茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ゆっくり閲覧ください。

No.618さむしろ2014-01-16 18:08:43.300591
祝い膳が終わり、「松涛の間」を通って鎗之間から出て、長屋門を通って冠木門から帰路についた。
一方通行の流れで各席をまわれるようになっていて、他の組の客と出会うことなくスムーズに進んだ。少々冷え込んだが天気も良く、清々しい気分であった。

No.619さむしろ2014-02-11 23:06:02.805002
茶道古典全集第九巻「松屋会記」(久重会記)

慶長年代に入ってしばらくすると登場する茶会の数が極端に少なくなる。
1608年2月25日 千宗旦へ
    トモフタ カラツ水指   ジュ楽黒茶ワン
1608年3月22日 釈名寺へ
    カラツ水指   今焼黒茶ワン
1608年卯月(陰暦4月)9日  成林寺へ
            黒茶ワン
1612年11月22日  イマヤキ黒茶ワン
1613年12月18日  クロ茶ワン

このようにこの時期の久重会記への茶碗の登場は少ない。これらの記載から「クロ(黒)茶碗」と「イマヤキ(今焼)黒茶ワン」を別物として記していると考えるか、その時々の気分で記していると考えるか、決め手になるものはない。しかし直感としてはきっちり書き分けていると感じている。
No.620さむしろ2014-02-12 18:48:06.674206
茶道古典全集第九巻「松屋会記」を読んでみたが、期待するものはなかった。すでに知られている「ヒョウゲタルモノナリ」の記述にもそれ以外の説明はない。「黒茶ワン」と「今焼黒茶ワン」についても書き分けているように思うが、断定できるものはない。

本読みはしばらく休憩する。
今、以前二度ほどご覧いただいたビデオ「桃山茶陶の焼成と造形」の英語版を作製し、安倍理論を世界へ発信したいと準備中である。これは安倍さんが質問に答えながら桃山名品茶陶の名品なる所以を解説したものである。

文字起こし、英文翻訳、ビデオ編集がいずれも大変で、もうしばらくかかりそうだ。
せっかく文字起こしをしたので、こちらだけ先にお読みいただこうと思う。ビデオは「日本の陶磁6 備前 中央公論社」を見ながら説明をされたものなので、本をお持ちの方は、作品写真を見ながら、想像力を働かせてご覧いただけば理解が深まると思う。
No.621さむしろ2014-02-13 12:48:56.30593
外に向かって発信する以上、何について話し、何を訴えようとしているのか、といった序文のようなものが必要と考え、次の文章を用意した。この文章を英訳してビデオの頭部分に入れるつもりだ。



「“茶の湯”は、客を招き一服のお茶を呈することによってもてなすことを目的とするもので、1580年代ころ、商人であった千利休によってその作法が完成された。しかし、決して商人文化として発展し広まったわけではない。同時代以降の権力者や武将達の熱烈な支持があったこと、そしてその支持もパトロン的支援ではなく自らが茶の湯者として熱心に学び実践するというものであった。

 ポルトガル人通事ジョアン・ロドリーゲスが1620年頃、マカオで、日本における教会史とともに日本の地理、衣食住の様式と礼法などについて著した「日本教会史」に、彼の30年余の日本滞在の間に見聞きした、当時の茶の湯がどのように行われていたかについて詳しく書かれている。その中で、茶の湯における重要で不可欠の三つの要素として概略次のことを書いている。

第一が、かくれた部分を含めた、全てにわたる最上の清潔さである。
第二は、田舎風の孤独と飾り気のなさで、無駄なものから遠ざかることである。
第三は、自然的なものと人為的なものとを茶の湯という同一の目的のために調和させ、又、隠れた微妙な性質に関する知識及び鑑識眼を身につけることである。」
(つづく)
No.622さむしろ2014-02-14 12:37:58.854471
そしてそれらの要素が、極めて礼儀正しいなかで守られ行われていたことを同書の中から知ることができる。また、同書は茶の湯の席中の様子を次のように書いている。

「草屋根の小さな部屋での、茶を勧め、会話を交わす招待は、互いに長い話をするためではなく、大いに静寂と謙虚さを保ち、その座で目にする事物を家の主人に向かって讃えることをせず、心の中で黙考し、その中に蔵された神秘さを自身で悟るためである。」

このように茶の湯は、抑制された極めて高い精神性と広く深い知識や見識を備えた人々によって好まれ、そして真摯な心と態度で催されていた。

茶の湯を好む人々に流れている根本的思想は「禅」である。当時、多くの武将たちが禅寺の老師に参禅し禅を学んでいた。逆説的に言えば、禅の思想が確固として流れていたことや、時の権力者や武将たちが自らの面目を懸け全力で取り組んだ茶の湯であったからこそ、今日まで茶の湯が飽きられることも忘れ去られることもなく脈々と受け継がれてきた大きな理由といってよいだろう。
(つづく)

No.623さむしろ2014-02-17 09:49:04.39714
茶の湯でもてなすためには各種の道具が必要だが、そのうちの陶器による道具の一部の物がとことんこだわって造られた。しかしそれらのこだわって造られた道具について、最近までその“こだわり”に気付かず、大雑把にいえば「たまたま出来た道具が、茶人の目にかない、以後も茶人達の支持を得て、今日まで伝わり、その一部が最高傑作との評価を受けるに至った」と一般的に考えられてきた。
(つづく)
No.624さむしろ2014-02-17 12:45:22.607881
“一部の最高傑作”の一つに次のような逸話が残っている。
1600年代初頭、茶の湯の頭領であった古田織部が所持する伊賀焼花入れに魅せられた武将上田宗箇は、古田織部にその花入れを譲ってくれるように懇願した。上田宗箇の度重なる懇願についに断りきれなくなった古田織部は「生爪を剥がされるような思いでこれを贈る」と書いた書状とともに花入れを贈った。その花入れは「生爪」と銘をつけられ書状とともに今に伝っている。
(つづく)
No.625さむしろ2014-02-18 13:13:11.51375
1615年に古田織部は自害するが、その後、理由は不明ながら“一部の最高傑作”は、表舞台から消え、その特殊な制作技法は封印されたまま技法の伝承はされず、400年近くの間その特殊さについて誰一人として気付かないまま現代に至っていたが、近年になって造形作家安倍安人が初めてその制作技法を理論的に解明し主張した。

この動画は、安倍安人がそれらの “とことんこだわって造られた「一部の最高傑作」” について、彼自身の「三点展開理論」「数回焼き理論」によって造形と焼成の秘密を解き明かし、“一部の最高傑作がアートである”ことを具体的に解説したものである。


No.626さむしろ2014-02-19 16:00:25.235201
安倍
茶陶の中で備前と伊賀だけは、まったくの職人の世界の物と、アートディレクターがいて作られた物の二つの世界に分かれていると思う。土着の陶工が作っている物と、いきなり桃山時代になって出てきた茶陶物とはまるっきり世界が違う。ほとんどの人は、それを一緒にして考えてしまっている。これはアーティストの作品、これは職人の仕事(作品)と分けて話さないと、まるきり違った話になってしまう。二つの物が一緒になってしまって理解出来なくなってしまっている。名もなく貧しくの職人の世界と、一方は大名や豪商がバックについたアーティストの世界です。


100点、200点を犠牲にしても1点の名品を求めると云うことですか?

安倍
違います。これは1点しかありません。1点毎に設計図があって最初から1点しか作っていないんです。2つ3つはないんです。


例えば同じものを10点作って、その内の一番良い物を残すということではないんですね。

安倍
あくまで“太郎庵”はこう云う設計の元にこう作らせている。これはアートなんです。沢山作ってその内の1点を取るのは職人の世界で、アーティスト作品は窯跡に破片も残っていないと思います。焼いたのも、出来て来たのも、今に残っているのも、これ1点限りということです。


そこのところを素人にも解かるように説明していただきたい。
No.627さむしろ2014-02-20 15:08:34.880845
安倍
アーティスト作品は、最終結果が設計図で出来ているのでそうなるまで何回でも焼き上げていく。職人は、そんなことは考えずに一回勝負で焼くので、アーティストと職人では焼味も違いますので一目瞭然に解かります。窯の中で自然にできたものと、意図的に作られたものは、作る過程がまるっきり違います。古備前でも自然に出来たものは沢山あるんです。価格的に云うと一方は数百万円、他方は数億円になります。


現代まで残っている、花入、水指は数十点くらいのものですね。

安倍
花入、水指、鉢と…美術館にも数える程しかありません。5〜6点です。完全茶陶として作られたものなので、それらと壺作りのような職人仕事とは分けて考えないといけません。アートディレクターがいて、設計図があって、最終の焼成も完成の姿も図面がある。例えば、まず造形、その次に第一回焼きは“赤焼き”、二回目は“ごま焼き”、三回目にはどこ辺りに“さんぎり”を出す、四回目にはどう仕上げる、という設計図。赤焼きなどの焼成は職人にやらせ、このあたりはごまをかけてなどと指導するわけです。自然にこの様な景色になる訳がない。表に向けたり、裏に返したり、或は寝かせたり。その都度ごとに味を付けていって、やがて設計図の姿に出来上がるという訳です。
No.628さむしろ2014-02-21 14:51:45.157827

ではそのアーティストも相当焼き物にも精通していたという事ですね。

安倍
勿論。只その職人が、窯の中のどの位置にどのように置いたらどういう風に焼きあがるとかという事は知っている訳ですから、アートディレクターは、ここに“ごま(自然釉)”をかけて、ここに“さんぎり”を出してなどと指示をすれば良いのです。

作品は、最終的には京都へいってしまうわけです。その破片は、備前でなく京都で出ます。伊賀の窯跡からも一切出ません。職人が作ったものの破片は、備前の窯跡でも出て来る。


それは唐津焼きの場合も同じですね。

安倍
唐津で“奥高麗”の破片が出ないのに京都の井戸から23ケも出た。焼損じたものも、員数を揃えて送らせる。その内から良いものだけを取り上げる。
職人が作ったものは焼きに味わいがなく、只土管のように焼きあがるだけです。永い間使用したから今のような味が出たというものでもない。
窯から出た時からこのようなマチエールをしています。ここにある徳利も、この世に出て来てまだ一週間しかたってないんです。これは焼きあがった時からこういう味です。そのように作られるんです。
No.629さむしろ2014-02-24 12:30:19.741162
安倍
こちらの名品を職人が真似て作ったものがこちらです。


この二つの違いを伺いたいのですが。金額的に数百万円と数億円と云う事ですが。

安倍
全然違います。造形的にも焼き的にも。造形的には、まず面がつながっていないです。頭の部分、胴の部分、足の部分がばらばらです。


只、頭と胴と足があるだけという感じですか。

安倍
寸法的に少しずつ違ったもの、バランスの違ったものは沢山ありますが、あくまでこれはこれ一個です。これ一つが窯の内でたまたまこうなったと云うのではなく、何回も繰り返して焼いてこのようなマチエールに仕上げていった。


現代の備前の“さんぎり”とは違うものに見えますが。

安倍
現代は“炭さんぎり”ですので、人工的に作られています。
炭を放り込んで物を当てた所が赤く残って…


こちらは“さんぎり”がかかって自然にぼけてますが。

安倍
ここあたりは重なっていて、“さんぎり”の上へ”ごま”がかかっている。何故そこまで求めたか…。何故そこまで必要であったか。それはその時代のお茶の世界、思想が要求したんでしょうね。

No.630さむしろ2014-02-25 12:45:42.064635

ある日突如として出て来たわけでしょ。何かのきっかけはあったんでしょうか?

安倍
これの原形は楽茶碗(長次郎茶碗)です。造形的には楽茶碗(長次郎茶碗)と同じです。


一般的には、千利休の好みは無作為の楽茶碗で、古田織部の好みは大胆な作為を施した茶碗であると両極にあると云われますが…?

安倍
私はそれを否定してるんです。織部の造形様式も原形は楽茶碗です。誇張しただけで造形的に云えばまったく原形は利休の楽茶碗です。


それはどういう処で分かりますか?

安倍
”やきもの”には点と線しかない。同心円でろくろを廻してますから。点と点を結んで線になりますが、もう1点を加えて結ぶと三角になり、その三角が面です。
楽茶碗は、その意味での面で構成されています。面を求めた事が特性です。それまでのやきものには点と線しかなかったんです。
No.631さむしろ2014-02-26 12:25:45.897166
そこで何故三角つまり面が必要となってきたかという事ですが、物には量があって量を求める。大きさであったり深さであったり、奥行きとかの量を求める手段として面を使う。点と線だけでは量が出て来ない。彫刻ではそうです。点と線では、体積、目方、大きさを表わしようがない。

彫刻の思想を何故持ち込んで来たか。楽茶碗にも…。より日常から遠い物、それが侘び、寂びですから。例えば、壁とか柱も黒ずんだような、日常から遠い。で西洋が遠い、手が届かない訳ですから。

より具体的には、宇宙は無限である事。
無限に広がってゆく。そこで三角で広がってゆくという事で無限を表わしてゆく。楽茶碗が禅から来たとか云うけど私は西洋の造形、彫刻から来たんだと思います。その時代の門を開いたのは利休です。西洋からあらゆる文化、衣食住など取り入れて、今私達も肉を食べてワインを飲んでいるけど、その時代に既にしていたんです。西洋かぶれして。衣食住が入って来たんですから精神文化が入っていない筈はないんです。美術文化も入って来ない訳がない。で日本の無限の禅思想と、西洋の思想が合体して出来たのが楽茶碗であり、もっと具体的極端になったのが織部の造形様式。

No.632さむしろ2014-02-27 11:45:55.178868
そのとき西洋はどうなったかと云うと、

エルグレコ、絵画は平面ですから二次元です。それにもう一次元作れないかと考えて三角の構図にもっていったわけです。で、頭を全部天に向けてずっと描いていったのがエルグレコの世界でしょ。それを分解して平面的にしたのがセザンヌです。三角三角とね…。で、それをもっと具体的にかこんでしまってデフォルメしたのがキュービズム・ピカソです。無限を表現したんです。それと同じものがこれです。キュービズムの物体、オブジェ、ピカソのした表現を日本では利休が楽茶碗にさせたんです。400年前にすでに利休がしていたわけです。

宇宙は無限である事を具体的な物体として見せたらこうなんだと云う事です。すごいことですよ。楽茶碗は、三角、三角でなりたっているんです。口(の部分)も波、腰(の部分)も波打つしね。

No.633さむしろ2014-02-28 13:31:44.699454

楽茶碗は単なる思い付きで出来ているのではないんですね。

安倍
この花入の展開図を作ると、一周してきてもつながらないです。それほど複雑な方向性があるんです。


そうして見るとこちらは完全にごまかしですね。

安倍
三角の構図構成の一番の成功作品でしょうね、こちらは。


とても高度な…

安倍
職人のものは写真で平面的に見ているだけで、これなんかは三角がずっと無限に繋がっていってこうなっているんです。楽茶碗もそのように出来ていて、どれも同じです。

No.634マスター2014-03-01 13:42:34.533923
"アートフェア東京 2014" 
3月7日(金)〜9日(日)
東京国際フォーラム 展示ホール
No.635マスター2014-03-01 13:45:25.335985
備前焼ギャラリー青山から出品します。
終日会場におりますのでぜひお越しください。(安倍安人)
No.636さむしろ2014-03-01 16:07:58.667201

原形の造形理論は現代まで伝わってきているんですか。

安倍
形としては伝わっているけど、理論としては伝えていなくて、伝わっているのは長次郎から常慶まででしょうね。その後も山を作って谷を作ってとそれらしく出来ていますが、でも意味は違うんです。

色々な面がある事、線だけではない。アールがついている処と鋭く入っている処、なんとなくの溝ではないんです。
これらには穴目があり、ほとんど掛花入になっていたんです。いつ頃の時代か、表裏の穴を埋めてます。


で、掛けなくなった時代のコピーが、こちらですね。

安倍
穴目が表裏あるという事は、景色を花によって使い分けたんでしょう。それ位高価なものだったんでしょう。よくみると、何回も焼かれた事が分かります。”ぼたもち”も何重にも重なっています。先に裏を焼いて、すごく“ごま”がかかってます。伏焼きです。で、ひっくり返して内側を又焼いてゆく。

No.637さむしろ2014-03-02 13:37:54.290259
“伊部(いんべ)”の黒色は何回も焼く事によって出来る。しかし、時代が下る江戸時代の物を見ると、全部、焼く前に黒くなるものを塗って焼いています。

土味と火だすき、……“伊部”も室町時代末位からでしょう。かさかさは火が甘い状態で、溶けて黒くなってゆく。で、最初から黒くなるのを塗っている物(江戸時代)があり、同じ“伊部”でも室町桃山時代から江戸時代のものが一緒になってしまってるけど、価格的にケタが違ってくる。区別がついていないようです。


No.638さむしろ2014-03-03 17:33:47.548461

同じ調子でなく、焼味の重なりから何回も焼かれている事が分かる。深いですね。窯の中の湿度で違った上がりもある。

安倍
ヘラ目ですが、例えば花入の形が強すぎる時、ヘラ目を入れることによりやさしくすることができる。只めちゃくちゃに入れれば良いという事ではなく、逃げもあるでしょうしヘラの方向性もある。いろいろな効果を求めて考え抜いた上で入れてある。


職人の物って云うのは、只思いつきで入れている?

安倍
むだベラは沢山ある。一方名品は計算しつくしたところのヘラ目、一本の無駄もない。ヘラ目の形と量、方向性が計算しつくされている。
No.639さむしろ2014-03-04 12:24:57.252851

下の方が“××”文なので上の方が“〜〜”文、なおかつその量のバランス。無駄が一本も無い。一本取ってもバランスが崩れると云う事でしょうね。

安倍
耳の事、取っ手ではないんです。上と下をつないでいるんです。只、取り付ける位置でバラバラの感じになることもある。上の大きさと下の大きさのバランスを取るということもある。


安倍さんの作品を見ると、上から見ても、裏から見てもバランスが取れているように思えます。

安倍
上下が一体化している。造形も、耳も、ヘラも、それはきちんと設計されている。

No.640さむしろ2014-03-05 13:13:41.502875

元の形をろくろで作って、それから造形ですね。年単位の仕事ですね。

安倍
桃山という時代は、そう云う名品が“美濃”で出来て、“唐津”でも出来て、朝鮮半島にまで行った訳です。
あっちもこっちも同時進行でしょうね。ここが仕上がったから次と云う事ではなしに。桃山独特の造形と云うのは、それまでの歴史が繋がってと云う事ではなく、突然出てきた形です。

No.641さむしろ2014-03-06 18:29:43.510683

利休の造形が桃山で一旦途絶えてしまう。魯山人の作品は、その理論と一致しているんでしょうか。

安倍
魯山人は素人です。


単にゆがみがあると云うだけの事ですか。

安倍
そのことは利休の時にすでにあって、織部がいて、光悦がいる。光悦は自分で作るけど、焼くのは楽に頼んで焼いてもらってた訳ですから。


注文したことを示す書状がありますね。


No.642さむしろ2014-03-07 18:48:04.078612
安倍
利休がいて、その下にプロの陶芸家がいて、かたやアマチュアの陶芸家、それが光悦です。アマチュア二ズムがその時出来てるんです。で、戦後日本の工芸の復活は、アマチュアの魯山人が復活させるから、光悦のアマチュアニズムが伝えられていて、現代の工芸はアマチュアニズムです。で、プロの世界と云うのは、清水焼の高級食器のように、器屋さんになった人です。


この造形の組み方はプロと云う事ですか。

安倍
これはプロのアーティストです。私も同じ様に作ろうとしましたが、出来ません。どうしてもこれからこれが返ってこれません。つながらないです。それ位複雑です、彫塑としてね。

No.643さむしろ2014-03-08 16:10:18.450027

例えば、それは日本人ではなく、桃山期に西洋から来た人に作らせたと云う事は考えられませんか?

安倍
それは分かりませんが。


彫刻流に云えば、それ位高度な訳ですよね。「あ、分かった」と云うような簡単なものではないですね。

安倍
ただ、簡単に三角の構築をしろと云って、粘土を持たせてやらせたら、すぐ出来ます。三角三角と積み重ねて茶碗でも作らせたら、アマチュアでもすぐそれらしく出来ます。


でも安倍さんは何十年も制作されていて、なお出来ないと云われる。

安倍
例えば、カルチャーセンターで土を渡して作らせると、初めての人でも皆光悦のようなものを作れます。三角の構成を教えれば、全員楽茶碗になるんです、長次郎風の。

No.644さむしろ2014-03-09 15:32:27.910101

そうすると、逆に離れるのに苦労するんですね。

安倍
新しい三角の組み方と云うと、それは難しい。


守りながら離れてゆく。

安倍
徳川家康が天下を取ってから、織部の茶碗は全然違うんです。一品制作から大量生産へ、見た目は一緒らしく見える。だけど違いは歴然です。京都で織部黒の無傷な物が400個埋まってたんです。桃山末期の“やきもの屋”の屋敷跡で発掘されました。秀吉と利休の確執、秀吉は利休に死を命じます。やがて家康によって織部も死を命じられた。丁度その頃と思われる時代に一塊りに埋めてるんです。

No.645さむしろ2014-03-10 18:58:18.437265

桃山の造形様式は、小堀遠州の時代には消えてしまって、その後の松平不昧の好みの中にもちょっと無いですよね。

安倍
結局、古田織部の息のかかっている物を扱ってたら徳川将軍家に弾圧される。だから使わない。備前も伊賀も名品茶陶が見直され使われ出したのは明治大正以降です。

これは種壷ではないです。最初から水指として作られているように思います。口を意識的に内側へ押さえ込んでいるです。押さえてあったり、ヘラが入っていたり、あくまで種壷を造形的に写したと云う事です。これは唯一重文の水指で、最高の物です。小さい物ですけど。
No.646さむしろ2014-03-11 14:31:45.05487

この”火だすき”と云うのは、線のところとか面のところとか、はっきりしたり、ぼかしたり、それぞれある方が良いのでしょうか?

安倍
これはたまたま線のところが残ってるけど、ほとんど面の部分が多いんです。面にするのも、又難しい。ワラが入るから、白い所が残らず全面真赤になる事が多い。火だすきの焼成温度は800〜900℃で、素焼きの時は全面真赤で、1200〜1300℃まで上がって、焼成物(ワラ)を入れてなかった所は白くぬけてくる。古い物では全面真赤な火だすきが多いんです。白が残っているのは少ない。このワラの線が、1200℃位まで上がってくると、細い線は無くなってくる。太い赤だけが残る。

ワラの厚い薄いで変化がつく。細い線たくさん入っていても、温度が上がってくるとどんどん消えてゆくんです。

No.647さむしろ2014-03-12 16:54:30.239127

先生の作品に火だすきの中に文字が抜けて出ているものがありますが、そう云う意味ではコントロール出来ると云うことですか?

安倍
あれはあの時たまたま出来たものです。窯の条件がうまくあったんでしょう。本当なら、あの字はすべて消えてしまうんです。
低火度でいくと火だすきはきれいに残ってゆく。それが今の作り方です。


赤の色は、濃い程良いとか云う事ですか?

安倍
濃い程と云う事ではなく、ほとんどあずき色をしていたり、オレンジがかった明るい色と、どちらも酸化で上がっていくんですけど、多少還元が残っているか少なかったか、どちらが良いとか悪いとかではないです。濃い色と弱い色の複雑な色がある方が、景色にも変化があって良いと云う事です。1300℃以上にならないと難しい。

No.648さむしろ2014-03-13 11:58:07.762399

1200℃を超えての10℃の違いは?

安倍
もう1000℃を越したら、すごく違いが出てくる。


それをコントロールする事により、色々違ったマチエールの物を作る事が出来るんですね。

安倍
難しいのは、温度の上げ下げではなくて、窯の火を止める時期を探すことです。手前でも向こうに行き過ぎでもいかん。窯の状態を見分けるのが難しい。一人で居ると大体焚きすぎる。焼けてないのではないかと不安になる。

で、多人数いると、勢いで早くに止めてしまう。“炭さんぎり”の様に、しっかりと焼かないのであれば100%易しい。温度が上がっていないから。

No.649さむしろ2014-03-14 19:12:33.913606

10個入れれば10個取れるような。
地下穴窯で歩止まりっていうのはどの位ですか?

安倍
パーセントで云ったら、0の時は0。年間何回もありますよ。100個入れて10〜15個で良い方かな、最高でね、年1回位。ま、5〜6個ですか。まあ、焼けるのは焼けるけど、自分で気に入った物と云うと、その位です。
仕上がりをここで止めると云う事。


伊部は溶ければ黒くなるんですか?

安倍
そうではないけど、ゴマのかかり方も、どんどんかけると流れてゆく。小さいのがパッとかかっているのが良い。窯の構造にもよるんですが。
どれも名品は1個だけ。色々あっても1個だけ。備前が1個だけ良い物があると云うのは、種類として色々なものが100も200もできると云う事です。

No.650さむしろ2014-03-15 17:50:43.86807

焼き続ければどんどん変化してゆくんですね。で、どこで止めるかと云う事が、一番難しいんですね。一回一回の窯の焚き方もそうでしょうが、もう一回窯に入れて焚くかどうかの判断もむつかしいでしょうね。

安倍
もうこの辺で止めとけば良いのに、もう一度窯に入れた為にダメにしてしまったり。入れてよくなることは、本当に少ないです。


高い温度で回数を焼いていくと耐えられる物でもゆがむんですね。

安倍
ゆがんだから良くなった物ということもなくはない。

No.651さむしろ2014-03-19 13:18:32.999889
尻切れトンボではあるが、ビデオは以上で終わっている。
質問者の解説があるので、これよりそちらをを載せることにする。



 聞き手はこの時、職人ものとアーティストものがあるという考え方は初耳であった。
安倍さんは、アーティストの世界と職人の世界は分けて考えないと、真実は見えないし理解出来ないと言っている。
聞き手は、多くの犠牲をいとわず一点の名品を求めたのかと思い尋ねたが、それは違っていた。
また、同一のデザインのものを複数点制作し、その内の最上のものを取り上げ、他のものは壊したのかと言う意味の質問をした。
百点、二百点と言ったのは作品の数のことであり、七十点、八十点というのは、百点満点のうちの出来具合の70点とか80点の意味である。
安倍さんは、一点しか造らないのだから、同形の作品で、満点出来のもの、80点出来のもの、50点出来のものが同時に存在することはないといっている。

安倍さんは、まず設計図があって(必ずしも実際の図面という意味ではなく、このような形(造形へラ目を含め)でこのように焼くといった、出来上がりのイメージ図だと理解)、それにそった作品を一点作り、設計に沿って焼き上げていく。一つの設計図に基づいて造るのは一点のみだという。
安倍さんは、太郎庵を例にあげ、あくまで太郎庵はこう云う設計の元にこう作らせている。沢山作って一点取るのは職人の世界であって、太郎庵の場合は一点しか造っていないので破片も絶対ないと思う。この太郎庵は、焼いたのも、出て来たのも、残っているのも、これ一点限り。だからこれはアートなんです、と説明
聞き手はやっと合点がいき、アーティストものについての解説をお願いすることにした。
No.652さむしろ2014-03-20 18:18:38.216216
職人が作るものの場合は、焼けてさえいればよく、景色がどうこうということはない。実用にたえうるものであればよいのである。
つまり、堅く焼き締まってさえいれば十分である。逆にいえば、必要以上に焼くことは薪の無駄である。

これに対しアーティストが作るものの場合は、設計図にある「焼なり」あるいは「焼き味」になるまで何回でも焼く。
そしてその焼き味の(仕上がり具合の)違いは一見してわかるという。

その評価も、職人ものは数百万、アーティストものは数億円というくらい違う。
中間ということはなくて、随分極端のようだ。ただ、このことは備前についての話であって他はわからない。例えば、志野の名品といわれる「卯の花垣」や「峯の紅葉」などは数億で動くかどうかであるが、普通の古志野茶碗で数千万という話を聞いたことがある。

No.653さむしろ2014-03-22 16:47:42.975546
「何回でも焼く」と書いたが、どうしてそのようなことがわかるか?このことは、先日まで掲載していた動画「公開!The備前−安倍備前の全貌−」をご覧になった方は解かると思うが、例えば上から下に流れる胡麻の上に横切るように胡麻が流れているといったことがみられる。上から下への流れからは、器物を立てて焼いたことがわかる。横切るような胡麻の流れからは、器物を寝かせて焼いたことがわかる。このことから、一度は立てて焼き、その後もう一度寝かせて焼いたことがわかるのである。

この安倍さんの話を聞くまで、それこそ安倍さんがいうように「ごっちゃ」に考えていた。図録中のいずれもが桃山の名品で、焼き上がりの違いで評価の高低はあるとしても、職人ものとアーティストものという線引きと、数百万と数億円の開きがあるなどということは考えられなかった。

図録にある作品は名品揃いと思っていたが、安倍さんの話では、そのほとんどが職人ものの方に区分される。
No.654さむしろ2014-03-23 15:43:09.653173
そして、アーティストものと職人ものを見分けるには「造形」と「焼きなり」を注意深くみることが必要である。私の場合は造形を見分ける方が難しいように感じている。焼きなりのほうは、複数回焼いたことによって現れる、異なる胡麻の色、流れ、調子といったものが判別しやすいように思う。

名品といわれるものを、土着の職人が、備前で或いは伊賀で作り、焼いたのであれば破片(失敗作の)が出てくるはずなのにまったく出てこない。あれだけのレベルのものについて一片の破片もないのはどう考えても不思議である。失敗作が一点もないということは考えられない。

一つ考えられるのは、備前の窯で、3点なら3点を焼かす。職人(陶工)は指示書に従って、例えば一つ目は、第一回焼きは赤焼きなら赤焼き、二回目はごま焼き、三回目にはどこでさんぎりを出すか、四回目にはどう仕上げる、二つ目は、どういうふうに焼いてどう仕上げる、三つ目は、どういうふうに焼いてどう仕上げる。そして職人は、3点とも焼きが終ったら、上手く焼けたものも、上手く焼けなかった失敗作も、仮に割れれば破片までも全てを揃えて発注者に返す。そういうことをしていれば、破片の一片も出てこなくても不思議ではない。

No.655さむしろ2014-03-24 18:00:24.484374
名品である三角花入と比較して説明中のものは備前三角花入である。世間的にはそこそこ有名な花入で、絵葉書の写真をみながらの解説である。所有者があり、画面に出しての解説は憚られるので、残念だが隠さざるをえない。

当初素人の目には、桃山の名品としか写らなかった。説明を聞いて、焼きがまったくもって淡白であることは直ぐにわかった。繰り返し焼くことによって現れる肌や胡麻の変化がない。造形については、その違いがよくわからなかった。安倍さんは「繋がっていない、バラバラである」と言った。わかったような、わからないような、そんな話しだが、「繋がる、繋がらない、バラバラ」は「三角の面が展開していっていない」あるいは「連動していない」と言い変えてもいいと思う。

No.656さむしろ2014-03-26 12:29:48.585384
少し聞き取りにくいところがあるが、あそこでは、置いてあった安倍さんの作品をみて「あの味は窯から取り出したその時からあの味か」と質問をしたのに対して「そうだ、窯から出したときからあの味だ」と。見た時にすでに古格があったので尋ねたら、時代が味をつくるというものではないということをいわれた。ものによっては、たとえば萩、唐津のように上釉が掛かったものは時代を経た味わいがある。

見ているのは、日本陶磁シリーズのうちの「備前」である。多くの備前作品が載っているが、安倍さんがいう「アーティストもの」はわずかしか載っていない。わたしには大変紛らわしいものが多いが、一点づつ説明をうけると納得できる。多分、掲載作品のうちアーティストものは、水指で数点、花入で数点、鉢で数点(いづれも多くて十点程度以下)程度ではないか。ここでの数は確かめたものではないので正確ではないが、いいたいのは、「これは」と思ってもほとんどが職人ものであるということである。
No.657さむしろ2014-03-27 17:48:57.309407
限られた数の作品ではあるが、安倍さんが「なんでそこまで求めたか」と問うほど手をかけているという。やはりそれらは「特別」な作品であったと考えるしかないのではないか。

「そこまで求めたもの」は『造形』と『焼きナリ』の両方にあると思うが、自分の体験から、造形についてはなかなか解かりづらい。
焼きナリは、数度にわたって焼かれた変化、重なりからみることが出来る。

No.658さむしろ2014-03-28 14:42:13.920393
「重なり」と書いたが、これは上から下に流れる胡麻の上に横切るように胡麻が流れていたり、サンギリの上に胡麻がかかっている場合などのように一回ではできない現象が複数現われていることをいっている。

「備前三角花入の造形の原形は楽茶碗である」という話には驚いた。楽茶碗の造形を誇張したものが「織部」であるという織部は、茶碗だけでなく花入、水指をも含み、これによってつくられたものを「織部様式」といい、備前三角花入は織部様式で造られている。どう違うかといえば、楽茶碗には「面」があり、他のロクロで挽いたものには「点」あるいは「点と点」を結んだ「線」しかない。ビール缶の上面下面は別にして側面には面がないというのである。あるのは点の連続であり、点と点を結んだものは線でしかない。
と、こんな話だろうと思う。この部分が安倍理論の根幹をなすものだと理解している。

No.659さむしろ2014-03-29 17:05:54.605503
造形だが、ゆがめてあると考えず面によって作られていると考えたほうがいいと思う。
折り紙を思い浮かべてもらうと、バラ、紫陽花、象、兎など多くのものが三角あるいは四角の面で表現されている。

なにゆえ面を必要としたか?それは量を求めるためであった。量とはなにか、奥行き、目方、大きさなどで、これは彫刻の思想である。

奥行き、目方、大きさなどの量でなにをしようとしたのか?
彫刻の思想が何故必要なのか?彫刻とどう繋がるのか?

No.660さむしろ2014-03-31 18:51:19.630491
以前取り上げたギリシャ彫刻のところを読み返していただければ理解の助けになるかもしれない。私は、動きを表現しようとしていると理解している。言い方を変えると「表情」を表現しようとしているということができる。

缶の一ヶ所を押してこれが面であるとの話があった。面は一ケ所だけつくるということではなく次々と展開させていき、そして全体を一周する。

以前、安倍安人作備前花入の三角の線に沿って細幅に切ったテープを貼り付けてみたことがある。テープは波打つように全体を覆った。花入を見ていると気持ちが悪くなりそうで長く見ることができない。安倍さんは、解説中の古備前三角花入を手にとってみたことがあるが、「動き」に気持ちが悪くなったと言っておられた。三角の展開に沿って動きが生れているということのようだ。「人の流れに酔う」ということがある。(東京の)通勤時、右に左にと乗り換えに急ぐ人の流れをみていて酔ってしまったという体験をされたかたがあるかもしれない。
No.661さむしろ2014-04-01 16:07:42.157891
花入を、或いは茶碗、水指を見て酔ってしまったり気分が悪くなってしまったんでは、茶道具としてあるいは鑑賞陶としての用をなさない。

安倍さんは、その花入なりに入れられたヘラ目が、その回転運動を止める作用をはたしていると説明されている。その部分は後で出て来ると思うので、そこでよく聞いていただこう。
No.662さむしろ2014-04-02 17:31:20.754503
「宇宙は無限である。無限思想を茶碗に表そうとした。無限は、三角の面の構築でないとでてこない。」

この部分は大変難解で、ここで解説するほどの理解をしていない。掲載中の2週間のあいだ繰り返し見直してみようと思う。

キリシタンによって、宗教以外にも多岐にわたる衣食住文化が渡来したのに芸術が入らない訳がない、という話は理解いただけると思う。
エルグレコの三角の構図、セザンヌによる三角の平面化、ピカソのキュピズムについては何となくイメージを浮かべてはいるが理解には至らない。

No.663さむしろ2014-04-03 16:33:26.974542
繰り返し見直しているが、解説をするまでに至らない。ただ、楽茶碗は最も日本的なもののひとつであるとの考え方を真っ向から否定し、茶の湯に西洋的思想を取り込んだものだといわれるのは理解できる。

静的、禅的である長次郎茶碗「無一物」、「大黒」などは初期のもの。三点展開による造形がなされた「杵ヲレ」、「俊寛」など。この二つは長次郎物というひとくくりで捉えるのではなく、まったく質の違うものと捉えたほうが理解し易いだろう。

NO760で書いたように、キリシタンによって芸術文化が渡来したことは十分に想像される。そしてジョアン・ロドリーゲスの日本教会史から紹介したように、宣教師と茶の湯者達との交流は極めて親密であったことがうかがえる。

No.664さむしろ2014-04-05 13:38:07.085435
「無限思想」「無限の茶碗」ということについてはこれからも考え続けていくことにして、利休が長次郎に造らせた茶碗が「特別のもの」であったことは容易に想像できる。

ジョアン・ロドリーゲスの日本教会史から紹介したように、当時の茶の湯者達の茶の湯への思い入れは半端ではなかった。今では想像できないほど真剣で命懸けだったといっても過言ではないのではなかったか。

そのような場において主役の座の一角を担うものであったことを考えると、単に黒い茶碗を造ったということで片付けられるものではなく、安倍さんが言われるように無限思想など「特別な思い」を込めた茶碗であったと考えた方が納得しやすい。
No.665さむしろ2014-04-06 12:18:31.915908
楽茶碗と備前花入を混ぜこぜに話しているようにみえるが、長次郎茶碗も備前三角花入も造形が単なる思い付きでなされたものではなく、三点展開理論による同一の造形がなされているということを説明しているからである。造形理論については、茶碗でも花入でも水指でもいいのである。

私がこの展開図を書いても多分繋がらないでしょう。私にはとても及ばない高度な造形であるといっておられる。
この理論の理解はなかなかむつかしい。ここで説明しようにもその理解がない。
桃山の茶陶には「大名品」と、職人による「ごまかし品」があることを覚えておいていただくだけにしよう。
二つの写真を見比べながら説明を聞くと、「大名品」は”繊細・濃密”、「ごまかし品」は”つるん”とした感じがする、というのが私の感想である。
No.666さむしろ2014-04-08 17:36:46.995808
展開図において繋がるということは、面が次々と連動して展開しそして繋がっていくということと理解していいだろう。見ている図録には多くの古備前作品が載っているが、安倍さんがいう大名品は、花入で数点、水指で数点、鉢で数点といったところである。

楽家に伝わっているのは山があって谷があってという部分的な形だけと思われる。造形理論ではないため、一から構築することが出来ないのだと思われる。長次郎の造形理論が伝わったのは常慶までで、のんこう以降のものには長次郎と同一の造形のものはみられない。
No.667さむしろ2014-04-09 17:54:48.145478
参考になる書状がある。左の写真の書状は千宗旦が楽茶碗の注文をしたときのものである。図の茶碗は、画面左側の胴部分が外側に張り出し、同右側の胴部分が内側に反っている。長次郎の茶碗を図録でみると皆このように反ったように写っている。織部様式茶碗を写真に写すと強弱の違いはあるがほぼ例外なく右あるいは左に反って写っている。このことはどの角度から写してもいえることで、これは造形からくる必然である。宗旦が長次郎茶碗をイメージして注文したことがわかる。造形理論を心得た長次郎であれば、この注文状によって宗旦の期待する茶碗を納めることができる。ところが、注文を受けた吉兵衛には理解ができず、一方からみて図の形になる茶碗しか作れなかったものと思われる。

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