ティータイム 安倍安人(14)
あしろ木

さむしろさんとしたり尾さんの会話は、かなり専門的なのでとても難しくなかなかついていけません。つかれます。ところで世の中、春たけなわですね。安倍安人さんの備前に出会ってから日本の四季を楽しむ生活に一変しました。初めて見た時の衝撃と感動はいかばかりなものか、思わず手がのびてその感触を味わっていました。今こんな備前を焼く人がいるんだ! (あおい)

マスター

あおいさんいらっしゃい。そうなんです、あの二人はずーっとああなんです。ほっておきましょう。それより、四季を楽しむ生活って何ですか?

したり尾

あしろ木さん、はじめまして。しばらく、あしろ木さんの楽しい生活のお話など、聞かせてください。
ひと言だけ、さむしろさんに。唐津や備前など、ばらばらに作家がいたのではなく、ポイントは美濃だと思うのですが。この話の続きは、また後で。

さむしろ

もちろん異議はありません。安倍備前に初めて出会ったときの衝撃は、わたしも体験しました。あおいさん、どうぞよろしく。

あしろ木

安人ホームページの門脇満氏の「安倍備前の造形と焼成考」を読んだ時、自分が安倍備前に対して感じていたことを大変わかりやすく論じてくれていると思いました。造形作家 安倍安人の作品は、土よし、焼きよし、造形よし、見てよし、使ってよし、飾ってよしなのです (まだあるかもわかりません)。今でも忘れられない安倍さんの言葉があります。「名品でないといけない」これこそ私の価値観を変えた、目からうろこの瞬間でした。骨董の世界では、名品などは雲の上の存在で、手に入るはずもなく、色々講釈いっても中途半端なものたちで満足していたのです。でも「名品でないといけない」の一言で目が覚めました。(あおい)

さむしろ

ほう「名品でないといけない」と、成る程。最近は「桃山といえば壺も甕も擂鉢も水指・花入もすべて一緒。窯も焼成も全部同じ。偶然に特別なものが焼けたくらいにしか考えていない。」という言い方をしておられますね。「アンチ安人」という人もまた多くいるようですが、ここら辺がわからないと本当の感動は得られないでしょう。

あしろ木

そうですね。安人ホームページのアトリエ訪問の33回と36回で安倍さんが述べられているように、同じ桃山時代でも茶道具として生まれてきたものと壺などの雑器とは、質も意味も違うということなのでしょうね。(あおい)

さむしろ

そうそう、生まれる経緯からつまり生もうと思ったときから違うんでしょうね。その理解のことですが、書道を習い始めた頃、書き損ねたといって筆を入れ直すことはいけないことと教えられました。そのことが未だに残っているのかどうか、安倍備前の数度焼きを“ひが事”として素直には受け入れられない人も多いかもしれません。

あしろ木

その衝撃は、たぶん私の体験したものと重なる部分が多くあると思います。なんといっても嬉しかったです。
マスター、さむしろさんに敬意を表して、庭に咲いていた山芍薬を一りん手折って持ってきましたので、ぜひ安倍さんの花入れに入れていただきたいのですが (あおい)

マスター

これはこれはめずらしい花をいただいてありがとうございます。花入れをつけていただいたらもっとよかったんですが。(笑)山芍薬はいい花で好きな花ですが、花入れがむつかしいですね。う~ん、それでは、陶21に載っている「伊部舟徳利」に生けてみましょう。

さむしろ

山芍薬ですか! いいですね! 伊部舟徳利も徳利といいながらアートであり大変な名品ですね。山芍薬の蕾が開きかけたときはあまりにも清楚で、活けるときは邪魔にならない花入れであってほしいと願っていました。山芍薬を好きな花の第一にあげる自分としては、安倍さん、よくぞこの花入れを造って下さった、という感じです。あおいさんありがとうございます。

あしろ木

いいですネェー山草愛好家の間では白花よりも紅花の方が珍重されていますが、やはり 備前花入れには絶対に白花ですよね。山草の女王といわれるだけあって、この花入れにも力負けしないだけの気品がありますね。大きな緑の葉と白い卵のようなつぼみが、この伊部舟徳利によくはえて、凛とした雰囲気がただよってきました。(あおい)

あしろ木

伊部を初めて見た時はとても信じられませんでした。伊部という言葉さへ知りませんでしたから、おもしろい話があるんですよ。安倍さんの造形に感動して伊部の作品を手に入れた知人が、陶芸の作家活動をしている方にそれを見せたら、真剣に「これは油絵の具を塗っている」と言われて、その言葉を本気にして洗剤で洗ったけれどとれなかったそうです。(笑)(あおい)

さむしろ

それはお笑いですね。わたしも、伊部は江戸期につくられたもので、備前物としては二番手のものと習った記憶があります。それらに本歌があることなど、まったく知りませんでした。ところで伊部の上がりにはいろんな上がりがありますね。東予、牛窓、横田によっての違いだけでなく、同じ東予、牛窓、横田間でもまったく異なる上がりがあります。

あしろ木

あまりにもさまざまなあがりがあるので、よく理解できてません。頭の中で混乱してるのですが・・・。 (あおい)

あしろ木

安倍さんの桶水指は、大変多様な造形、上がりのものがあって魅力的ですね。初めて桶を見た時に「こんな桶を作る作家がいるのか」と大変感動しました。 (あおい)

さむしろ

伊部の黒あがり、紫蘇色あがりの明るいものから黒に近いものまでそれぞれいいし、苔むしたような名品もありますね。安倍作品をみると、すぐれた造形力、バランス感覚を感じますが、桶水指については加えて器用さを感じます。胡麻が絶妙の位置でとまったものは感動ものです。

あしろ木

東予時代は、どちらかというと侘び寂びを感じさせる造形が多いように思います。この10年間見てきた中では、造形は、常に変化し続けているようです。茶道具という約束事のある中で、安倍安人の造形が色濃く入ってきているようです。(あおい)

さむしろ

わたしは、東予時代の造形を「硬い」と感じています。そして現在のものについては「動き」を感じます。また、それとは別に茶碗、預け徳利その他の作品の形自体も変わってきていますね。次回もう少し詳しく書きます。

あしろ木

「硬い」という言葉を聞いて、以前安倍さんが「川原にころがっている石のようなあがりがいい」というようなことを言っていたのを思い出しました。現在のものには「動き」を感じるというのは同感です。アーティストの作品ですよね。(あおい)

さむしろ

川原の石ころですか。安倍さんの解説を聞いてみたいですね。一部の作品しか見ていないので、どこまで当たっているかわかりませんが、東予時代の作品は「証明写真」、現在のものは「スナップ写真」の感じです。別の例えで言えば、前者は二十歳の青年の「阿波踊り」で、後者は熟年から老年の変幻自在な「阿波踊り」というイメージですね。安倍さんがコンテンポラリーを始めた頃を境に造形が変わってきたと感じています。侘び寂びのことですが、あおいさんが言われるように東予時代のもののほうがより侘びとか寂びを感じますが、これは造形からくるというより焼きからきているんでしょうね。

あしろ木

とてもおもしろい例えでわかりやすいです。うーん、東予時代の造形は、少しかしこまった感じでしょうか。(あおい)

さむしろ

安倍さんの話を総合すると、どうもその当時(東予時代)は古備前を目指しておられたようなふしがあります。わたしが安倍備前に惹かれたのも古備前に通じるあの味であったし、知人も同じ理由からでした。最初の動機がそうですから、安倍さんがコンテンポラリーを造りはじめたことには抵抗がありましたし、本人に直接反対だということを言う人もいました。しかしそれを境に、安倍さんの造形が変わったように思います。

あしろ木

私が安倍備前に出会った時にはもうコンテンポラリーを始めていたのだと思います。 私がはじめに惹かれたのもやはりあの土あじと焼き味でした 。造形についてはよくわかりませんでした。後になって造形力のすごさに感銘することになるのですが。(あおい)

さむしろ

焼きや土味は古美術をやっておられたため解かることが出来たと思いますし、造形は解からないまでも感じることは出来たということでしょう。造形が「解かる」ということは、相当な素養それも専門的なものがないとむつかしいのではないでしょうか。そうでない場合は正しい説明を聞く、ということが理解への近道でしょう。

あしろ木

安倍さんの徳利は、伊部、備前、火襷と多様で、次から次へと触手が動きます。昔から「古備前にまだらの筒」と言われるほど備前徳利は最高とされていますよね。(あおい)

さむしろ

「古備前にまだらの筒」がそろえばたまらんでしょうね。ただ誤解を恐れずに正直を言えば、古備前徳利より安倍安人作徳利でほしいというものが何点もあります。斑唐津は売り物として出会ったことはありませんし、出会っても買えなかったでしょう。斑、朝鮮、絵、無地など唐津で5ケ揃えるのは不可能です。いまは安倍備前酒器で十分満足しています。負け惜しみでなく正直にそう感じます。

あしろ木

同感です。古備前の徳利は未だ見たことがありませんし、唐津の酒器は発掘品しかお目にかかったことがありません。私の親しい友人はアルコールアレルギーなのに安倍さんの徳利を2本も持っているんですよ。火襷と瓢を、お酒の飲めない人にまで所有欲をかきたたせるパワーがあるんですネ。安倍さんはスゴイです。(あおい)

さむしろ

お預け徳利の形がだいぶ変わってきましたね。最近のものはふっくらとしてきました。以前はもう少しほっそりした感じがします。

あしろ木

そうですね お預け徳利は 以前は芋の形でしたが 最近は肩がよくはって胴が少ししぼられたような造形になって ふくよかな女性のような感じがします (あおい)

さむしろ

安倍さんの、最近の作のお預け徳利をお茶事(正式な茶会)に使った方から聞きましたが、大変な評判だったそうです。酒器は安人作の備前、伊部、緋襷です。(客は3人)
酒器を袖口にしまうような真似をするお客さんもおられたとか。

あしろ木

そんなお茶事の取り合わせに大変興味があります。どのような趣向だったのでしょうね。 袖口に入れたくなる気持ちもわかるような気がします。(あおい)

さむしろ

千家のお茶をされるご婦人ですが、還暦の茶事ということで2~3年をかけて3~5人の客で20回かそれ以上かの茶事をされたということです。道具組は定かではありませんが、千家筋のもの、古いものを取り混ぜて、懐石のなかでお預け徳利と酒器を安倍さんのものを使われたということです。客の中に、一旦帰途について途中で引き返して、もう一度拝見したいと申し出られた御仁もおられたそうです。

あしろ木

いいものに出会った時は意識がそこに取り残されたような感覚になります。いつもいいものを見ている人がわからないはずがないですよね。(あおい)

さむしろ

ところがですね、どうも普通の「お手前さん」で特別な人とは思えないのです。ただ亭主の使い方は、初めに懐石での預け徳利として、その後の濃茶席で花入れとしても使ったりしているようです。毎回ではないでしょうが。ただ、席中での存在感は相当のものであったようです。我々からみて「普通の人」にも圧倒的な存在感を与えたのは間違いないようです。圧倒的な存在感ゆえに使いにくいということも言われていますが、他の道具との取り合わせによって互いに活かしあうことができたのではないでしょうか。