道具があの時代に占める位置は高く群を抜いています。ひょっとしたら時代を変えた鉄砲に次ぐほどの存在感ではなかったでしょうか。

その同時期に利休、織部の天才がいて、そしてそのひらめきを形にする天才が数人いた。役者が揃いそしてそれが可能な時代と重なった。

その後400年間現れなかったわけですから、今の時代だけを責めるのは少し酷かもしれません。
No.547したり尾2005-08-19 15:43:02.165064+09
歴史は河の流れのようなものです。緩やかに流れていく時もあれば音を立てて急激に流れる時もある。
急な流れの時は、政治も経済も、そして文化も何もかもいっぺんに変わってしまう。新しい価値が生み出されるのです。飛鳥も鎌倉も桃山も明治維新も、そして敗戦後もそうでした。
その時に必ず、あらゆるジャンルで多くの大変革者が登場します。
信長や秀吉、あるいは利休や織部の誕生は、偶然ではなく時代が求めたものでした。
そしてひとつの時代の終わりには文化も政治も経済も衰退し、人々は先の見えない不安に駆られます。
どうも私には現代はそういう時代のように思えます。
そして安倍安人は、その中で孤軍奮闘しているように思えます。それは安倍自身にとって不幸なことだろうともいます。あるいは彼は、次の時代の先駆けなのかもしれません。
No.548マスター2005-08-20 22:22:40.896609+09
話をさえぎってすみません。
今年のお盆、牛窓のアトリエに安倍先生を尋ねました。
備前二人展の後、二人展の疲れとたまった雑用でバテておられましたが、普段のペースにもどって、秋にむけての窯焚き中でした。
2時間半程の訪問でしたが、持参のおはぎに安倍先生愛蔵の茶碗で薄茶をいただきながら、いろいろと話をうかがいました。
初耳の新しい企画が進行中でビックリしましたが、今は公表を控えます。マスターはもの凄く楽しみです。
そう遠くない時期にお知らせできると思います。
No.549したり尾2005-08-21 13:10:04.808295+09
思わせぶりですね。そう言われると、気になって仕方がない。
No.550マスター2005-08-21 22:06:54.328011+09
発表はあと1ヶ月か2ヶ月か、そう長くはかからないと思います。もう少しお待ち下さい。

安倍さんは今年で67歳です。肉体労働ともいえる窯焚きがいつまで出来るか、10年後で77歳です。歴史に示された事実や冷徹な現実があることは認めざるを得ません。しかしもうすでにそのような、あえていえば「感傷」に浸っている余裕はないといったほうがよいのではないでしょうか?
幸い現在の安倍さんは次々と「イメージ」というべきか「アイディア」というべきか、湧き出ています。そのなかから創作意欲を掻き立てたものを「形」にする。
そして我々は少しでも多くの人たちに見て、理解していただける機会を提供する。とにかく行けるところまで走り続けていただきたい。そんなことを考えています。
No.551あしろ木2005-08-21 23:39:25.30498+09
とにかく一つでも多く、安倍作品のコレクションを増やしたいという欲望にかられる毎日です。(あおい)
No.552マスター2005-08-22 09:59:56.152449+09
お盆に師匠のO氏邸を尋ねました。床には松月和尚の「安楽」でしょうか、と根来瓶子に花が生けられていました。根来瓶子は鎌倉時代のものではと思いましたが、非常にいい状態で花もよく映えていました。
しばらくの間、先年亡くなった戦友ともいえる友人を偲びました。
その後、このものはらで話題になった算木花入れの話を持ち出しました。「算木はいろんな花がよく入るよ」と言いながら古裂で包まれた箱二つを持ち出してこられました。ひも解くと七官青磁と古丹波の算木花入れが出てきました。別に持ち出た花を生けて床に置き、それをみながら話を聞きました。「真の花」にこだわることはないんだな、というのが感想です。
小さい写真ですが別室に掲載しました。
No.553あしろ木2005-08-22 18:56:00.148894+09
根来瓶子は今までに本物を見たことがありません。
そのお師匠様は色々な道具を持っておられるようですね。(あおい)
No.554マスター2005-08-22 20:38:19.293094+09
マスターも、手に取ってみることができる状態で見たのは初めてです。
道具はいろいろお持ちです。当日も、他の何点かの茶碗を拝見しました。
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