茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ゆっくり閲覧ください。

No.687さむしろ2009-03-22 14:22:08.697763
ジョアン・ロドリーゲスの日本教会史から。

むしろ、少なく約束して、多く実行し、阿諛を少なくして奉仕するところを多くし、服装にしても、さらに彼らの使う手廻りの品物にしても、堅固で、頑丈で、虚飾がないようにし、万事にわたって常に節度を保って、自己の技倆や力量を誇示することなく、そして、有り余るよりも、むしろ足りない方をのぞむのである。
No.688さむしろ2009-03-23 10:52:18.859601
ここまでくると、現代の多く(ほとんど)の茶人さん達は恥ずかしくなるのではないか。

No.689さむしろ2009-03-24 19:46:10.937328
当時、どこまでそうであったかわからないが、結構実践されていたのかもしれない。

この日本教会史編纂は、ローマのイエズス会本部の命により、1620年からマカオでジョアン・ロドリーゲスによって進められたという。

ジョアン・ロドリーゲスは、日本教会史の記述が日本の権力者の目に留まるといった懸念なく、記憶どおりの記述が可能であったと思われる。

ジョアン・ロドリーゲスが自ら見たとおり、聞いたとおりが書かれていると考えてよいのではないか。
No.690さむしろ2009-04-04 12:29:35.611186
ジョアン・ロドリーゲスは随分と詳しく記録していて、それぞれ成る程と納得のゆくものであるが、新鮮に感じた。

それに対して、古い茶書ではどのように伝えられていたか。

山上宗二記ではどうか。ということで、この十日間程「山上宗二記」を探していた。しかし、あるはずのものがどうしても見つからない。

やむを得ないので「珠光一紙目録」の紹鴎追加の条から紹介する。

「一物をも持たず、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ」この三か条のととのった者を「侘数寄」という。

とある。
No.691さむしろ2009-04-05 17:13:09.678236
「胸の覚悟」とは、茶に対するゆるぎのない所信とか、心ばえをいったものだという。

ジョアン・ロドリーゲスが多くの字数を用いて説明したことを、このひと言でいい表している。

言い換えれば、このひと言で理解しなさい、ということで、当時の美意識であろう。
No.692さむしろ2009-04-06 18:33:11.596166
なかなか面白いのでもう少しジョアン・ロドリーゲスの日本教会史から紹介する。

「茶室へ行くのに通る林と露地とを造るに当っては、遠隔の地から、ある種類で一定の形状、恰好をした木を探し求めて、そこに植えつけ、それらの木が根づいて、そこに自然に生じたような林となるまでには、多くの費用がかかる。」

No.693さむしろ2009-04-07 18:00:38.677809
特に、露地に敷きつめる石には金がかかる。
・・・自然に出来たようであって、ある特定の種類に属するもので、それらをきわめて遠方の地から探し求め、莫大な金で、選んで買い入れる。

茶の前の宴会(懐石)では、・・・貴重で高価な材料を使い・・・、新鮮な鶴一羽・・、最高で、最も貴重な魚とか、・・・。年中頻繁に行われ・・・、そのことだけ必要な料理人や特別の食器類にも大金が費やされる。
・・・公的なものとは別であって、・・・清浄に保ち・・・万事丹精をこらすのである。
No.694さむしろ2009-04-08 17:58:16.85092
そして、腰掛の説明があり、

そのほかに、支柱を加え、細竹で造ったきわめて清浄な便所もあって、それは特殊で手間がかかり費用も要する建物である。

下腹雪隠、砂雪隠のことであるが、雪隠のこともよく理解していたようである。
No.695さむしろ2009-04-09 17:22:46.741295
葉のままの茶そのものについていえば、それが貴重で最上のものなので、それに相当した多額の金を要する。

数寄の家では、普通の品や中位の品を出す事が出来ないからである。それぞれ、茶葉を詰めた壺を四、五個用意して置く。

その他にも炭や絹の衣類、茶を行う人に遣わす贈り物があり、これ以外にも別の支出がある。
No.696さむしろ2009-04-11 17:49:15.701214
このような貧弱さというのは、甚だ贅沢で豪奢なものであって、最初に見て思うほど見苦しくはない。

しかも、あまりにも贅沢なので、貧乏人からは遠ざかり、また、あまりにも貧弱なので、富者も権力者も、辛うじてそれに堪えることができるほどである。

No.697さむしろ2009-04-12 17:41:21.365149
「数寄の和尚と呼ばれる数寄の頭領および師匠について」という節

真の数寄を本業とする人の中には、全ての点で他の誰よりもすぐれた人が必ず一人いて、そのために他の人から重んぜられ、尊敬される。

芸道の師匠や頭領であり、それは禅宗を真似て、俗に数寄の和尚と呼ばれている。
No.698さむしろ2009-04-13 18:56:47.646295
「天下一」について。

ある者たちは、自分たちを認めてくれる者がいなくて、かかる者として自分で名乗り、天下一を自称する。

それは、その道にかけては国内一、すなわち頭領の意である。これらの人々は自分の家の戸口に看板や表札を掲げるのが習慣となっていて、毛筆屋であれば、筆天下一と書いて置く。

自信がある人は、その道の第一人者から天下一の名をとろうとして立ち向かうのである。

都では、多くの人々が行きかう広場、大通りにつぎのような立て札をたてる。

「某地の何某、日本国中、すなわち天下の剣術の達人、某通りに居住す。異議ある者、挑戦を希望し、木刀または真剣を以て試合したい者は申込まれたい。」

No.699さむしろ2009-04-14 15:48:33.08913
室町時代頃から天下一と勝手に称していたのを、信長・秀吉時代になって免許制にした。徳川幕府は1682年にこれを禁じたという。

No.700さむしろ2009-04-15 17:34:31.112152
数寄の師匠および頭領については、すべてにすぐれているこの段階に達するために、その職務に適応する資質と多くの能力とを身につけなければならない。

No.701さむしろ2009-04-16 17:18:53.295819
茶の湯が好きであればよいというものではなかったようだ。

第一には、この道に携わる人々の持つ、前述した資質とすぐれた習性とを、その人柄と行動において、他の人よりもすぐれた、かかる人物として人から考えられるほどの段階において、持っていなければならないのである。

No.702さむしろ2009-04-17 19:10:19.53808
第二には、僻地の隠者と瞑想者のように、さ事や雑事から遠ざかり、果断で確固たる勇気を持たなければならない。

No.703さむしろ2009-04-19 18:05:08.727243
第三には、それぞれに適応し、また場所や時間やその他個々の情況に適応するように、物事を見てその調和を見つける最もすぐれた判断力と鑑識眼とを持たなければならない。

No.704さむしろ2009-04-20 13:03:44.936978
第四には、数寄にとって付随的な事柄を、時と場合に応じて、その目的に適応させて、新たに考案し、そして、その時まで行われていた他の点を取り除かなければならない。

No.705さむしろ2009-04-21 18:20:01.665185
第四では次のように続けている。

人を退屈させないで精神を一新させるためには、付随的な事柄には常に多様で変化があるようにし、何事につけても、常に、人工、技巧、華麗さ
    ―それらは結局退屈させ嫌気を起こさせて、自然に合致しない事になる― 
を避ける。なぜなら、もし大きさと形の同じ二本の木を植えるのに、人工的に、その一つを他方の前に置いて相互に対応させると、終には退屈させ、嫌気を生じさせるからであって、その他のものについても同じことがいえる。

それに反して、無造作で自然さの現われたものは決して退屈させない。 ―略― 

それは、経験が教えるように、その中には常に新しいものが見出されるからであって、人工的なものにはそれが欠けていて、ただ最初見た時だけよく見えても、永く見続けると嫌気と飽きがくるものである。
No.706さむしろ2009-04-23 18:00:01.452762
第五には、数寄にとって貴重で不可欠な昔の器物、たとえば大小の壺、深鍋、磁器、絵画について、たとえよく似た品であっても、そのことを見誤ることのないように、真の知識を持たねばならない。

No.707さむしろ2009-04-24 18:02:25.195359
それらの器物の中で、あるものは可とし、あるものは不可とし、どれがすぐれており、最高の品であるかを見誤ることなく、それぞれの長所と短所を知らねばならない。  ・・・・・  。

熟練者の間では一般の人の知らない隠された規準と知識を持っていることが明らかに推察される。というのは、たがいに知っていなくて、皆が同じことを判定するからである。

No.708さむしろ2009-04-26 20:06:37.05774
これらの人々こそは家の形を場所と必要に応じて大きくも小さくも変えることができる人々なのである。

・・・・・建物、道具、器物などになまぬるさ、優柔さの感じを与えることなく、使用に耐えうるよう作らせることにかけては、他に並びない人たちである。

No.709さむしろ2009-04-28 20:39:07.596255
従って、彼らの作るものが目新しいにしても、見た目を楽しませてくれるのは、単に彼らが持っている知識から出て来る想像力や判断によるだけでなく、各部分がそれ自身に備えている自然な調和によるところが大きい。

No.712さむしろ2009-05-07 23:21:53.090672
この日本教会史を著したのはジョアン・ロドリーゲスである。ローマのイエズス会本部が日本管区における実地の経験者の手で日本教会史を編纂することに乗り出したのは1610年頃。

最初に編纂担当者として白羽の矢が立ったのはマテーウス・デ・コーロスという人であったが、本人の意欲にかかわらず結局辞退することになる。
No.713さむしろ2009-05-08 18:08:34.532784
ジョアン・ロドリーゲスは、1620年頃からマカオにおいて編纂を始める。

ジョアン・ロドリーゲスの来日は、推定1577年。1588年には日本語での説教が出来るほどに日本語に堪能になっていたという。
No.714さむしろ2009-05-11 21:28:05.452617
「私が日本語を知っているので、聖なる服従が、私をして太閤や重臣の前で、わが会のために、また日本のキリスタンのために折衝の任に当たらしめている」と、1598,2,28の書簡で述べている。

No.715さむしろ2009-05-12 17:36:33.534345
1591,3、聚楽第における晴れの謁見式は、ロドリーゲス通事の終生忘れられぬ事件であった。

秀吉から絶大な愛顧を受けたほか、重臣の京都所司代前田玄以その他とも近づきを得た。

ロドリーゲスは通事としての機会を利用して、有力な諸将に接近することができた。そして好奇心を持った知識階級の者には、ヨーロッパにおける学問上の新知識を以て対し、興味を引きながら布教の本分も忘れなかった。
No.716さむしろ2009-05-13 11:54:37.223511
1601年、最終の誓願を立てたロドリーゲス通事は、日本管区の会計係となり、名実共に日本イエズス会を代表する地位についた。

No.717さむしろ2009-05-14 16:49:13.613879
1610年の長崎におけるポルトガル商船焼打ち事件は、ロドリーゲス通事に決定的な打撃を与えた。

つまり、30年を超える日本滞在に結末をつけることになる。

このことにより、ロドリーゲス通事はマカオへ去って宗務に直接関係することのない自由な身分となったが故に「日本教会史」を書き残すことができた。

No.718さむしろ2009-05-20 19:42:55.295433
長々と引用してきたが、ロドリーゲス通事が想像以上に茶の湯に精通していたことには驚いた。このことは、ひとりロドリーゲスに限った事ではないと思われる。

もう一人の執筆候補者であったコーロスのほか、多数の宣教師達も布教とともに情報収集の役割を担っていたと想像したい。
No.719さむしろ2009-05-21 17:50:32.309564
日本教会史に書かれたこれらのことは、ジョアン・ロドリーゲスが自ら見たとおり、聞いたとおり、記憶のとおりが書かれていると考えてよいと思われる。

No.720さむしろ2009-05-23 17:50:05.985294
渡来宣教師と利休や織部との直接のかかわりがあったとの手がかりが出てこないかと期待していたが、それらしきものは出てこなかった。

用いられるものは全て、・・・なんら人工を加えることなく、・・・自然のままであって・・・、NO674
・・・表面に見せようとせず、・・・技巧をもしめさないようにし、・・・、NO684
人工的なもの、・・・外面的な装飾を嫌う、NO685
人工、技巧・・・を避ける。NO705

と、人工的技巧的なものを嫌うことを繰り返し述べている。このことからロドリーゲスやその周辺の人々には「織部様式」の造形は知らない世界だったようだ。
No.721さむしろ2009-05-24 21:58:30.511176
もっともロドリーゲスやその周辺以外にも多くの宣教師達が渡来し滞在していたようなので、だれが、利休、織部にヒントを与えたのかについては想像もつかない。

利休あるいは織部が宣教師達との話の中から、彫刻における造形を学び、これを茶碗に応用した。
No.722さむしろ2009-05-25 18:46:29.168334
茶陶制作にかかわる部分は、利休、織部、長次郎一族のみが知るブラックボックスの中のことで、ヒントを与えた宣教師も、造形に利用されたことは知らなかったのではないか。

No.723さむしろ2009-05-26 18:02:12.017326
いずれにしても想像の域を出ないが、茶の湯者の少なくとも幾人かと宣教師達の幾人かには接点があったことは間違いない。

その接点を介してヨーロッパ文化が入ったことについてなんの不思議もない。
現に「有力な諸将に接近することができた。そして好奇心を持った知識階級の者には、ヨーロッパにおける学問上の新知識を以て対し、興味を引きながら・・・」(NO715)と、ヨーロッパの新しい知識を、日本の有力諸将の気を引くために利用したことを述べている。

伝えられたヨーロッパ文化の中に彫刻に係わるものが含まれていたことも容易に想像できる。

No.724さむしろ2009-05-27 17:53:42.227679
初見の作法があったので紹介する。
普通、客は、最初に席に入り(初入りという)と、炭点前、懐石の後、いったん退出する(中立ちという)。その後、再度席入りをして(後入りという)、濃茶、薄茶の順にいただく。というのが順である。

後入りの後、主人が出てきて、茶を飲みたいかどうかを聞き、客人が礼を述べて飲みたいというと、主人は必要な器物を持って来る。

もし貴重な小壺を持っているならば、挽いた茶をそれに入れ、絹の小袋に包んで持ってきて、それから袋を取って小壺を置き、茶碗を洗ってきれいにし、その茶碗の中に竹製の匙で茶を入れる。

粉を小匙一杯注いで「どうぞ皆様方薄い茶を召し上がって下さい。それは悪い茶ですので」という。

その時客人は、それが上等なものであって、濃くして飲むものだと知っているので、濃くするように主人に頼む。

そこで、主人は十分なだけさらに茶を加えて、その用途にあった器(柄杓)で深鍋(釜)から湯を汲み取り、たいそう熱い湯を粉の上に注いで、竹の刷毛でかきまわす。・・・。
No.725さむしろ2009-05-28 18:03:01.962101
主人は、十分に吟味した自信のある茶を出したはずであるが控えめに「悪い茶ですので」といったものである。今でも、お土産を持参したときに「お粗末ですが」という。

これまでこのような言い方をしていたということは聞いた事がない。

広く行われていたのか、あるいは一部の茶の湯者にのみ行われていたのかわからない。
No.726さむしろ2009-05-30 18:29:16.814746
物の見方について、強い、弱い、固い、すねい(機敏な、活発なの意)ぬるい、等等がある。

誰もが気付き得ない甚だ微妙なありのままの性質ばかりでなく、真によいものと欠陥とは相似ているので、それを識別するようにする。

その欠陥はある事柄では真の欠陥であり、他の事柄では、数寄の目的に対してだけ欠陥であり、他の目的に対してはそうではないからである。

といったことも書いている。
No.727さむしろ2009-05-31 18:09:47.774443
数寄者は、時と人によって、事柄の上で守らねばならない調和と一致に留意する。
ー略ー
すべてが自然の道理と自然への順応によって行われるようにする。従って、事物の自然な調和と一致を知るという点に、数寄の主要な学問がかかっている。


そして互いに、主があるいは客が行う数寄の仕方によってその知識をはかるという。


招待を受けた人は、その家の主人が行うすべてのことに注意を配り、その後で、誰某の数寄はぬるいとか、すねい、長けた、初心、尋常な、または、似合わぬなどと言い合う。

それは、招待、部屋の飾り付け、道具類に、この芸道に関して理解していることのすべてに及ぶ。
No.728さむしろ2009-06-01 19:41:21.972321
少し前後するが、次のようなことも言っている。

しばしば彼らは(複数の数寄の師匠および頭領をいう)それと気付かないで、同じ道に練達した昔の人たちが証明したものについて判断を下して、良いものを是と認め、欠陥のあるものを非として、同じことを後からいったのである。
そのことから、熟練者の間では一般の人の知らない隠された規準と知識を持っていることが推察される。というのは、たがいに知っていなくて、皆が同じことを判定するからである。


多分、何故、是でありまた非であるかの説明はしないまま「良い」とか「ぬるい」「すねい」などと評価したのではないかと思われる。また、その評価の規準も教えなかったのではないか。

No.729さむしろ2009-06-02 19:16:07.577634
次のように書いている。

数寄を本業とする人すべてが、真の数寄者ではないことは確かである。
これらの調和と一致に関する真の知識に達することは容易でないからであって、特に、この道の師匠は言葉で教えるのではなくて、実際の行動をもってするので、多くの者は自分の行うことの理由がわからないで、師匠を真似るにすぎないからである。
そして、この知識を身につけた人の中でさえ、段階に高い低いがあり、異なった意見も見られる。
しかし、異なった意見もこの道における熟達者が見れば高低の判別がつく。

No.730さむしろ2009-06-04 19:01:43.856605
これまで多くの引用をしてきたが、最後に次のように記している。

かくして、数寄は三つの主要で不可欠の要素を持っており、その他はすべて付随的で決まっていない。

第一はすべてにわたる最上の清潔さである。(外から目につかない所も含めて。)

第二は田舎風の孤独と飾り気なさであって、あらゆる種類にわたって多くの無駄なものから遠ざかることである。

第三の主要な役割は、自然的なものと人為的なものとがそれぞれに数寄の目的に対して持っている自然な調和と一致、隠れた微妙な性質に関する知識および学問である。

No.731さむしろ2009-06-04 19:19:46.298171
最後の最後になってでてきた。

高山ジュスト(高山右近、1552-1615)はこの芸道で日本における第一人者であり、そのように厚く尊敬されていて、この道に身を投じてその目的を真実に貫く者には、数寄が道徳と隠遁のために大きな助けとなるとわかった、とよくいっていたが、われわれもそれを時折彼から聞いていたのである。


ロドリーゲスの知識の多くが高山右近からのものであったことがはっきりした。

当然のことながらはしょりながらの引用で、正しく伝えられたかどうか自信はない。興味のある方は、ぜひ「日本教会史 上」をお読みいただきたい。

No.732さむしろ2009-06-05 10:30:55.816375
動画「桃山茶陶の焼成と造形」の再掲載が始った。

動画では、安倍さんが、職人ものとアーティストものの違いをいろいろの角度から解説しておられるのでご覧いただきたい。

ここでも動画を見直しながら気付いたことを書き込んでいきたいと思っている。
もしメールで質問をいただけば、安倍さんに尋ねて、ここで回答をすることもできるので、質問があればメールをいただきたい。

No.733さむしろ2009-06-06 17:07:29.642528
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第1回)

聞き手はこの時、職人ものとアーティストものがあるという考え方は初耳であった。

安倍さんは、アーティストの世界と職人の世界は分けて考えないと、真実は見えないし理解出来ないと言っている。

聞き手は、多くの犠牲をいとわず一点の名品を求めたのかと思い尋ねたが、それは違っていた。

また、同一のデザインのものを複数点制作し、その内の最上のものを取り上げ、他のものは壊したのかと言う意味の質問をした。

百点、二百点と言ったのは作品の数のことであり、七十点、八十点というのは、百点満点のうちの出来具合の70点とか80点の意味である。

安倍さんは、一点しか造らないのだから、同形の作品で満点出来のもの、80点出来のもの、50点出来のものが同時に存在することはないといっている。

No.734さむしろ2009-06-07 14:36:25.740285
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第1回)

安倍さんは、まず設計図があって(必ずしも実際の図面という意味ではなく、このような形(造形へラ目を含め)でこのように焼くといった、出来上がりのイメージ図だと理解)、それにそった作品を一点作り、設計に沿って焼き上げていく。一つの設計図に基づいて造るのは一点のみだという。

安倍さんは、太郎庵を例にあげ、あくまで太郎庵はこう云う設計の元にこう作らせている。沢山作って一点取るのは職人の世界であって、太郎庵の場合は一点しか造っていないので破片も絶対ないと思う。この太郎庵は、焼いたのも、出て来たのも、残っているのも、これ一点限り。だからこれはアートなんです、と説明。

聞き手はやっと合点がいき、アーティストものについての解説をお願いすることにした。
No.735さむしろ2009-06-08 19:22:59.588045
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第2回)

職人が作るものの場合は、焼けてさえいればよく、景色がどうこうということはない。実用にたえうるものであればよいのである。

つまり、堅く焼き締まってさえいれば十分である。逆にいえば、必要以上に焼くことは薪の無駄である。
No.736さむしろ2009-06-09 19:23:39.220121
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第2回)

これに対しアーティストが作るものの場合は、設計図にある「焼なり」あるいは「焼き味」になるまで何回でも焼く。

そしてその焼き味の(仕上がり具合の)違いは一見してわかるという。

No.737さむしろ2009-06-10 18:33:36.688176
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第2回)

その評価も、職人ものは数百万、アーティストものは数億円というくらい違う。
中間ということはなくて、随分極端のようだ。ただ、このことは備前についての話であって他はわからない。

例えば、志野の名品といわれる「卯の花垣」や「峯の紅葉」などは数億でも動かないが、普通の古志野茶碗で数千万という話を聞いたことがある。つまり古志野茶碗は職人ものでも数千万円以上と聞いている。
No.738さむしろ2009-06-11 17:18:28.755875
動画 桃山茶陶の焼成と造形(第2回)

「何回でも焼く」と書いたが、どうしてそのようなことがわかるか?このことは、先日まで掲載していた動画「公開!The備前−安倍備前の全貌−」をご覧になった方は解かると思うが、例えば上から下に流れる胡麻の上に横切るように胡麻が流れているといったことがみられる。

上から下への胡麻の流れからは、器物を立てて焼いたことがわかる。横切るような胡麻の流れからは、器物を寝かせて焼いたことがわかる。このことから、一度は立てて焼き、その後もう一度寝かせて焼いたことがわかるのである。

このことについては後で安倍さんの解説がある。


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