安倍安人解説動画(16)
あしろ木

動画を繰り返し見ているのですが、なかなか難しくて、完全に理解できるまでには程遠いです。(あおい)

あしろ木

今日も動画を見た後「日本の陶磁6備前」(中央公論社)を見ています。安倍さんの説明を聞いて、数億円するものと数百万円のものが一冊の本の中に載っているのが初めてわかりました。安倍さんの説明を聞くまで、意図して作られたものと、それを真似て作られたものの違いがわかりませんでした。(あおい)

さむしろ

日本の陶磁6「備前」にも載っている備前花入「太郎庵」や備前三角花入も見てきました。この二つも最高度の造形と濃密な焼き味ということでHP動画で解説を聞いた作品ということで集中してみてきました。

あしろ木

備前三角花入れは、安倍さんの解説を聞いて、口作りに大変興味を持ちました。素人ではわからない部分の解説でしたが、実際に実物を見られてどうでしたか?(あおい)

さむしろ

口部はゆったりとした山と谷が三つづつありました。口部のすぐ下のところに絞ったというか溝をつけたというか、そんな部分がありますが、安倍さんはHPの動画中の説明で「アールがついている処とすとっと入っている処があってそれは溝ではない」と言っておられました。その部分を見ると確かに「>」になった部分と「⊃」になった部分がありました。意識して見ないと見落としてしまう部分です。それ以外にも一つひとつのヘラやおさえにはそれぞれ意味や計算があるという安倍さんの説明に納得しながら見ました。

あしろ木

口部の下の溝の解説はとても興味深く聞きました。以前本に掲載されているこの備前三角花入れをみて「こんな花入れが欲しい」と思いながら、安倍安人展を見に行ったことがありました。初日にも見に行っていたのですが、その時は、三角花入れは出品されていなかったので、全く期待しないで見に行ったのですが、なんと、そこにあったのです。「念ずれば花開く」とはこういうことを言うのでしょうか。(あおい)

さむしろ

そして三角花入を手に入れたのですね。2ちゃんねるの「志野 織部 黄瀬戸 瀬戸黒」http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1120948962/l50 に「桃山志野の特徴を講義して」の書き込みに対してNO20で「器体がうねっている」との書き込みがありました。以前、安人作備前三角花入の造形上の山と谷にそって(三角を形作る線にそって)線を引いてみたことがあります。そうして三角花入をみるとまさしく揺れ動いて見えるんです。気持ちが悪くなるくらいに。安倍さんは以前、動きを止めるためにヘラ入れることがあると言っておられました。このことと現象が一致しました。NO20の書き込み人は、このことをわかって書いたのかあるいは感じたままを書いたのか?

あしろ木

う~ん NO20さんに聞いてみないとわかりませんが、「古志野峰紅葉」などを見た人は、うねっている印象が強烈に残るんでしょうね。さむしろさんがおっしゃるように、安倍備前でさえ船酔いしそうなくらいうねっているのですから。桃山志野ともなると 尚のこと。「動きを止めるためにへらを入れることがある。」というのは初めて聞きましたが、とても納得しました。(あおい)

さむしろ

ところが、案外「器体がうねっている」ということはわからないんではないかと思っているんです。つまり「うねり」の程度に応じてそのうねりを止めているんですから。そして多くのもの、というより大部分のものについては「うねり」そのものがないか、あっても破滅的な「うねり」のため破滅の時点で「うねり」は止まってしまう。また大部分の人は作品をみて心地よさを感じたり、なんとなく違和感を感じたりはしているだろうと思いますが、それを理屈で理解するには至らない。そんなことを考えると「うねっている」ということを言えるのはどんな人だろうと興味をもったのです。

あしろ木

なるほどねえ。私はとても安易な発想をしてしまったようです。安倍さんの動画を繰り返し見たり、これまでのさむしろさんの話を読みながら、実際に安倍さんの水指を出して、もう一度まじまじと見ていると、今まで見えていなかったことが、次々と見えてきました。今までは、織部様式に則った見方が出来ていなかったことに気がつきました。(あおい)

さむしろ

愛知陶磁資料館での桃山茶陶展に備前透文大鉢が展示されていました。これこそ天下の大名品だ、と思って見る人は少ないかもしれません。

あしろ木

聞くところによると、安倍さんがまだ無名の頃、安倍さんの透かし鉢が、以前銘を消されて古備前として売られているのを、安倍さん自身がみつけて、「これは、私の作品です。」と言ったことがあったそうです。私が安倍安人を知ってからは、個展では透かし鉢にお目にかかったことがありません。(あおい)

したり尾

随分ご無沙汰してしまいました。途中で何回かお話に加わりたかったのですが、少々忙しくて考えをまとめる時間がありませんでした。ところで、私も、愛知の桃山の展覧会を覗いてみました。今のお話で言えば、備前の鉢に限らず、唐津の鉢もかなり大きいものだった印象があります。ともかく織部の時代のものは想像以上に大きいものが多いですね。しかも、あまり日本的な気がしない。これこそ自分の茶だ、自分の美だと、織部が言っているような気がしました。なんでもありの時代だったんだなと、つくづく感じました。振り返って、今の時代が妙に窮屈に思えてしまいました。

さむしろ

絵唐津松文大皿ですね。43.9㎝となっています。備前半月形平鉢(28.8×33)に盛る料理は、現代であれば焼き物あたりかと思いますが、この場合魚の切り身を客数ほど盛るわけです。大きな鉢に三切れ、と想像するとう~んうなってしまうところもあります。たしかに豪快といえば豪快です。また個人的好みとしては十二分に容認できます。

したり尾

もちろん私も、十分に容認できます。茶碗も大きいでしょう。峯紅葉が小ぶりといっても、利休のものに比べれば随分大きいわけで、何もかも、新しいものへ大胆に挑戦していく姿を感じます。文化はこうして創っていくのだなと、改めて思いました。

さむしろ

安倍さんの落款を消された透かし鉢とはどんな作品だったんでしょう? 大いに興味があります。是非見てみたいものです。志野の鉢も30㎝クラスのものがありますね。当時は女性が加わることはまずなく、小人数とはいえ膝を組んだ武将・大商人達の席ですから、大きい、小さいだけでどうということはなかっただろうと想像します。

マスター

いまは、まず寸法がありますからね。寸法の調和が優先して、ものの持つ力(総合的な魅力)の調和という視点に欠けるように思います。観る目の欠如といってもいいのかもしれません。

さむしろ

茶道が女性のものとなり、道具よりも点前、作法がその中心となったことが大きな原因のひとつでしょう。安倍安人は織部様式を三角による展開であると言っています。古備前の名品、志野茶碗、瀬戸黒、黒織部などが三角を基に造形されていることは現物をみればわかります。古伊賀の名品花入に四方になったものがあります。しかしこれも織部様式により造られたものだろうと思います。

したり尾

現代の寸法は利休によって定められたもののように聞いていますが、本当ですか。もしそれが本当なら、織部はその寸法を無視したということになるのですか。それとも、その寸法に則っているのですか。この際、詳しい方にお教えを賜りたい。是非よろしく。

さむしろ

炉とか台子とか寸法がありますね。確かに利休が定めたとの話しの記憶があります。茶道辞典があれば「かね」あるいは「かねわり」を調べてみて下さい。風炉、水指、茶入、茶碗などをどの位置に置くのかについて、その中心を畳のなんぼ目に置くなどといっていた記憶があります。かねわりとは別ですが利休形(あるいは好みか?)のもの(箸、柄杓などだったと思いますが?です)に寸法の定まったものがあります。しかし、茶入、茶碗、水指、釜などに寸法の定めはありません。懐石の鉢もそうですが、現代では八寸がころが良いといっています。その“ころがいい”というのがそうでなきゃいけない、大きいものはダメとなりやすいということですね。茶の湯の道具にふさわしいものについて山上宗二が書いています(山上宗二記)。いま覚えていませんが、侘びている、風情がある、茶味があるといったことであったと思いますが寸法は入っていなかったと思います。

したり尾

ありがとうございました。茶道辞典を調べます。以前安倍安人から利休が茶碗の寸法を、長次郎に指定したのではないかと聞いたことがあったもので、織部の寸法が気になり始めていたのです。

さむしろ

織部も同じく寸法を指定したのではないでしょうか。鉢の寸法についてはどのような料理を盛ったかがわかれば成る程と納得がいくかもしれませんね。

マスター

話が変わりますが東予時代には見た事もない焼き味のものがとれた。そんな時、これはこれこれだといって桃山時代の名品を見せてもらい、これはいい焼き味なんだということを学んだ、というようなことを、以前、安倍さんが言っておられたことを思い出しました。そういうことを考えると、理解者あるいは教え導いたり指針やそのヒントなどを与えてくれる人の存在は大きいですね。

したり尾

確かにいわゆるパトロンは、現代ではもはや存在する余地はないのかもしれません。いろいろな作家が出てきて、さまざまな応援者がいて(どちらが先か分かりませんが)全体として活気ある状況が生まれることを期待しています。

さむしろ

確かに名古屋三越での備前二人展でも、安倍安人の強さが証明されました。美の世界の衰退ですが、魅力のないものは残れないということではないでしょうか? 仮に「ものの持つ力」といいますが、以前はものの持つ力がわからなくても例えば人間国宝という四文字がつけばその作品に力があるがごとく飛びつく人がたくさんいたのです。しかし当世では魅力が実感できないと手を出さない。たとえ無名の作であろうと実感できるということが必要となったということではないでしょうか? 他にお金の使い道はいくらでもあるわけですから。テレビでの巨人戦の凋落もその例ではないでしょうか。面白くなければだれも見ません。ただ野球そのものが飽きられたのか、あるいは今のプロ野球があきられたのか、わたしは後者だと思っています。

したり尾

日本のプロ野球の話は、大変分かりやすい例でした。それはそのとおりです。ただ「美」の分野では作家の死後、初めてその価値が高まるということがいくらでもありました。よく「時代の半歩だけ前を行け。一歩前に進めば、世の中はもう理解してくれない」といいます。もとより時代の後ろを歩いていたのでは話にならない。私は、もっといろいろな作家が出てきて、互いに切磋琢磨していくことが安倍安人のためにも、私たちのためにもいいように思うのです。焼き物そのものが人々に飽きられているようでは、安倍安人の価値も正当に評価されないからです。

さむしろ

メトロポリタンのMさんが日本とアメリカの評価基準は違うということを言われたとの話しがありましたが、単なる流行ではない「ほんもの」の評価が出来る人達がある程度の数いないと、作る側も求める側も自己満足の世界で終わってしまうのではないでしょうか。

したり尾

いろいろ生意気なことを言いましたが、さて我々に何ができるとなると・・・。考え込んでしまいます。

マスター

生意気なことはありません。思っていること、思いついたことなんでも書いて下さい。仮に書きすぎたとしても、訂正も自由にできます。

さむしろ

わたしはあまり心配していません。魅力あるものには心を惹かれます。わたしは古唐津(桃山~江戸初期の唐津焼き雑器、茶陶)が好きで、発掘の小皿を平盃などといって酒器にしたりしています。古唐津がもつ味わいには他の何物にもかえがたい魅力があります。安倍さんのところへ行くと、同じような古唐津(浅くゆがんでいて盃にはならない)を茶巾台に使っておられます。3年、5年たっても変わりません。聞いた事はありませんが魅力を感じておられるだろうことはわかります。わたしはあんまりむつかしく考えないほうがいいと思います。良いもの、魅力あるものは良い。なんら魅かれるところのないものはいらない。考えるとすれば「なんでいいんだろう?」ということくらいですね。

マスター

むつかしく考える必要はないとは思いますが、(好き嫌いは別にして)どこがいいのか、なぜいいのか、について広く知ってもらう必要があると考えています。このHPでは桃山茶陶の名品について、その造形と焼成の秘密を解きあかそうとの試みが続けられています。いまだ多数に受け入れられるにはいたっておらず少数説だとは思いますが、このことが理解されないと安倍安人、安倍備前の正しい評価は定まらないだろうと思います。

したり尾

ずっと考え込んでるのは、次のようなことです。結局桃山という時代は、世の中の大変革の時代で、だからこそ、新しい文化も誕生したのでした。「茶」はその中でも最も革新的でいわば時代の最先端にありました。時代は少し下りますが、織部などは今もなお斬新でついていけないくらいです。もちろん、そういった作品を制作した作家も大したものですが、その作家を支えて支持した人々にも大変なエネルギーを感じます。振り返って今の時代はどういう時代なのか、時代を生きている私たちにそうしたエネルギーはあるのか・・・。そうしたことを、なんとなく考えてしまいまして。室町末期や、平安末期、あるいはローマ末期にどこか似ているような気がします。いいのかな、こんなことで・・・。

さむしろ

暫く考えていましたが、あえて単純にします。あの信長が天下統一の真最中にさえ茶道具狩りを行ったほど茶の湯・茶道具があの時代に占める位置は高く群を抜いています。ひょっとしたら時代を変えた鉄砲に次ぐほどの存在感ではなかったでしょうか。その同時期に利休、織部の天才がいて、そしてそのひらめきを形にする天才が数人いた。役者が揃いそしてそれが可能な時代と重なった。その後400年間現れなかったわけですから、今の時代だけを責めるのは少し酷かもしれません。

したり尾

歴史は河の流れのようなものです。緩やかに流れていく時もあれば音を立てて急激に流れる時もある。急な流れの時は、政治も経済も、そして文化も何もかもいっぺんに変わってしまう。新しい価値が生み出されるのです。飛鳥も鎌倉も桃山も明治維新も、そして敗戦後もそうでした。その時に必ず、あらゆるジャンルで多くの大変革者が登場します。信長や秀吉、あるいは利休や織部の誕生は、偶然ではなく時代が求めたものでした。そしてひとつの時代の終わりには文化も政治も経済も衰退し、人々は先の見えない不安に駆られます。どうも私には現代はそういう時代のように思えます。そして安倍安人は、その中で孤軍奮闘しているように思えます。それは安倍自身にとって不幸なことだろうと思います。あるいは彼は、次の時代の先駆けなのかもしれません。

さむしろ

とあるところに、「桃山志野の特徴について誰か講義して下さい」というのがありました。それに対して、①釉薬がやわらかい。②器体がうねっている。③もぐさ土と釉薬、全体のバランスで決定。その他絵付け造形、最後に持ったときの重さと手の馴染。④口造りの美しさ。釉薬の色。高台の良さ。滑らかな土の質感。⑤口つくりに力があるよね。最後まで気を抜いていない感じがする。現代ものは口つくりが弱い。というのがありました。②の説明が織部様式の桃山志野を正しく言い表していると思います。(安倍理論に合致します。)

したり尾

久々投稿します。「志野のうねり」について私は「うねり」という言葉より「動き」といったほうがいいように思います。動的な世界なのか、静的な世界なのか、あるいは激しい世界なのか、穏やかな世界なのか、対比で語ったほうが分かりやすいですから。(あるいは「大きくうねりながら動いている」と表現したほうが志野そのものを表しているかもしれません)誰の目にも分かる明らかな「動き」を茶碗の世界で確立したのは志野の陶工たちでしょう。当然、その「動き」は口造りにも及びます。箆入れや絵付けも、その動きを強調したり、動きすぎを抑えたりする役割を与えています。全体が補完しあいながら必然的に動いている。つまり「そうなるようになる」というところでしょうか。「そうなるようになっていない作品」は、つまらないものです。もちろん焼き物に限った話ではありませんが。

さむしろ

「器体がうねっている」と書いた御仁がどのような方かわかりませんが、したり尾さんのNO590をご覧になれば、もっと理解が進むでしょう。織部様式について、ゆがみがある、あるいは押したり引いたりしているといった説明が多い中で「器体がうねっている」と感じた感性には実は驚いています。なお、「確立したのは志野陶工」という部分については、以前にも論争しましたが別の見解をもっています。

したり尾

「確立したのは志野の陶工」という部分は、この際訂正しておきましょう。さまざまな意見があり、明確なことが言えるほど自信がありませんから。

さむしろ

また材料(資料)がでましたら議論しましょう。NO589で、④口造りの美しさ。⑤口つくりに力があるよね。と書いているように、口造りの美しさや力強さに魅力を感じておられることがわかります。安倍さんは、口造りについてもルールに則って造形されていると言っておられます。織部様式茶碗を注意深く観察すると、安倍さんが言っておられるルールと合致していることがわかります。

したり尾

先ほども書いたように、器全体を動かせば、必然的に口造りにも影響が出てくるはずです。口は口、胴は胴、腰は腰ではなくて、全体像を関連性を持って見るべきだと私は思います。また、必ずしも「ゆがみ」とか、「押したり引いたりする」という表現が誤りだとも言い切れないところがあります。制作過程で「押したり引いたり」して「ゆがめ」その結果、大きくうねるように動いていくことになるのですから。また、美しく見えるものには、必ず美しく見える理由があります。志野など織部様式といわれている茶碗には、合理的な「動き」の法則(理由)があって、安倍さんはその法則を説明なさっているのだと理解しています。

さむしろ

NO589、とあるところから借用。愛知陶芸資料館行ってきたよー。 すげーよかった。 桃山志野の質感とか(何であんなに釉に潤いがあるのかなー?)、織部菊文茶碗が意外に小さいこととか(持ち主のT氏が「あれで自服が一番気持ちいい」といっていたのが 実感できる)、いろいろよくわかった。というのもありました。桃山志野の釉の潤いについて、安倍さんは、当時のものと現代のものとでは釉薬が違うとのお考えです。

したり尾

多分安倍さんの言われていることは当たっているのでしょう。志野に限らず、ほとんどの焼き物はすべての面で桃山時代とは似て非なるものです。さらに、単なる「写し」に過ぎないものがあまりに多い。おそらく、そうしたものを希望する購入者が多いのか、多いと作家の皆さんが思っているからでしょう。残念なことです。

さむしろ

桃山志野の質感とか(何であんなに釉に潤いがあるのかなー?)安倍さんは「さくらんぼのような肌」という言い方をされていました。また、桃山志野は恐ろしく高温で焼かれているとの見解でした。

したり尾

確かに「桃山志野」の場合、畳に落とした程度ではひびも入らない代物ですから、高温で焼かれていることは間違いありません。現存している「桃山志野」の中には、ひびも、傷もないものがかなりあります。低温で焼かれている「楽」の多くは、ひびや割れ、傷がかなり多いので、比較すれば誰にでも分かります。「釉薬」については、はっきりこれだと言い切れるものはありません。現代の「志野」とは明らかに違うように見えるのですが。