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No.344 | マスター | 2005-05-26 17:19:05.847309+09 |
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ひとすじの清流 その6 創造性に満ちた画家・造形家としての彼は今までにもさまざまの 新しい手法を試みてきた。なかには極めて独創性の高いものもあっ た。しかし同時に鋭敏な審美家としての彼はよくあるように思い付 きのエスキースの段階で作品を世に出すことなく、そのほとんどを 潔よく捨ててきた。彼にとって桃山備前の力の前にそれらは捨つべ きものだったのである。 |
No.345 | したり尾 | 2005-05-27 11:41:14.947061+09 |
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これは、結果的にはそうはなりませんでしたね。 少々、焼き物の側からのみ、安倍安人という作家を見すぎていたのではないでしょうか。 私は、安倍さんのすべての作品を理解してうえで安倍備前を見ると、より深く理解できると思っています。 常々、安倍さんは「この道一筋は大嫌い」と言っています。そこがほかの作家と違うところで、面白いところです。 |
No.346 | さむしろ | 2005-05-27 13:05:15.441077+09 |
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小生は少し挑戦したあるいは挑戦中のものを見た事がありますが、ほとんどを知りません。うわずみだけを見ている感じですが、かえってその方がいいのかもしれないですね。 |
No.347 | あしろ木 | 2005-05-27 13:58:48.840268+09 |
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昔の事は想像の域を出ませんが 物故作家と違って現存作家は実際に作家に会って 事実を見たり聞いたり確かめたりすることができるのですよね (あおい) |
No.348 | マスター | 2005-05-27 18:28:41.449295+09 |
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ひとすじの清流 その7 その中で今回発表の「火襷文」の構想は十年も前から試みられ、 彼自身の厳しいセレクトをくぐってついに独自の手法として定着し たものである。この手法は備前焼の技法と表現の自然な無理のない 前進であり、大きな可能性を秘めていることは見ての通りである。 |
No.349 | したり尾 | 2005-05-27 20:12:30.873093+09 |
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この時代の安倍火襷は、第一期の頂点であったように思います。大変難しい技術をこなしていました。 そして、出川さんの予言どおり安倍火襷はさらに変化し、大変鮮やかなものになりました。 先日、東京国立博物館の古備前の火襷を見てきましたが、全体としては今の安倍火襷のほうが好きです。 ただ、どちらも肌の色が柔らかく美しい。火襷は、もちろん緋色も大事ですが、肌の柔らかさを語らなければいけません。あの色が暖かくなければならないと思っています。 それにしても火襷は難しい。ごまかしがききませんから。 |
No.350 | さむしろ | 2005-05-28 18:09:13.56812+09 |
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火襷文字紋鉢「花」、「長寿吉祥」を図録でみましたがいいですね。 ただ、最近は見ませんね。 |
No.351 | マスター | 2005-05-28 18:16:52.177296+09 |
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ひとすじの清流 その8 彼の作品の風格はどこから生まれるか。少し備前焼を見る人なら ばその作品の中に一点たりと桃山備前直写のものはないことに気付 くだろう。 |
No.352 | したり尾 | 2005-05-28 22:09:13.841658+09 |
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なんとか感想のようなものを言おうといろいろ考えましたが、やはりこれだけでは、なんとも言いようがありません。 |
No.353 | さむしろ | 2005-05-29 13:11:28.065025+09 |
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たしかにそうですが・・・。 ただ、以前は桃山写との話を聞いたこともあったが、最近は耳にしなくなった。安倍備前のどれか一つをとって、この作品の元となる備前はどれか? と尋ねてもどこにも無い。近頃では、「古備前写」と言うことが恥ずかしいこととなるほどに世間に対し知れ渡った。 |
No.354 | マスター | 2005-05-29 17:10:38.474802+09 |
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ひとすじの清流 その9 彼がわがものとしたのは桃山の形態ではなく桃山の心である。古 備前の名品ありと聞けば彼は千里を遠しとせずに実見し、一点一点 の造形、景色からヘラ目の一本一本の長短、深浅、角度まで彼は克 明に記録している。しかしそれらの精緻な分析と止揚を通して彼が 行き着いたのは結局、法則に従いながらしかも奔放自在な桃山の造 型精神であったのではないか。作品の造形がきっぱりとして何のた ゆたいもないのはそのためであろう。 |
No.355 | したり尾 | 2005-05-29 21:10:21.979392+09 |
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織部様式の発見はこうして生まれたのでしょう。 確かに数多くの名品を実際に手にとって見られています。この部分は、興味深いところです。 |
No.356 | さむしろ | 2005-05-29 22:16:22.199855+09 |
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そうですね。 「ヘラ目一本一本の長短、深浅、角度を克明に記録」した注意深さと観察眼が、安倍備前を築き上げることができた大きな要因のひとつでしょう。 |
No.357 | したり尾 | 2005-05-30 09:07:11.441489+09 |
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安倍安人という作家の面白いところは、「世に言われている常識」を疑ってかかるという点です。自分の目で確かめないと納得しない。納得できないと、さまざま工夫して実際にやってみる。その結果が、現在の安倍備前でしょう。 もうひとつ大事な点は、「なぜそうなったか」言葉で語ることができるという点です。安倍安人の中には、「なんとなく」はありません。 この二つの点は、ジャンルは違うものの安倍安人と出川直樹という二人の作家の最大の共通点です。 「きっぱりとして、なんのたゆたいもない」のは安倍さんも出川さんも同じことです。 |
No.358 | マスター | 2005-05-30 12:51:56.38645+09 |
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伊予西条のかわにしさんからお便りがありました。 No,280であしろ木さんが、ある画家の「自戒の言」を引用していたのには飛び上がるくらい驚きました。 何故なら、その画家は「安藤義茂」といって、わたしの画商生命を決定づけた作家なものですから。 画廊開設時の二十年まえから、極端にいえば安藤義茂一筋でやってきたようなものです。 絵画の安藤義茂。陶芸の安倍安人が当画廊の二本柱です。 そして、「自戒の言」のオリジナルをご遺族から譲り受け画廊で所持しています。 ご存知だと思いますが、5月13日〜24日まで、「今、何故 安藤義茂展なのか?」というサブタイトルで作品展を開催しました。 主催者が感動するくらいこの時期の展覧会としては大成功でした。過去にも例がないかもしれません。 生まれて初めて絵が欲しくなりました、初めて安藤作品を買います、という初見のお客さんが数人いました。 安倍作品に出会った初見の人と同じ感動の言葉です。 そして、画家安倍安人がもっとも評価している作家の一人です。 作品を買っていただいた方には自戒の言をコピーしてさしあげているのですが、みなさんやはり感動されています。 私方のコレクターはほとんど例外なく安倍作品、安藤作品に夢中です。このことも不思議といえば不思議ですが、 この二人に共通するのは、私が二十年来ずーっと見てきて、芸術(作品制作)に対する宗教者に近づくほどの執着心、研究心、 情熱、そして純粋さが一貫していることです。こんなタイプのアーティストは今の日本では皆無に近いくらいです。 美術品を扱う人、買う人、作家、この人達すべてに「今、何故、」を問いかけたかったのです。 あまりビックリして、ついつい長くなりました。すみません。 ではまた。 ギャラリーかわにし 塩出 洽 |
No.359 | マスター | 2005-05-30 18:23:25.552994+09 |
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ひとすじの清流 その10 そして誰もが驚くのがそのみごとな焼成である。湿潤で渋さの中 に底光りがするような肌合は桃山備前にはよく見られ、これこそ名 陶備前の名を高めた第一の要素だが、不思議にも現代ではこの焼成 ができるのは安倍安人以外には見ない。窯だけでも設計を変えて十 数回つき替えたという研鑽の結果といえよう。 |
No.360 | したり尾 | 2005-05-30 20:53:12.371864+09 |
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川西さんのお便りを読み、あらためてNO.280のあおいさんの引用文を読んで、植物学者の牧野富太郎の死の床でのエピソードを思い出しました。 牧野博士の亡くなるとき、後に文化功労賞を受賞された団勝磨というお弟子さんが立ち会いました。 牧野さんは団さんを見上げて 「団君。尾瀬ヶ原に行けば、必ず今探している植物が見つかるに違いない。尾瀬に行きたい。尾瀬に行きたい」と言っていたそうです。 これが牧野富太郎の最期の言葉だと、後に私は団さんから伺いました。 団さんは、よく「発見の喜びは、なにものにも換えがたいものがある。学問も芸術も同じだよ」と言っていました。 かわにしさんの言われるお二人の作家と共通するところを感じたもので、余計なことを書いてしまいました。 |
No.361 | あしろ木 | 2005-05-30 22:44:42.288784+09 |
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画家「安藤義茂」は第二紀会でグランプリを受賞するほどの画家でしたが「売るために描く絵は堕落した内容の作品になる」という理由で 生前は一枚も絵を売らなかったという画家です 売るための作品ではなく 自分が納得する作品を追求する姿勢は 安倍安人と共通しているのではないでしょうか (あおい) |
No.362 | したり尾 | 2005-05-31 15:15:40.148965+09 |
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安倍安人の場合は売るための作品です。 しかし、納得できなければ客を何年でも待たせてしまう。平気でそれができるところがすごいとも言えるし、安倍安人から見れば、納得できない作品が世に流通していることはつらくてできないのでしょう。 |
No.363 | さむしろ | 2005-05-31 15:40:36.893203+09 |
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安人は焼成・造形ともにすごい。「湿潤」「底光り」から、純度の低い「鉄」といっている。 濃く深い焼肌を求め繰り返し何度でも焼くという。桃山の「アーティスト」達は、金にいとめをつけない大名、豪商がついていた。安人は自らのアーティストとしてのプライドをかけて、電卓をたたきながら窯と土と懐とも闘っている(であろうとの想像)。 |
No.364 | したり尾 | 2005-05-31 15:59:42.574136+09 |
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産地としての備前という側面から見ると、多くの陶芸家たちは伝統という名の悪しき習慣に染まって、目の前に古備前がありながら自分で工夫してその焼き味を学ぼうとしない。代々受け継がれた焼き方でのみ焼いている。どうしても伝統の枠組みから抜け出すことができないのだろうと思います。 その意味で、安倍安人は前衛なのです。 |
No.365 | マスター | 2005-05-31 17:02:08.397028+09 |
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出川直樹さんに電話で、最近の安倍さんの作品について聞いてみました。 「数を見ていないので確たることはいえないが、昔とは大分違ってきている。これはこれで面白い。少なくとも、昭和以降にはないあがりだな。 名古屋の三越の展覧会までにちゃんと見ておくよ」とのことでした。 要するに評価しているが、ものを言うには慎重でありたいということでしょう。そのうちに、必ずはっきりとした彼の意見表明があるはずです。 |
No.366 | さむしろ | 2005-05-31 18:28:22.010334+09 |
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そうですか。それでは楽しみにして待っていましょう。 |
No.367 | マスター | 2005-05-31 18:36:30.227116+09 |
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ひとすじの清流 その11 古備前は数百年使いこんだからあの味わいが出ている、とよく言 われる。たしかに表面には汚れも油も着くだろう。が、実際には極 度に焼きの甘いものは別だが、しっかり焼けたものは少しも表面か ら浸みこまない。洗い落とせば元通りで瓦はいくら磨いても玉にな らないのと同じである。桃山の備前は焼き上った時から既にあの肌 合いを持っていたと思われる。玉は初めから玉であった。このこと は現にその肌合を甦らせた彼の作品を見れば明らかである。 |
No.368 | したり尾 | 2005-06-01 10:00:15.718487+09 |
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当然のことです。焼き締めとはそういうことです。 ただし、よく焼けている備前は、使い続けると輝きを増します。しかし、よく焼けていない備前は、ちょうど素焼きの植木鉢のように汚れが増すばかりです。 |
No.369 | あしろ木 | 2005-06-01 12:08:58.304984+09 |
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よく焼けている備前は少々のことではなかなか割れないそうですね 安倍さんが 気に入らなっかた自分の作品を割ろうと土間へ投げつけても割れずにころがったそうです (あおい) |
No.370 | さむしろ | 2005-06-01 16:45:31.441117+09 |
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わたしも昔は時代のせいにしていました。 |
No.371 | マスター | 2005-06-01 16:48:05.881879+09 |
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ひとすじの清流 その12 団体に属すこともなく、単独で精進する彼は知る人ぞ知る作家で あったが、その作品のレベルは既に現代備前の中での最高の位置に 達している。 ひとすじの清流はやがてその勢いを増すであろう。(完) |
No.372 | したり尾 | 2005-06-02 12:25:31.959743+09 |
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いい文章でしたね。 |
No.373 | さむしろ | 2005-06-02 12:51:48.846602+09 |
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15年前といえばほんの一部の人しか知らない存在であったであろう安部安人について、その作品の本質、確かさを見極めて評価した出川直樹さんの見識の高さを感じましたね。 こま切れでの掲載ではあったが流れるような文章で「名文」との印象でした。 |
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