茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ゆっくり閲覧ください。

No.989さむしろ2010-06-06 17:09:10.373687
補筆論文から。

見込みに陶印のある茶陶は、京陶工の発注品であり、手描陶印の場合、特に大振りの文字となるのも判別を利する為である。但し京陶工と目される作品にも無印のものがかなりある。施釉陶の場合サヤに陶印を施せば、作品は無印であっても一向にさしつかえなかったろう。備前でも慶長年間以前からサヤ詰め焼成を行っており、現在伝世する茶陶の名品にも無印のものが多い。
No.990さむしろ2010-06-08 18:40:06.300458
補筆論文から。

陶印の形態は手描きであるから一点一画がピタリと一致するものではなく、かなり自由に変化している。これはすべて発注者である京陶工が自ら手描きしたものではなく、大半は受注の地場陶工が刻したものであるから、多種多様になるのは当然である。
No.991さむしろ2010-06-09 19:54:19.600388
補筆論文から。

陶印の習慣が少なかった美濃や、その習慣がなかった唐津では、備前のように、京の発注者の陶印とは別に、同一器体に受注陶工の陶印が刻されていない。

複数の陶印があるのはこのような意味らしい。
No.992さむしろ2010-06-10 20:12:13.050223
補筆論文から。

美濃や唐津の窯株主たちは自らの陶印を刻する必要が少なかった。
つまり、幾種類もの陶印が刻された茶陶片が出土する窯跡こそ、京陶工たちの共同発注窯であったことの証左であり、その陶印は京陶工個々を証する有力資料なのである。

と述べておられる。
No.993さむしろ2010-06-11 17:53:11.362995
補筆論文から。

丹波にも、京陶工の作品が僅少ではあるが伝世している。これは京陶工たちが丹波に発注し丹波で焼成したものか、或いは丹波土を京に運んで成形焼成したものなのか判然としないが、時に備前に劣らぬ茶陶の優品がある。

量が少ないのは主要街道からはずれていたことによるのだろう、としておられる。
No.994マスター2010-06-23 10:07:33.601224
かたち21 の主催で「安倍安人さんの話を聞く会」の第2回が開かれます。
日時  6月27日(日)PM3:00〜4:30
会場  銀座吉水かくえホール
テーマは「織部様式について」です。
詳しくは下記にて確認して下さい。(このHP催事スケジュールの中から入れます。)

http://homepage2.nifty.com/katachi/n-abe/abetalk.html

ここ「ものはら」では、安倍さんの「三点展開理論=織部様式」という視点から桃山名品茶陶の誕生の解明を目指していますので、直接安倍さんから織部様式の話をお聞きになることをお奨めします。

ここでの説明が、必ずしも正確な理解に基づいていない部分もあるかもしれませんので、その意味からも疑問な点などについて、安倍さんに直接聞いていただくのもよいかなと思います。
No.995マスター2010-09-11 19:35:41.81767
ミウラート・ヴィレッジで「陶の達人 安倍安人展」が開催されます。

ミウラート・ヴィレッジは、三浦工業グループの創業者三浦保氏(1928〜1996)が、生前に企画し1998年に竣工した美術館です。

期   間  2010年10月31日(日)〜12月5日(日)
出展作品  陶芸作品を中心に油絵、ブロンズ、平面作品など。

出展作品の一部ですが順次掲載します。
No.996マスター2010-09-11 19:39:11.207483
彩色備前水指。
No.997マスター2010-09-12 17:03:20.853905
彩色備前水指
No.998マスター2010-09-13 17:44:07.483287
備前桧垣文茶碗。
No.999マスター2010-09-14 17:45:26.823204
火襷茶碗。
No.1000マスター2010-09-15 19:04:07.292128
算木花入。
No.1001マスター2010-09-16 20:11:33.897653
伊部桶水指。
No.1002マスター2010-09-17 17:41:15.050191
伊部桶水指。
No.1003マスター2010-09-18 17:33:10.084994
備前水指。
No.1004マスター2010-09-19 18:21:28.440795
備前花入。
No.1005マスター2010-09-20 17:17:58.620188
備前桧垣文茶碗。
No.1006マスター2010-09-21 19:52:16.357242
彩色備前水指。
No.1007マスター2010-09-22 23:15:50.654641
備前預け徳利。
No.1008マスター2010-09-23 19:13:00.888449
備前預け徳利。
No.1009マスター2010-09-24 18:21:04.628517
火襷水指。
No.1010マスター2010-09-25 19:35:06.250712
備前茶碗。
No.1011マスター2010-09-26 16:43:10.179363
伊部茶碗。
No.1012マスター2010-09-27 18:20:47.085853
備前水指。
No.1013マスター2010-09-28 18:32:48.339561
備前水指。
No.1014マスター2010-09-29 17:50:31.240558
彩色備前。
No.1015マスター2010-09-30 18:12:04.184939
備前偏壺。
No.1016マスター2010-10-01 18:29:13.231012
伊部徳利。
No.1017マスター2010-10-02 18:04:03.3462
伊部預け徳利。
No.1018マスター2010-10-03 17:44:16.918782
彩色備前水指。
No.1019マスター2010-10-04 17:28:44.109166
彩色備前水指。
No.1020マスター2010-10-05 19:13:33.15394
以上が今のところ届いている作品写真です。現在、これらの作品を掲載した作品集を製作中です。
左の写真は、作品集に掲載する中島誠之助氏の序文原稿を写したものです。
No.1021マスター2010-10-07 18:39:07.288311
少々古くなりますが、安倍さんが1991年6月にNHKアナウンサー道傳愛子氏と行った対談記事がありますので、20年程前の安倍さんが、何を思い何を考えておられたか、しばらく掲載してみましょう。
No.1022マスター2010-10-07 18:43:37.432526
過去へのこだわりが生む独創のフォルム 
  [対談]  安倍安人 陶芸家
        道傳愛子 NHKアナウンサー

木花窯という完全地下室の穴窯から、桃山時代の古備前だけが持つ焼成りを追求。近年、際立った創作活動を展開中の陶芸家・安倍安人氏の展覧会が、6月16日、広島市で開催される。通常のスタイルとは異なり、わずか1日余りの特別内覧という同展ではあるが、これを機に作家は、やきものに賭ける熱き胸の内を語る。なお聞き手にはNHKアナウンサー道傳愛子さんが登場。同作家ならではのこだわりに迫る。


やきものは人間の本能

道傳  どういう理由で陶芸の世界にお入りになったんですか。

安倍  やきものを手掛けたのは36歳からですから、17年になります。それ以前は、絵を描いていました。北欧の表現派、いわゆる文学性の強いムンクやノルデー、キルヒナーが好きで、私自身ヨーロッパに渡り、そうした傾向の作品を描いていました。ところが画商から、一定の時間内に作品を仕上げることを要求され、自律神経失調症になってしまったんです。医者からは、絵をやめて肉体労働を勧められましたが、することが無くて、興味のあったやきものの道へ入ったんです。
No.1023マスター2010-10-08 18:26:11.374591
道傳  一度始めたら、やきものの魅力に取り憑かれたわけですね。

安倍  土と水と火は、人間の本能なんです。子供が触り楽しむものは大人も楽しめるもんですよ。だから一日も休まないんです。食事の時間も惜しくて…。

道傳  そこまで、毎日気持ちを持ち続けるのは凄いですね。

安倍  持って生まれた性格ですね。やきものは、モチーフが先にあって、その枠の中でいかに自分を表現できるか、それがすべてなんです。だから純粋芸術じゃないんです。それでは前衛陶芸などはどうかというと、これは陶芸ではなくて、立体造型、いわゆる彫刻の世界なんです。たまたま素材が土で焼いてあるだけで、土を焼いた立体造型は古代から現代にいたるまで無数にある。その証拠に、ミロやピカソを陶芸家とは言いません。

道傳  伝えたいものを伝える。それぞれケースによって違うのかもしれませんが、作品を通して、どんなことを伝えたいと思ってらっしゃいますか。

安倍  本物のやきものの心です。現代のやきものを見ていて思うんですが、日本など古い伝統があるのに、過去をすべて捨て去っている。特に技術や伝統を。培ったものを捨て去ることが、さも国際化だと勘違いしている人が多すぎますね。日本には過去の民俗性が無くなりつつあるんです。
No.1024マスター2010-10-09 20:48:21.457942
道傳  根っこが無いんですね。

安倍  そうですね、経済が文化、芸術の分野にまで浸透して、今の状況を作ってしまった気がします。誰もが数字のレールにのることばかりを考えている。私は、自分なりに掘り下げて、過去を基礎にした時点で真に新しいものができると思っているんです。
No.1025マスター2010-10-10 14:18:47.592727
桃山備前の焼成りを求めて

道傳  窯を作っては壊し作っては壊して、構想17年になるというお話を伺ったことがあるんですが。

安倍  焼成りに対して、こだわりがありましてね。桃山時代に突然現れた織部様式というのがあるんですが、この様式が生まれたのはちょうど、伊達正宗、織田信長などが、西洋文化を盛んに取り入れたすぐ後の時代なんです。一般には文化のみが移動して来たように言われがちですが、そうではなくて、人間が移動したからこそ文化がくっついてくるんです。

道傳  海外から持ち込まれた文化が、わが国で新しい形として定着する…。

安倍  西洋の基本は合理的表現であり、日本には精神的表現があります。この二つが結びついて織部様式が生まれたのではないかと考えています、仮定ですがね。
No.1026マスター2010-10-11 17:28:27.161767
道傳  それは何故ですか。

安倍  例えば千利休は既成された器物から、目的にあわせて選び、それを組合わせることによって新しい次元を表現しようとしています。ところが、織部は、一器物、その物自体に三次元を表現しようとしています。絵画や彫刻のように。だから陶器を音楽や文学と同次元にまで完成度を高めようとしているように思えるんです。その手段として、面や線で、方向性、量、無限を表現する為にあのような物理的な技法が用いられたのではないでしょうか。

道傳  それが、こだわりになっているんですね。

安倍  窯の技術にしても、現存してないので模索しないとわからないしね。そうしているうちに、窯の数と借金が増え、年も取るし…(笑)

道傳  桃山時代に、もし、戻ることができたら、行ってみたいと思われますか。
No.1027マスター2010-10-12 18:10:28.327576
安倍  ぜひ、行ってみたいですね。書物に書かれている内容には、見当違いが多いと思うんです。

道傳  例えば、どんなことでしょう。

安倍  よく、利休は朝鮮の雑器、飯くい茶碗を取り上げて云々…とあるが、私はこの雑器説というのが気に食わないのです。あれは雑器ではありません。祭器か明器です。韓国には今も陶器、特に釉のかかった器物を日常生活に用いる習慣がありません。古代から現在まで、一貫して金属で、時代によって銅かステンレスの違いがあるだけなんです。また、発掘される茶碗で使用された痕跡のあるものは皆無と言っていいと思います。もっとも最近、日本や西洋を真似て多少使うようになりましたがね。かつては日本も同様だったと思います。ただ、日本は利休によって、茶の世界へ陶器を持ち込んだ為に、わりと早く日常生活へ馴染んでしまったのではないでしょうか。木製食器から、陶磁食器へ、これがおおげさに言えば日本の文化大革命へと継がっていった。現在、わが国の衣食住の様式は、茶の確立された時から日本独自の様式に変革されたと言っても過言ではないと思うんです。
No.1028マスター2010-10-13 17:39:05.638874
確かめたい織部様式名品の謎

道傳  そう言われてみますと、大陸を移動する人たちが、壊れる重い器を持ち歩くとは考えられませんものね。

安倍  そうです。大陸では移動しやすい、金属製の平盤なものが発達したんです。近年、中国でおびただしい数の陶磁器が発掘されていますが、あれも、墳墓からなんです。ただ釉のかかっていない壺の類、これは液体の容器として、この限りでないようですが…。

道傳  桃山時代に行けたとして、先生は何を見て、何を持って帰りたいと思われますか。

安倍  確認したいのは、織部様式の名品といわれる物。中でも備前焼、伊賀焼は、おそらく現在いわれているように、備前や伊賀の地で、またはそこの職人が作ったものではないと考えられるんです。まず、破片が一点も出ません。出土される破片は、時代下りのペラペラな職人仕事のものばかりです。それから徳利1本にしても、雑器と茶陶とは本質的に、造型や焼成りが、まるきり異なるんです。また同じ形のものが、二つとありません。求めるところ、いわゆる次元が違うんですね、土着の職人とは。京都からは名品といわれるものが、大量に出土しています。どう見ても造型の表現方法が、物理的に西洋の様式なんです。
No.1029マスター2010-10-14 17:53:01.306261
道傳  織部様式の茶陶がどうして京都から出土するのでしょうか。

安倍  これは仮説なんですけど、大名か納屋衆が密かに、高度な造型作家集団を抱えていて、全国を歩かせたのではないかと考えられるんです。賃焼き、火ばかりですね。賃焼きの場合、焼きそんじた物も員数をそろえて返しますからね。ある学者などは、京都出土を当時のやきもの問屋跡ではないかと言っています。私は九谷焼や柿ヱ門のように、もっとどろどろしたものだったと思うんです。商人か大名の隠れた資金稼ぎ組織みたいなのがあったのではないでしょうか。その人たちがいれば、ぜひ会ってみたいですね。
No.1030マスター2010-10-15 20:48:16.462996
歴史と伝統に根ざした物づくり

道傳  その時代の土とか素材を持ち帰りたいと思いますか。

安倍  それはないですね。素材はいくらでも存在していますから。そこにあるものを最大限に利用できるのが職人ですから。

道傳  伝統、文化、歴史などを踏まえながら且つ、今の時代なんだということを、フルに生かしていかなければいけないんですね。

安倍  技術的に優れた古い時代の工芸を大切にしたいんです。歴史と伝統に根差した美術工芸、あるいは職人芸の心。それらが今日の先端技術に、物づくりの姿勢として結びついていかなければならないと思うんです。最近では、自然と共にこの心までも捨て去ってしまうのでは、と恐ろしくなります。

道傳  今の美術、陶芸の世界をご覧になって、おっしゃりたいことはありますか。
No.1031マスター2010-10-16 18:37:05.89421
安倍  物質文明は栄えているけれど、精神文明、純粋芸術は、文部省という中央でコントロールされているので、一本で通っています。一方、民俗工芸の大半は地方に存在するんです。地方は通産省的管轄で、商工産業課扱いです。税務上、私達の仕事は、窯業になり、セメントや衛生陶器と同枠内に位置するんです。これでは良いものが生まれませんね。少なくとも私自身は著作業だと信じてやっていますが…。

道傳  陶芸とはどんなものであって欲しいと思ってらっしゃいますか。

安倍  作る側は作品だと思って商品を作り続け、買う側は作品だと思って商品を買っている。それが現実です。明治、大正と文化人が盛んに陶器づくりをやりました。それを「文人好み」「煎茶好み」といいますが、造型も焼成りも、素人なんです。ところが今、大家と言われる作家は、この文人好みを個性だと思っているのではないでしょうか。フォルムが弱くて、職人としての骨格がありませんね。アクションばかり強くて。まるで、荒っぽいものを力強いと思い、未熟なものを素朴と思っているようですね。それよりも、自分に対して、今日、今をどのように満足させられるか。これしかありませんね。やきものとは自分を満足させる為の行動なんです。そんなところじゃないですか…。

道傳  自分を満足させるって大切だけど大変ですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
No.1032マスター2010-10-17 20:41:37.248826
今日、牛窓のアトリエに行ってきました。
三浦美術館での「安倍安人展」中に、ビデオ「公開!The備前ー安倍備前の全貌ー」を、ロビーの一角で放映したらどうかということで、一本にまとめたものを持参し視聴しました。カットがしにくいので少し長いものになりましたが、見やすいものになっていました。
ご期待下さい。
No.1033マスター2010-10-18 19:35:43.898252
図録の下阪も届いていました。
近々出来上がるでしょう。
No.1034マスター2010-10-19 19:28:42.495612
三浦美術館での「安倍安人展」の出品作品について尋ねたが「展示してみないとわからない。」という答えだった。

お預りしている作品でも展示出来ないものもあるかもしれない、と。

種類は、備前、彩色備前のほかに洋画、乾漆、ブロンズ等等が展示されるはずである。
No.1035マスター2010-10-20 19:54:54.698345
すでに一度、この「ものはら」で掲載しましたが、「安倍安人展」の前にもう一度読み直してみるのもいいかなと思い、再掲載することにしました。


  ひとすじの清流
    ―安倍安人作陶展に寄せて―
                   出川 直樹

 織部様式は美の革命であった。
 左右非対称、不定形の造形から放射する生気と緊張、動きの中に主張される確固たる存在感、常に中国大陸・朝鮮半島の影響を受け続けてきたわが国の陶芸史の中で、織部様式こそが真の独創によって、他国が二十世紀の前衛芸術まで待たなければならなかったオブジェの美を併せ持つ新次元を開拓したのである。
 
 今ひとつ日本陶芸の大きな特質は釉を施さず土のみを高温で焼締める石器に無限の「景色」と味わいを見出しこれに高い美的価値を認めたことで、これもやきものに対し日本人が独自に持ち得た高い美意識として誇り得よう。

 この織部様式と無釉石器の交差する地点に花開いたのが桃山時代の茶陶備前である。
 これが私達日本人の心に直接響く工芸品であるのは当然といえよう。
No.1036マスター2010-10-21 18:05:26.796266
 ところが、かさついた肌、石炭カスがこびりついたような灰被り、厚化粧じみた無理やりな景色、また無心無作為を至高の美とする民芸思想の悪しき影響か、作家精神を放棄したかに見える土管のような花入、火消壺のような水指などなど、私たちの期待に反して現代備前の現況は必ずしも満足のいくものではない。

 しかしこんな作品の洪水の中に私達はひとすじの清流を見出すことができる。生き生きとしたたしかな造型と潤いのある肌を併せ持つ安倍安人の作品群がそれである。
No.1037マスター2010-10-22 18:44:28.383123
 彼の作品の持つ桃山備前の風格に、あまりに伝統に忠実すぎるという声も出よう。逆説めくが、伝統の打破はたやすいことである。奇を衒って壺の胴に窓を開ければ、また備前の水指に色絵を焼付ければ即伝統打破である。要はその手法や表現がその場かぎりではなくそののち大きな展開の種となり得るかどうかであろう。

 創造性に満ちた画家・造形家としての彼は今までにもさまざまの新しい手法を試みてきた。なかには極めて独創性の高いものもあった。しかし同時に鋭敏な審美家としての彼はよくあるように思い付きのエスキースの段階で作品を世に出すことなく、そのほとんどをよく捨ててきた。彼にとって桃山備前の力の前にそれらは捨つべきものだったのである。
No.1038マスター2010-10-23 18:26:41.594554
 その中で今回発表の「火襷文」の構想は十年も前から試みられ、彼自身の厳しいセレクトをくぐってついに独自の手法として定着したものである。この手法は備前焼の技法と表現の自然な無理のない前進であり、大きな可能性を秘めていることは見ての通りである。

 彼の作品の風格はどこから生まれるか。少し備前焼を見る人ならばその作品の中に一点たりと桃山備前直写のものはないことに気付くだろう。

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