茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ごゆっくり閲覧ください。
No.253さむしろ2005-04-24 21:12:00.786366+09
そうそう、生まれる経緯からつまり生もうと思ったときから違うんでしょうね。
その理解のことですが、書道を習い始めた頃、書き損ねたといって筆を入れ直すことはいけないことと教えられました。そのことが未だに残っているのかどうか、安倍備前の数度焼きをひが事として素直には受け入れられない人も多いかもしれません。
No.254あしろ木2005-04-24 23:20:44.171794+09
私が安倍備前と出会ったのは 安倍さんが「陶21」に論文を発表する以前でしたから 数度焼きとか造形理論とか 全く知りませんでしたので 目から入ってくる情報と 触れた手から伝わってくる感覚だけしか 判断材料がありませんでした
幸いにも それ以前に桃山時代だとされる茶壷に出会っていましたので それが基準になった訳です
何といっても 美しかったのです 現代の備前焼を見て 美しいと感じたのは はじめてでした
まさに 美術品だと思いました (あおい)
No.255さむしろ2005-04-25 09:43:37.94925+09
わたしは友人の家で個展カタログの徳利を見て「これはすごいな!」と思ったのが最初でした。第1回の壺中居での個展より前ですから、多分昭和の頃だと思います。強烈な印象でした。
No.256あしろ木2005-04-25 19:10:54.087575+09
その衝撃は たぶん私の体験したものと 重なる部分が多くあると思います
なんといっても 嬉しかったです  今こんな備前を焼く作家に出会えたことが!
それからは もうわき目もふらず 安倍安人にまっしぐら 知人からは 変人扱いされるほど・・・(笑い)
安倍安人ファン歴は さむしろさんの方が大先輩ですね
マスター さむしろさんに敬意を表して 庭に咲いていた 山芍薬を一りん手折って持ってきましたので ぜひ 安倍さんの花入れに入れていただきたいのですが (あおい)
No.257マスター2005-04-25 19:33:11.437538+09
これはこれはめずらしい花をいただいてありがとうございます。花入れをつけていただいたらもっとよかったんですが。(笑)

山芍薬はいい花で好きな花ですが、花入れがむつかしいですね。う〜ん、それでは、陶21に載っている「伊部舟徳利」に生けてみましょう。
No.258さむしろ2005-04-26 00:01:12.168091+09
山芍薬ですか!いいですね!伊部舟徳利も徳利といいながらアートであり大変な名品ですね。
山芍薬の蕾が開きかけたときはあまりにも清楚で、活けるときは邪魔にならない花入れであってほしいと願っていた、山芍薬を好きな花第一にあげる自分としては、安倍さん、よくぞこの花入れを造って下さった、という感じです。
あおいさんありがとうございます。
No.259あしろ木2005-04-26 09:30:20.586385+09
いいですネェー
山草愛好家の間では白花よりも紅花の方が珍重されていますが やはり 備前花入れには 絶対に 白花ですよね
山草の女王といわれるだけあって
この花入れにも力負けしないだけの 気品がありますね
大きな緑の葉と白い卵のようなつぼみが この伊部舟徳利によくはえて 凛とした雰囲気がただよってきました
安倍さんの花入れは とても力があるので 花も力負けしない 存在感のあるものでないといけないようです (あおい)
No.260さむしろ2005-04-26 20:31:13.112096+09
花入は好きで、古いもので手ごろの値段のものがあったときに何点か手にいれています。(ほんとうの手ごろ品ですから大した物ではありません)
また、野草、山草の茶花も好きです。しかし身の回りに花がないので、生けたことはほとんどありません。でも本当の理由は横着者ということだろうと思います。こまめにさがせば結構花を育てている知人もいますし、山だって近くにあるんですから。
No.261あしろ木2005-04-26 23:47:24.188802+09
私も以前はそうでしたが 安倍さんの花入れが花を育てて 花を愛でる心を芽生えさせたのでしょう
それにしても 伊部を初めて見た時は とても信じられませんでした
伊部という言葉さへ知りませんでしたから
おもしろい話があるんですよ
安倍さんの造形に感動して 伊部の作品を手に入れた知人が 陶芸の作家活動をしている方にそれを見せたら 真剣に「これは 油絵の具を塗っている」と言われて その言葉を本気にして 洗剤で洗ったけれど とれなかったそうです  (笑)  (あおい)
No.262さむしろ2005-04-27 09:50:05.202218+09
それはお笑いですね。
わたしも、伊部は江戸期につくられたもので、備前物としては二番手のものと習った記憶があります。それらに本歌があることなど、まったく知りませんでした。
ところで伊部の上がりにはいろんな上がりがありますね。東予、牛窓、横田によっての違いだけでなく、同じ東予、牛窓、横田間でもまったく異なる上がりがあります。
No.263あしろ木2005-04-27 20:28:46.979671+09
あまりにもさまざまな あがりがあるので よく理解できてません

頭の中で 混乱してるのですが・・・ (あおい)
No.264さむしろ2005-04-28 00:17:57.991208+09
もちろん伊部作品のなかにも好きの度合いの高い、中程度、普通とありますが、伊部はこの上がりでなければいけない、ということはなくって、それぞれ好いんです。
No.265あしろ木2005-04-28 20:14:08.804851+09
安倍さんの桶水指は 大変多様な造形 上がりのものがあって 魅力的ですね 
初めて桶を見た時に「こんな桶を作る作家がいるのか」と大変感動しました 
それは 赤紫に黄色のごまが流れて 玉垂れがきれいに底で止まっていました よくぞここで止まったものだ これは作家が意図的にしたことでしょうが 安倍さんは 穴窯の外から 焼け具合が見えていたのではないでしようか・・・   (笑) (あおい)
No.266マスター2005-04-28 20:16:19.918606+09
5月7・8・10日にメトロポリタン美術館収蔵記念「安倍安人作品展」が西条市総合文化会館であります。
内容がわかりましたら、またお知らせします。
No.267さむしろ2005-04-29 06:52:07.270511+09
伊部の黒あがり、紫蘇色あがりの明るいものから黒に近いものまでそれぞれいいし、苔むしたような名品もありますね。安倍作品をみると、すぐれた造形力、バランス感覚を感じますが、桶水指については加えて器用さを感じます。
胡麻が絶妙の位置でとまったものは感動ものです。
No.268あしろ木2005-04-29 23:02:36.006507+09
伊部の黒ひとつとっても つやのあるものと つやけしのものがあります
つやのある方はまるで漆の金蒔絵を見ているようなものがあります(これが備前かと信じられません)
一方つやのない方はとても侘び寂びを感じます
伊部象足みずさしのえのきはだを初めて見た時は 鳥肌がたちました
これも 伊部なのですね  (あおい)
No.269さむしろ2005-04-29 23:10:00.495609+09
そうなんです。それぞれいいんです。ただ、わたしは安倍安人を知ってから、けっこう永いあいだ伊部との出会いが極わずかしかなかったため、本当の意味ですごいと感じだしたのは、わりと最近です。
No.270マスター2005-04-30 18:18:12.353776+09
西条市総合文化会館での「メトロポリタン美術館収蔵記念 安倍安人作品展」の追加情報です。

10日は 中島誠之助氏の講演があります。
 演題「あなたにも分かるホンモノとニセモノ」
12時開場 12時30分開演
入場無料(整理券あり)
No.271あしろ木2005-04-30 21:47:19.521822+09
私は恵まれていたのですね
算木花入れ 水指 なす形茶入れ 茶碗等 伊部の名品を手にとってみることが出来たのですから
5月になれば 端午の節句
杜若がたくさん咲き出したので 切ってきました 
マスター 安倍さんの大皿に 「燕子花図屏風」をイメージして 株分けに生けてみようと思うのですが・・・  (あおい)
No.272さむしろ2005-05-01 13:40:45.840768+09
そうです。わたしなんか手に取って見る事ができた作品は数えるだけでしたよ。
造形についてですが、東予時代のものと現在のものではだいぶ変わったように思うんですがどうですか?
No.273マスター2005-05-01 15:49:38.259924+09
「いずれがあやめかかきつばた」とはよく言いますし、また「菖蒲」はなじみがありましたが「杜若」はなじみがなく、辞書で確かめました。お恥ずかしいしだいです。
かきつばたが咲き乱れている姿を想像しました。安倍安人の大皿ですか。いいですね。大皿は直径が何十センチかを超えると、焼成温度に差がでて割れやすいのでなかなかむつかしいそうですが、是非拝見したいものです。かきつばたの間に「牡丹餅」がみえたりするんでしょうね。写真を載せやすくできないか相談してみます。
No.274あしろ木2005-05-01 19:24:19.062574+09
東予時代は どちらかというと 侘び寂びを感じさせる造形が多いように思います
この10年間見てきた中では 造形は 常に変化し続けているようです
茶道具という約束事のある中で 安倍安人の造形が色濃く入ってきているようです
余談ですが 杜若は 古くから歌に詠まれ 恋や美女を歌い上げる時の比喩に用いられていて 名の由来は 「書きつけ花」が転じたもの 昔は杜若の花が染料として 布にこすりつけて(書きつけて)使われたから だそうです   (あおい)
No.275さむしろ2005-05-02 00:04:44.433446+09
わたしは、東予時代の造形を「硬い」と感じています。そして現在のものについては「動き」を感じます。また、それとは別に茶碗、預け徳利その他の作品の形自体も変わってきていますね。次回もう少し詳しく書きます。
No.276あしろ木2005-05-02 23:26:51.319641+09
「硬い」という言葉を聞いて 以前安倍さんが 「川原にころがっている石のようなあがりがいい」というようなことを 言っていたのを思い出しました

現在のものには 「動き」を感じるというのは 同感です
アーティストの作品ですよね  (あおい)
No.277さむしろ2005-05-03 09:06:32.638582+09
川原の石ころですか。安部さんの解説を聞いてみたいですね。
一部の作品しか見ていないので、どこまで当たっているかわかりませんが、東予時代の作品は「証明写真」、現在のものは「スナップ写真」の感じです。別の例えで言えば、前者は二十歳の青年の「阿波踊り」で、後者は熟年から老年の変幻自在な「阿波踊り」というイメージですね。
安倍さんがコンテンポラリーを始めた頃を境に造形が変わってきたと感じています。
侘び寂びのことですが、あおいさんが言われるように東予時代のもののほうがより侘びとか寂びを感じますが、これは造形からくるというより焼きからきているんでしょうね。
No.278あしろ木2005-05-03 21:59:39.841723+09
とてもおもしろい例えでわかりやすいです
うーん 東予時代の造形は 少しかしこまった感じでしょうか
現在は「桃山」から解き放たれて 現代作家 安倍安人の造形が
出てきているように思います それが 変幻自在な「阿波踊り」と感じさせるのでしょうね

コンテンポラリーの油絵や平面を見ると 今の立体作品(備前焼)と同一作家の作品だなあと思います (あおい)
No.279さむしろ2005-05-03 22:58:47.2029+09
安倍さんの話を総合すると、どうもその当時(東予時代)は古備前を目指しておられたようなふしがあります。わたしが安倍備前に惹かれたのも古備前に通じるあの味であったし、知人も同じ理由からでした。
最初の動機がそうですから、安倍さんがコンテンポラリーを造りはじめたことには抵抗がありましたし、本人に直接反対だということを言う人もいました。しかしそれを境に、安倍さんの造形が変わったように思います。
No.280あしろ木2005-05-04 23:19:47.521166+09
私が安倍備前に出会った時にはもうコンテンポラリーを始めていたのだと思います 私がはじめに惹かれたのも やはりあの土あじと焼きあじでした (造形については よくわかりませんでした 後になって造形力のすごさに感銘することになるのですが)

安倍安人の芸術家魂に通じるところがあると思った ある画家の 「自戒の言」と題した言葉を紹介します

「画道は天へ通ずるの道なり 無窮の道なり 永久にもとめても得られぬ事実を確認しながらも 満足すべき自己の安住の地を 飽くまでもと 求めてやまぬが 画道を行く旅人の姿である
 中略 時に一解一法を得たりとするも それは単に道中に於ける嬉しき休息所たる 美しき緑陰 清泉と言ったものに直面したに過ぎず いずれの休息所にも 相当の果実と花が付随するであろうが 旅人は適当に空腹と渇きとを癒したら 更に先途へむかって邁進するべきである

 中略 画道の行者たるの資格は 自己自体が発火体でなくてはならぬ たきつけられて燃える式のものであってはならぬ いかなる所に いかなる状況のもとに置かれても 常に盛んに自燃する体のものでなくてはだめである 
熟練の極致における冴えと妙味は常識の中に生まれるが 新規なものと言うのは おおよそ常識の外にあるものである

 中略 熟練は万人に望み得るも 新規なるものは 唯一人の選ばれた行者によってのみ発見され創(はじ)められるものである」  (あおい)
No.281さむしろ2005-05-05 15:21:51.462204+09
焼きや土味は古美術をやっておられたため解かることが出来たと思いますし、造形は解からないまでも感じることは出来たということでしょう。造形が「解かる」ということは、相当な素養それも専門的なものがないとむつかしいのではないでしょうか。そうでない場合は正しい説明を聞く、ということが理解への近道でしょう。
自戒の言は難解ですが、「画道にはこれでいいというところはない」ということでしょうか?
No.282あしろ木2005-05-05 21:39:17.614214+09
そうだと思います
だから安倍さんは 人に言われたり 人に求められたりしたものを造るのではなく 自分が造りたいものを造り続けるのではないでしょうか  (あおい)
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