茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ゆっくり閲覧ください。

No.1039マスター2010-10-24 18:25:43.874483
 彼がわがものとしたのは桃山の形態ではなく桃山の心である。古備前の名品ありと聞けば彼は千里を遠しとせずに実見し、一点一点の造形、景色からヘラ目の一本一本の長短、深浅、角度まで彼は克明に記録している。しかしそれらの精緻な分析と止揚を通して彼がいき着いたのは結局、法則に従いながらしかも奔放自在な桃山の造型精神であったのではないか。作品の造形がきっぱりとして何のたゆたいもないのはそのためであろう。
No.1040マスター2010-10-25 17:44:04.334366
そして誰もが驚くのがそのみごとな焼成である。湿潤で渋さの中に底光りがするような肌合は桃山備前にはよく見られ、これこそ名陶備前の名を高めた第一の要素だが、不思議にも現代ではこの焼成ができるのは安倍安人以外には見ない。窯だけでも設計を変えて十数回つき替えたという研鑽の結果といえよう。
No.1041マスター2010-10-26 17:43:24.521866
 古備前は数百年使いこんだからあの味わいが出ている、とよく言われる。たしかに表面には汚れも油も着くだろう。が、実際には極度に焼きの甘いものは別だが、しっかり焼けたものは少しも表面から浸みこまない。洗い落とせば元通りで瓦はいくら磨いても玉にならないのと同じである。桃山の備前は焼き上った時から既にあの肌合いを持っていたと思われる。玉は初めから玉であった。このことは現にその肌合を甦らせた彼の作品を見れば明らかである。

 団体に属すこともなく、単独で精進する彼は知る人ぞ知る作家であったが、その作品のレベルは既に現代備前の中での最高の位置に達している。

 ひとすじの清流はやがてその勢いを増すであろう。(工芸研究家)



出川氏がすでにこのとき、

「備前の水指に色絵を焼付ければ即伝統打破である。要はその手法や表現がその場かぎりではなくそののち大きな展開の種となり得るかどうかであろう。」

と、彩色に触れていたことをすっかり忘れていた。
出川さんが言う視点も頭において、10月31日からの「安倍安人展」を見に行きたいと思う。
No.1042マスター2010-10-28 18:13:20.581935
ミウラート・ヴィレッジでの準備が進んでいるようです。
ギャラリーかわにし さんのHPにUPされています。

http://www.g-kawanishi.com/category/box/
No.1043マスター2010-11-01 22:25:13.47783
陶の達人 安倍安人展 が、会期10/31〜12/5で始まりました。

開展式を芝生の庭園で予定していましたが、生憎の雨で室内で行うこととなりました。
No.1044マスター2010-11-01 22:33:26.065283
代わりの屋内会場は体育館です。

百名近い出席者のもと、館長さんのご挨拶のあと、安倍さんの挨拶がありました。
No.1045マスター2010-11-01 22:37:57.147425
開展式のあと展示場へ移動し、作品鑑賞です。
No.1046マスター2010-11-02 21:52:49.967642
展示作品は、備前のほか、
No.1047マスター2010-11-02 21:54:16.839881
油絵。
No.1048マスター2010-11-02 21:56:40.836075
ブロンズ。
No.1049マスター2010-11-02 22:02:36.917953
デッサン。
No.1050マスター2010-11-03 13:30:43.21129
陶、ミクストメデア、
(ウィキペディアによると、ミクストメデアとは、美術において、一つの作品あるいは制作にあって、複数のメディア媒体を用いた技法のことである。媒体の合成であって、その作品も指す。 とある)
No.1051マスター2010-11-03 13:44:07.478556
備前大皿。径52×11p
この大きさになると、焼成時の窯の中で、火前と後ろの温度差から作品が割れやすいため、このような完品は大変むつかしく、また胡麻もすばらしい。
No.1052マスター2010-11-03 13:49:47.22336
火襷文字文大皿。上の備前大皿とほぼ同寸。

No.1053マスター2010-11-04 19:14:20.181834
備前水指。
No.1054マスター2010-11-04 19:15:10.301671
備前水指。
No.1055マスター2010-11-04 19:15:57.151027
備前水指。
No.1056マスター2010-11-04 19:16:51.074064
伊部水指。
No.1057マスター2010-11-05 18:37:45.159477
徳利。
伊部鉢。
No.1058マスター2010-11-05 18:40:31.280712
陶、ミクストメデア。
No.1059マスター2010-11-05 18:42:51.703669
油絵。
No.1060マスター2010-11-05 18:43:34.071467
油絵。
No.1061マスター2010-11-05 18:44:13.107581
館内風景。
No.1062マスター2010-11-06 18:07:29.296598
館内風景。
No.1063マスター2010-11-06 18:08:43.487729
館内風景。
No.1064マスター2010-11-07 18:39:07.569705
陶、ミクストメデア。
No.1065マスター2010-11-07 18:42:10.592798
油絵。
No.1066マスター2010-11-08 19:12:21.704647
火襷水指。
(ブレています。)
No.1067マスター2010-11-09 11:33:55.436757
瀬戸内国際芸術祭も予想外の驚くほどの観客動員で終了した。
若者達のお祭りに集まる感覚が、ややもすると人間の日常活動を無視したアートと言う言葉に変えたエゴで島の本当の姿や形は無視されてしまった感じがする。
今流行の僻地観光開発や一村一品運動に近いものを感じてしまったのである。

確かに、大都会化された場所から瀬戸内の孤島に来る機会を作ったことは、それなりに、来る側も来られる側も新しい出会いは素晴らしいことである。
しかし、その後一物の淋しさを感じてしまうのはなぜだろう。
100年も、それ以上過ぎた古民家と現代アートとのコラボレーションに無理があることを感じるのはなぜだろう。

民家の生活空間と自我のぶつかり合いばかり感じ、何も島でなくても、古い民家でなくても、この地でなくても、美術館の中でも事すませることの出来る作品が目に付いてしかたがなかった気がするのである。

この後、後を追うように、同じ香川県の本島町笠島で始まった 
「晴れに耕す そしてアート」。
助成・福武学術文化振興財団、主催ギャラリーART、丸亀市教育委員会、その他。の開催を見てきた。

古い格調ある町並みは直島等とよく似ている島の風景であるが、催しの規模はとても小さいものであるが、島に住む人間の営みの痕跡と現代美術との調和は、以前スイスのジュネーブの町の古と新のコラボレーションを見た時のような不思議な心地よさを感じた。

ややもすると過剰なばかりに人間風景を壊す直島よりも良いという東京からの多数の専門家の話は、まんざら片贔屓ではないと考えさせられる。

                                          東京在住 H.S
No.1068マスター2010-11-09 16:36:44.484132
本島のアート・プロジェクトの一作品。
No.1069マスター2010-11-11 00:01:48.075362
知人を誘って三浦美術館で開催中の「陶の達人 安倍安人展」に行く予定をしていたが、遠路で体調に自信が無いということで取りやめになった。

その知人は80歳を超えたご婦人であるが、陶陽、藤原啓、藤原優などの作家物を持って楽しんでおられる。しかし安倍安人はこれまで見たことがないということでお誘いした次第である。

そこで作品集をお届けした。作品集を見ながらああだこうだと話したが、一番好きな作品として指差されたのが写真の伊部足付鉢であったのには驚いた。

この伊部足付鉢を見るのは二度目だが、とにかくすごい。最初に見たとき、こんなのが現代でも焼けるのかとしばらく声が出なかったほどである。

作家の名前とデパートの外商に奨められて買っておられる、というイメージでみていたので、どの程度わかるか疑問を持っていたので正直驚いたのだが、同時に良さをわかってもらえたのはうれしかった。
No.1070マスター2010-11-12 19:33:19.287808
この預徳利も(写真を見たのみでの)お気に入りの一品となった。
これも大変な名品だと思う。なかなか目が高い。
No.1071マスター2010-11-13 18:38:36.37121
そこで、これはどうかと写真の伊部預徳利を指したが、う〜ん これよりこちらの徳利が、と別の伊部徳利を指される。
これは大変な名品ですよと言ったが伝わらず、この伊部がわかるのは上級者、と自分で納得。

岡山・林原美術館に大名品の伊部三角水指があるので、機会があれば見ていただきたい。焼き上がりの雰囲気に共通する部分がある。
No.1072マスター2010-11-14 17:35:57.298556
そういえば安倍さんの作品には、図録等で見たことのない(例えあっても図録からではわからない)焼き上がりのものがある。それらはいずれも、一般には手にとって見ることの出来ない名品群である。

写真の伊部桶水指も、お気に入りの一品である。
No.1073マスター2010-11-15 18:45:04.848565
そしてこの伊部茶碗も。
ほかに火襷茶碗も目にとまった。
作家ものの備前茶碗はいくつかお持ちで、備前の茶碗に抵抗はなく、この茶碗でいただいてみたいと思われたのだろう。
いずれにしても思いのほか目が高いと思った次第である。
No.1074マスター2010-11-21 22:29:25.261998
萩原麻未さんが、ジュネーブ国際コンクール・ピアノ部門で優勝したというニュースが大きく流れた。

萩原麻未さんのエピソードの紹介の中であったと思うが、彼女は幼少時にすでに和音の絶対音感をそなえていたという。

三つの音を同時に弾いた音を聞いて、どの音と、どの音と、どの音であったかを聞き分けて答えることが出来るという能力のようである。
(以上の理解が誤っていたら笑って見逃していただきたい。)

この話を聞いて、安倍備前についていまいち理解に至らない、音楽に造詣のある方に安倍備前を説明するのに使えるのではないかと思った。

安倍備前は数度焼ということが繰り返しいわれている。しかしこのことを理解いただくのが結構大変だ。安倍備前は、よく見ることによって複数の焼が現れている。なにも考えずに見ると一度の焼にしか見えないが、相反する(同時には焼けない)複数の”焼け”が現れている。

絶対音感は3〜5才程度までに身につくらしいが、安倍備前を見分ける”絶対眼感”とでもいうべきものは、60、70になってからでも遅くない。どうか注意深く観察するようにしていただきたい。
No.1075マスター2010-12-31 22:03:52.188938
2010年もまもなく終わる。
今年はミウラート・ヴィレッジで「陶の達人安倍安人」展が催されたが、多くの方に来場いただき成功裏に終えることが出来た。

安倍さんは昭和13年生まれであるが、まだまだ創作意欲に溢れている。とはいっても肉体的には、昨年より今年、今年より来年とセーブしていかざるを得ない。従って活動舞台も少しずつ変えていかざるを得ないのではないかと思っている。

今夕、西に沈む夕日に向かいながら、今年一年無事に終えることが出来たことを感謝した。

この一年ありがとうございました。
どうぞよき年をお迎え下さい。
No.1076マスター2011-01-01 21:19:01.286552
新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

元旦の一服です。
No.1077さむしろ2011-01-03 00:09:46.13472
冨岡大二氏の「有来新兵衛考」を見てきていたが、途中補筆になって止まってしまった。理由は、陶印(窯印)の記述になって消化できなくなったからである。

出来る限り多くの作品と陶印(窯印)を比較検討しながら読み込んでいけばもう少しなんとかなったかもしれないが、結局手付かずのまま新年を迎えてしまった。


そこで今年は、まず 奥野秀和著 『楽「長次郎」研究&「利休」と「南坊録」』という本を読んで見たいと思う。
No.1078さむしろ2011-01-03 19:59:40.309753
『楽「長次郎」研究&「利休」と「南坊録」』の「はじめに」には、

約40年前に赤楽茶碗を入手したが「二代赤茶碗」とあるのみでどのようなものかさっぱりわからない。そこでこの茶碗が市民権を得るために研究を始めた。

その結果、南坊録の解明にまで至ってしまった。

この研究が進めば進むほど新事実が浮き出して来て、私自身も驚くことが多々ある。

とあり、楽茶碗入手が長次郎研究のきっかけとなったということである。
No.1079さむしろ2011-01-04 21:53:22.844433
同書によると、茶碗入手は次のようなものだったようである。

昭和40年代前半頃のある日、とある骨董店に寄って主人と話していたところに、その息子が3・4点買ったものを持ち帰った。その中にこの茶碗があった。他になにがあったか全く思い出せない。
箱は、せいぜい幕末くらいのもの。箱の蓋右肩に「二代赤」下方に「茶碗」とかかれていた。
「これはすごい!」と思った。
私(奥野氏) 「二代って何の二代や?」
息子     「知らんが!」
私      「あー、何も知らんな!」
これはぜひ買わねばならないと、心の中で思った。
No.1080さむしろ2011-01-05 22:24:57.731563
同書から。「二代赤茶碗」の詳しい観察結果が記されている。

・口径10.3p、高さ8.2cm、高台径5.1cm 
・釉が象の足の様に、干割れしている。 
・高台内トキン有り、渦なし、高台内側は丸刃でぐるりとえぐってある。高台目あと3個有り。 
・辰砂釉と鉄釉と混ざっていて、黒と朱の部分とだんだらに変化している。これは、赤茶碗というより黒茶碗として作ったものが窯変して朱色…赤くなったものでではなかろうか? 
・茶だまりは大きく、ぼやっとある。径6cm 
・口辺はゆるい三岳になっている。内面は全て赤サビ色、口は内へ抱え込む。 
・胴外廻り、横にもゆるい凹凸が有る。 
・これは置きざましである。 
・外側の表面は、皮膚病の肌の様にぶつぶつ、ざらざらしている。 
・全体にヘラ目は完全に消してある。   

と、随分詳細に観察されていて、興味深い特徴が記されている。
No.1081さむしろ2011-01-06 23:06:12.273109
同書から。 観察はさらに続く。

口辺りは内側に「ぐっ」と傾いている。
その上、ゆるい上下のゆれ、高低がある。
それに呼応するように、腰の直角に曲がったところにも部分的に3ケ所面取りヘラを入れて、腰の線も上下に動いている。

長次郎茶碗との類似点について、
口辺りと腰の線のゆれは「俊寛」「雁取」に似る。胴は「養老」に似る。全体としては赤茶碗「うめがえ」が釉調は別として形は大変よく似ている。そして、あらゆる点でよく似ているのが長次郎黒茶碗「面影」である。

と、詳しく特徴を説明しておられるが、ここにも興味深い特徴があげられている。
No.1082さむしろ2011-01-07 20:07:45.322701
同書から。

そして「面影」についての説明の中に『細川三斎の所持している長次郎の「鉢ひらき」に似ている』とある。『その「鉢ひらき」は所在不明』・・・とある。

と紹介し、

私は個人的に、この所在不明の「鉢ひらき」こそ、今回自分の入手したこの茶碗ではなかろうかと、・・・。

と、期待を込めて見立てを述べておられる。
No.1083さむしろ2011-01-08 22:36:55.798503
同書から。

「楽茶碗」磯野風船子著を入手。その後半には資料編として古今の楽茶碗に関するあらゆる資料が満載されていて大変参考になった。
また、この中に二代目長次郎のことがかなり詳しく取り上げられ何個かの作品が掲載されているが所持のものとは大分違いがあって、何ともいえぬ・・・・・、

とガックリと力が抜けて、日が過ぎることになったようである。
そしてその後、根付関係の方面にのめり込んで、その内自分でも根付を彫るようになり、根付に心血を注ぐ日々が続いたようである。
No.1084さむしろ2011-01-09 22:18:38.203906
同書から。

ところが、根付を彫ったり、伊勢根付「正直」を研究していくうちに、工房では多くの弟子職人が作業をする仕組みを完成させていることを知る。
このことがヒントとなり「長次郎工房」を思い付かれたようである。
根付研究が一応一段落し、再び長次郎研究に取りかかられたようだ。初楽関係の書物をもう一度買いなおし、楽美術館に出向いたりして作品をみて、長次郎作品の多さにビックリされたそうだ。
新旧の書物を読んで、その昔、三十数年前とあまり変わっていない(研究が進んでいない)なあーと思った、そうである。
No.1085さむしろ2011-01-10 22:05:20.846158
同書から。

奥野さんの長次郎研究の強い味方になったのが、明治・大正・昭和にかけての美術倶楽部等の「売立目録」だったそうである。
奥野さんは骨董屋をされていた関係から、過去40年ほどの間に業者のセリ市でこの目録が十冊、二十冊と出るとほとんど買い取っておられたという。それが永らく家の廊下の片隅にうず高く積んであったそうで、その数、数百冊。それらを総点検。
思い切りよく必要な頁を切り抜いて整理し、突合せて検討することによって、研究が大いに進んだそうである。
No.1086さむしろ2011-01-11 23:28:01.633676
奥野秀和著 同書から。

古くから初楽に関する資料では、元祖または始祖「阿米夜(あめや)」と語られているが、その作品に関しては何も触れられていない。この「あめや」は、絶対何らかの形で係っていたはずである。(奥野)
あめやは元々瓦職人で十分な技術を持っていた。そして、平均的親子の年齢差から、長次郎(以下ここでは本長次郎という)が、利休から注文を受け楽茶碗を作り始めた頃、「あめや」は80歳前後であった。(奥野)
として、「これは楽焼の始めから常慶までの可能な限りの全作品を全体を通して慎重検討した上での結論として「あめや」の作品は次のとおりとされている。

「道成寺」   「勾当」   「無一物」   「一文字」
「大クロ」   「東陽坊」   「ムキ栗」


No.1087さむしろ2011-01-12 21:50:03.517351
「あめや」が楽茶碗作りに関わったとの説だが、楽茶碗の初期のものが作られたのがいつ頃で、その当時「あめや」が何歳くらいになるのか? 本長次郎はどうであったか?
No.1088さむしろ2011-01-13 22:59:41.215804
古茶会記に楽茶碗と思われる茶碗が初めて登場するのは、1580年12月の千宗易の茶会で、使用茶碗として「ハタノソリタル茶碗」が登場する。

ハタノソリタル茶碗が道成寺風の茶碗ではないかとの見解を何人かの方が述べておられる。わたしもその説を支持しているが、1580年というのは本長次郎が68歳(必ずしも正確ではないが、大方この位であることがものの本には書かれているのでその説によっている。)である。

本長次郎が、父あめや二十歳の時の子と仮定すると、このときあめやが健在だとすると88歳である。十五歳のときの子として83歳。あり得なくはないが、なかなかきつい話ではある。

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