茶房ものはらへようこそいらっしゃいました。ゆっくり閲覧ください。

No.471さむしろ2013-05-10 00:32:18.902075
その後十日まで連日、それも朝昼、昼晩、と続く。
道具も寸法、色、その外様子が書かれている。

備前物は登場しないが、
「水指シガラキ、石(注:居)大ニシテ下丸シ、真蓋」
と、信楽が登場。
No.472さむしろ2013-05-12 00:12:47.589491
正月十九日 朝  圭音(豊臣秀長茶堂) 御会  宗湛 一人

土水指 備前モノ 共蓋  下フクラニアリ、コブモアリ
とあるが、なんとなくわかるような、わからぬような。
茶碗はセト。
 
No.473さむしろ2013-05-12 23:40:13.560409
(正月)廿七日朝  虎屋紹意 御会

ヤキ茶碗ニ道具仕入テ、

ヤキ茶碗とは今ヤキ茶碗のことと思われるが、赤とも黒とも、またどのような様子かについても何の記載もない。
No.474さむしろ2013-05-13 21:45:35.39746
正月廿八日昼   森田道味 御会

ヤキ茶碗

二月朔日朝    菊屋宗可 御会

ヤキ椀(原文どおり)ニ道具仕入テ、

上のとおりで説明なし。
No.475さむしろ2013-05-14 23:58:44.869956
(ニ月)ニ日朝  大文字屋榮清 御会

 ヤキ茶椀に道具入テ、

ニ月三日朝  了己 御会

 セト茶碗道具仕入テ、

(ニ月)七日朝  鳴尾屋宗叱 御会

 セト茶碗道具仕入テ、

(ニ月)八日朝  本住坊 御会

 ヤキ茶碗に道具仕入テ、
 備前物に花生テ、高八寸、フクラ三寸五分ホトニ、古キ也、

未だヤキ茶碗は、取り上げるほどの茶碗ではないようだ。
No.476さむしろ2013-05-16 00:02:06.362124
九日朝  クサヒヤ道設 御会
  土水指  セト茶碗

二月九日昼  立佐大和屋 御会
  ヤキ茶碗、道具入テ

十一日朝  ナヤ與太郎殿 御会
  セト茶碗
No.477さむしろ2013-05-16 21:51:04.417715
二月十三日朝昼  宗及老 不時御会

土水指、備前物也、名ヲクヽリハカマト御申候、友蓋ナリ、

注:クヽリハカマ  括袴の形に似た水指。
No.478さむしろ2013-05-17 22:22:48.831869
(天正十五年二月)十九日昼  モスヤ(萬代屋)宗安 御会

高麗茶椀(原文のまま)ニ道具仕入テ

茶椀について以下の説明がある。

一 茶碗、口四寸五六分、茶置クボクシテメ四ツ有、中ニヤキゝレアリ、ハタソトソル也、呑口ウスク式ホソク候、薬赤ククロメナルヨウニ候、スヤンノイロ也、ヒカル心ナリ、内ニ巾スレ半分ヨリフカシ、又薬ヌメヌメトシテ、其ノ下ノ土ヤワラカ也、細ヒゝキ有、五百貫文ニ代候ト也、


めずらしく詳しく様子が記されている。セト茶碗はときどき出てくるが、今ヤキ茶碗の登場は今までのところ少ない。
No.479さむしろ2013-05-20 22:12:57.073364
(天正十五年)三月四日晩  水落宗恵ニ

床ニ備前花入に花生テ有之、

様子などの説明無し。
No.480さむしろ2013-05-22 00:01:55.350587
(天正十五年)三月六日昼  春世 御会 大坂ニテ

ヤキ茶碗、道具入テ、

備前物ノ新キ花瓶ト、 −略ー 、此筒モ只今ツクロイテ参候、花モ始テイケ候トテ雑談也、


今のところ「セト茶碗」の登場の方が多い。
No.481さむしろ2013-05-23 00:31:36.473093
(天正十五年三月)十二日朝  道設 御会

土水指  ヤキ茶碗、道具入テ、


(天正十五年)三月廿八日  愛宕山

ヤキ茶碗、道具入テ、


セト茶碗、高麗茶碗、天目を使用されることが多い。「ヤキ茶碗」には相変わらずそっけない。
No.482さむしろ2013-05-25 00:02:21.111942
(天正十五年六月)十四日昼  箱崎トウロ堂ニテ
利休老 御会
ヤキ茶碗

同昼利休ノ茶会ノ後ニ
紹安 御会
ヤキ茶碗ニ道具仕入テ

No.483さむしろ2013-05-26 22:42:38.473908
(天正十五年十月)十二日  関白様ニ 御礼ニ罷出、

次の記載がある。

土蓋今ヤキ立ニカキメ有、

井戸茶碗ハ、底スリタル也、


茶碗以外だが「今ヤキ立」の記載がある。
最近、茶碗の底をスルということが話題になったことがあるが、茶碗の底を「スル」ということはあったようだ。
No.484さむしろ2013-05-27 23:48:46.711801
ここまで関白秀吉の茶会や聚楽第での茶会がいくつか出てきたが今ヤキを使った茶会はない。

使われているのは井戸茶碗、天目茶碗、セト茶碗である。秀吉が今ヤキを嫌ったとの話が思い浮ぶ。

No.485さむしろ2013-05-29 00:10:32.088799
(天正十五年)亥十月十四日昼  関白様御会 聚楽ニテ

土水指ハ、備前物也、博多ニテホリ出候ニ依テ、名ヲ博多水サシト被仰候也、


備前水指がどのようなものであったかの記載はない。
No.486さむしろ2013-05-31 23:59:14.009349
(天正十八年九月)十日昼   利休老  聚楽(第)ニテ

ー略ー、台子ノ茶湯アリ、 −略ー 
上ニハ黒茶椀(椀は原文のまま)ハカリ置、 −略ー

内ヨリセト茶ワン持出テ、台子ノ上ノ黒茶碗ニ取替ラルル、黒キニ茶タテ候事、上様御キライ候ホトニ、此分ニ仕候ト也、


この当時、秀吉が黒茶碗を嫌っていることは知られていたようだ。
No.487さむしろ2013-06-02 09:00:15.425344
(天正十八年九月)廿日朝  玉甫和尚 御会 大徳寺ニテ

土水指  黒茶碗ニ道具仕入テ、

※ 土水指が何かは不明、黒茶碗が何かも不明だが、今言う瀬戸黒ではないかと思っている。


同廿日昼  利休老 御会

黒茶碗、道具入テ、 土水指、

※ 同。
No.488さむしろ2013-06-02 22:14:04.960444
(天正十八年十一月)廿四日朝  宗及老 御会

黒碗ニ道具仕入テ、土ノ水指

(天正十八年)霜月朔日朝

黒茶碗ニ道具入テ、  セト水指


※ 黒碗と黒茶碗同じか? 様子の記載なし。
No.489さむしろ2013-06-04 22:38:46.300865
(天正ニ十年十一月)十ニ日朝  休夢 御会 ナゴヤニテ

(ツリ棚ノ)下ノ棚ニ今ヤキ碗道具仕入テ、備前水指、眞蓋 

No.490さむしろ2013-06-05 23:44:02.939798
十二日朝の茶会の後、三十回の茶会に「今ヤキ」が出てこない。

セト茶碗が比較的多く、合間に高麗茶碗、天目が使われている。

朝鮮出兵の出兵拠点である名護屋での茶会が多いせいもあるかもしれない。
No.491さむしろ2013-06-07 00:40:02.027892
(文禄三年)三月五日昼  石田治部少輔殿 御会 伏見ニテ

床ニ竹ノ筒、又今ヤキノ筒二ツ懸ケテ、


花入れを二つ懸けるというのは初めてだ。又、「今ヤキ」は茶碗以外でも呼ばれていた。
No.492さむしろ2013-06-08 00:10:32.802034
(文禄二年)三月六日昼  長束大蔵殿 御振舞 伏見ニテ

今ヤキ茶碗、道具入テ、


(文禄三年)四月二日朝  道叱老 御会 堺ニテ

水指ハ、備前也、古、タカノヱサシナリ也、(鷹の餌籠形の水指)
天目  前ノ夜ハ、黒ヤキ茶碗也、
水覆 備前也   蓋置 備前也


黒ヤキ茶碗はなにか? 今ヤキ黒茶碗か? 
No.493さむしろ2013-06-09 21:03:32.520737
(文禄三年九月)七日昼  前但馬殿 御振舞 大坂ニテ

セト水指 ヤキ茶碗ニ道具入テ

―略― 其後ウス茶アリ、御咄有テ、 湯 、御酒一返、  −略− 、其後ニコイ茶アリ、過テ、備前鉢ニササチマキノ大ナルヲ、湯ニヒタシテ出也、


※ 備前鉢をこのように使っていたのか。
  友人から”笹巻き”が送られてきた。上の茶会の客が三人であったので、
  伊部鉢に笹巻き三ヶを盛ってみた。
No.494さむしろ2013-06-11 00:15:23.875427
(慶長二年二月)廿五日朝  ナヤ宗薫 御会

ヤキ茶碗ニ道具仕入テ、


(慶長二年)三月朔日朝  千紹安 御会

ヤキ茶碗ニ道具仕入テ、


※ 千紹安の茶会は本書では初
 
No.495さむしろ2013-06-11 22:19:44.978506
(慶長二年)三月八日晩  春世 御会 伏見ニテ

セト水指、  ヤキ茶碗ニ道具仕入テ、


(慶長二年三月)十二日昼  道春 御会 大坂ニテ

今ヤキ茶碗ニ道具入テ、
No.496さむしろ2013-06-12 22:08:19.00276
(慶長三年十一月)廿五日昼  浅野弾正殿 御振舞 名嶋御城ニテ、

今ヤキ茶碗ニ道具入テ、


(慶長三年十一月)廿七日昼  浅野弾正殿ニ 御振舞 名嶋ニテ、

ヤキ茶碗、道具仕入テ、


No.497さむしろ2013-06-12 22:16:47.488287
(慶長四年二月)七日昼  安芸宰相殿 御振舞 伏見ニテ、

今ヤキ茶碗、道具入テ


(慶長四年二月)九日晩  石田治少殿 御振舞 大坂ニテ、

今ヤキ茶碗ニ道具仕入テ、今ヤキ肩衝、


※ 「今ヤキ茶碗」は楽茶碗と考えているが、「今ヤキ肩衝」は必ずしも楽焼とは限らないのではないかと思うがどうだろうか。
No.498さむしろ2013-06-14 23:25:03.350872
(慶長四年二月)十九日昼  宗凡 御会 伏見ニテ

水指シカラキ、  今ヤキ茶碗ニ道具仕入レテ、


ニ月廿八日朝  古田織部殿 御会 伏見ニテ

土水指  高麗茶碗に道具仕入テ、
香合 今ヤキ
ウス茶ノ時ハ、セト茶碗、ヒツミ候也、ヘウケモノ也、


「ヘウケモノ」の登場である。ヒツミやヘウケモノがどのようなものであったか何の記載もない。黒織部あるいは織部黒がこれにあたるのではないかと思うがどうだろうか。
No.499さむしろ2013-06-17 09:41:41.52666
NO493に「備前ニ笹チマキノ大ナルヲ」出した記録を紹介したが、ちょうど島根・雲南市の友人から、同地方で昔からこの時期に各家庭で作られ、午後三時の茶のときなどに食された「笹巻」が送られてきたので、安人さんの伊部鉢に盛ってみた。
No.500さむしろ2013-06-18 22:30:57.25157
(慶長四年)二月廿九日昼 宰相殿 御会 伏見ニテ

香合 今ヤキ

肩衝ハ、セト新也、


※ 先に茶碗以外は「今ヤキ」が楽焼とは限らないのではと書いたが、「肩衝ハ、セト新也、」「水指ハ、セト新也、」など、「今出来ー今ヤキ」というのを使わず「新」とあるのをみるとやはり「今ヤキ」は長次郎焼の代名詞だろうか。
No.501さむしろ2013-06-20 07:33:45.571851
(慶長四年)三月三日朝  安国寺和尚 御会 伏見ニテ

セト肩衝、新也、今ヤキ茶碗ニ道具入テ


(慶長四年)三月十一日朝  覚甫 御会 伏見ニテ

水指シカラキ、友蓋、 今ヤキ茶碗ニ道具入テ、

肩衝ハ、セト、古クミユル、


※ 茶入について、「新」「古」と記している。
No.502さむしろ2013-06-22 08:15:11.383822
(慶長四年)三月九日昼  筑前中納言(小早川秀俊) 様御会 伏見ニテ

水指セト  今ヤキ茶碗ニ道具仕入テ


(慶長六年十月)九日朝  黒田甲州(長政)様御会 島飼村ニテ  如水様 相伴宗湛

黒茶碗

※ 黒茶碗がどのようなものか不明
No.503さむしろ2013-06-23 23:33:18.088213
(慶長七年)十二月廿五日  如水様御会

備前筒ニ柳入テ壁懸、セト茶碗

慶長八年正月四日朝  母里與三郎トノ 御会

碗黒今ヤキ

※「黒今ヤキ」は初見。今ヤキ黒茶碗のことか、それとも違うか。
No.504さむしろ2013-06-24 23:27:33.638244
(慶長八年)正月九日朝  岡田半次トノニ御会事

備前筒ニスイセン花生、
碗コウライ白、

ウスチャニハ、ナカツギ、碗黒今ヤキ


慶長九年二月八日朝  黒田筑州様ニ御会之事

柱懸ハ備前物也、

茶碗セト也、ヒツムツキ候、


※ 掛花生か? ヒツムツキ=ひづんで  黒織部或は織部黒あたりか?
No.505さむしろ2013-06-26 22:30:18.869992
(慶長十年)五月廿五日朝  覚甫御会

今ヤキ碗   水覆 今ヤキ  水ツキ 今ヤキ


古田織部殿 御会

唐津ヤキ茶碗   香合 今ヤキ  水ツギハ、今ヤキ也、
No.506さむしろ2013-06-27 23:59:21.390692
(慶長十年)六月十五日昼  宗凡 御会

水指セト 黒茶碗ニ道具入テ、
肩衝 京ヤキ

同十五日昼中  疋田右近殿 御会

今ヤキ黒茶碗

※ 黒茶碗  どういうものか不明、想像するのみ。
  肩衝 京ヤキ  やはり不明。
  今ヤキ黒茶碗  黒楽茶碗と思われる。
No.507さむしろ2013-06-29 09:45:23.254315
慶長十年九月廿六日晩  覚甫 御会

水指シカラキ 黒茶碗道具仕入テ、

シカラキハ、友蓋、ヘウタンナリ也
茶碗 京ヤキ也、ヒツム也、
肩衝ハ、唐津ヤキ、


※ 黒茶碗+京ヤキ+ヒズミ=?
No.508さむしろ2013-06-29 23:22:54.792538
(慶長十一年)九月廿一日昼  古田織部殿 御会

黒茶碗に道具仕入テ

水指 備前也、   香合 今ヤキ
No.509さむしろ2013-06-30 22:54:06.708189
(慶長十一年)十月五日昼  覚甫 御会 伏見ニテ

水指 シカタキ

黒茶碗 京ヤキ

※ 京ヤキ黒茶碗てなに?
No.510さむしろ2013-07-02 22:19:03.087516
(慶長十一年)十月九日昼  宗凡 御会 大坂ニテ

水指シカラキ  黒茶椀ニ道具入テ


(慶長十一年)十月十日昼  宗凡 御会 大坂ニテ
下九兵 御振舞 伏見ニテ

黒茶椀


(慶長十一年)十月十六日昼  母里又左 御会 大坂ニテ

セト茶椀
No.511さむしろ2013-07-04 00:18:01.689125
宗湛日記も、一応目を通し終えた。最後の20ページは、7ページが日付と亭主と客のみ、そのあとは、点前について詳しく書いている。

今ヤキ茶碗、黒茶碗などについて少しでも特徴などに触れたところがあればと期待したが、期待するものはなかった。
No.512さむしろ2013-07-07 21:43:05.949851
今ヤキ茶碗、ヤキ茶碗は長次郎茶碗を指していると思っていいと思うが、
土蓋 今ヤキ立ニカキメ、
今ヤキノ筒(花入)、
黒ヤキ茶碗、
香合 今ヤキ、
椀黒今ヤキ、
水覆 今ヤキ、 水ツキ 今ヤキ、
茶碗京ヤキ也 ヒツム也、
黒茶碗 京ヤキ、

などがどのようなものなのか、よくわからない。 
No.513さむしろ2013-07-16 22:27:07.496918
毎日暑いです。

少し前になるが5月18日に茶会があった。20人づつを二組招く計画をしていたが、断りきれない方もあり、結局、25人の二組になった。

人に頼んでビデオを撮ってもらった。編集も頼むつもりだったが、二組が交互に撮影されているものを二つに分けて二本のビデオに仕上げたいので、他人が見たのでは分別出来ない。

やむなく、ビデオ編集などしたことがない自分でやることにした。

元テープはプロが使うもので、普通のパソコンでは再生できない。「カメラのサエダ」でDVDにダビングしてもらってはどうか、との助言があり、店に電話をして聞いたところ可能ということで頼んだ。

中身は3時間余りあった。
編集ソフトも購入した。

そんな訳で、余裕のない毎日を送っている。
No.514さむしろ2013-07-17 22:29:01.609408
茶会は、奥出雲・櫻井家で行われた。前にも書いたが、櫻井家は戦国武将で豪傑であった塙団右衛門を始祖とする旧家で出雲御三家の一つである。

櫻井家での茶会は、これまで10回前後催し、去年が最後のつもりであった。ところが昨秋、櫻井家より、今春の中国縦貫道・三次と松江を結ぶ高速道の開通を記念して何か企画を考えてほしいとの話があった。

そこで齋藤宗眞先生と相談して、こじんまりとして、しかししっかりしたものにしようということになった。

床の右側隅に掛けてあるのは孔雀の羽である。松江藩主のお成りの際、飾りつけとして掛けられたということである。
No.515さむしろ2013-07-19 00:13:47.718156
茶会は、炭点前、濃茶、懐石、薄茶、後段の順で行われた。

櫻井家に伝わる松江藩主御成りの際の懐石記録をもとにした懐石道具と、それにふさわしい料理を工夫してもてなした。
No.516さむしろ2013-07-20 00:17:29.073331
焼き物は鯛。
重箱に盛り、出す。
No.517さむしろ2013-07-21 23:43:23.843553
八寸は”すずりぶた”を用いました。松江藩主のお成りの際にも用いた記録があります。
No.518さむしろ2013-07-24 00:11:46.226179
ビデオ編集苦戦中。
二本の内の一本をDVDにコピーして再生したところいくつかの不具合があった。

字幕の誤字。
これは簡単に直せた。

ここにあってはいけない画像が入っていた。
録画音声が小さいため、編集の都合で早い段階で画像と音声を分割したところ、音声を生かして画像を入替えたところにここで入れてはいけないものを入れていた。

これらはわりと簡単に直せた。しかし問題はもう一本のほう。
90分ほどに編集したがサイズが大きすぎてDVDに納まらない。切れ切れの画像と分割した音声。残したい画像のうちから切り取る画像を選ぶのも大変。
昨日、今日は2分程づつを削るのに2時間以上かかってしまった。
No.519さむしろ2013-07-25 00:27:36.065379
トータルおよそ13分短縮。これで何とかいけるのではないかと思っているが、やってみないとわからない。

DVDにタイトルと画像を印刷するためにインクジェットプリンターを購入したが、届いて4日目に「インク漏れ」があるので交換するから型番を確認して欲しいとのメールが届いた。編集の指導をしてくれている佐々木さんがプリンターの設定をしているときに、手に黒インクがついて、どうしたんだろうと不審であったが、間違いない、内に届いたプリンターには欠陥があった。
No.520さむしろ2013-07-26 00:12:47.715
NO515で「後段」と書いたが、これは懐石を途中で止め、席を改めて、そして続きを行うその続きの部分である。「後段付の茶事」などという。

しかもこの”続き”は宴会風に行うことから侘び茶にはなじまない。

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