道具ランキング(22)
したり尾

ところで、少々時間があってもので、矢部良明氏の「水指」についての文章を読んでいました。その中で、寛永3年に出版された「草人木」でランキングされている茶道具の表がありました。

昔  1 茶壷  2 釜   3 茶入  4 文字
中興 1 茶入  2 掛物  3 釜   4 茶壷
当世 1 茶入  2 掛物  3 花生  4 釜

とあるそうです。
中興とは利休時代、当世とは織部時代で、いずれにせよ、水指はランク外のものであったとあります。しかし、現実には慶長年間に花入とともに、水指は大いに珍重され飛躍的に発展したとありました。ことに矢筈口の登場によって工芸美を脱し、その芸術性が高められたが、矢筈口がどのような経過で登場したのか分からないということでした。茶の湯の中で焼き物の占める割合が非常に高くなるのは織部の時代に入ってからですから、今の段階では矢部さんの言われている慶長年間というのが妥当な線かなと思いました。あくまで今の段階ですが。

さむしろ

主道具の序列が変化していったとの記述はわたしも読んだ記憶があります。水指は脇道具だったのですね。したり尾さんの書き込みについて全体的に同感です。

したり尾

門外漢としてお尋ねしますが、今でも茶の湯の世界の中では水指の位置はそんなに低いのですか。それから、もうひとつ。織部の業績も茶の湯の関係者の中では、どう評価されているのでしょうか。

さむしろ

好みもあるでしょうが、水指は茶入や花入よりも注目度は高いと思います。織部の評価ですが、織部様式物(用語は別として)は別格としても織部の書状、織部作茶杓、織部作竹花入は一級の評価になると思います。

したり尾

ありがとうございました。常々、水指がもっともよく安倍安人さんの個性を現していると思っていました。おそらく安倍さんに限らず、水指こそ、作家の実力をもっとも発揮するものだろうと思います。その割りに、茶の湯では、水指のランキングが低いのが不思議でなりませんでした。しかし、現代ではそうではないというお話でしたので納得できました。勿論、茶碗も作家の個性を現しているのですが、水指はたとえ茶の湯の知識が全くなくとも美術の興味がありさえすれば分かりますから。

したり尾

もうひとつ大切なことを書き忘れていました。茶碗は、いろいろ作る方法もあって、素人でもいい作品を作ることは可能です、光悦がいい例です。しかし、水指は素人では不可能です。芸術家が満身の力をこめて作るに足る対象であると認識しています。勿論、茶碗の価値が低いなどというつもりはありません。奥が深いのです。しかし、素人でも頂点近くまで辿ることはできる面白い世界です。

さむしろ

ただ、お茶方(道具好きに対する意、お点前や作法に重点をおく)の方から言えば、第一が茶を入れる「茶入」、第二が床の「掛物」、第三が席中に最初から最後まで在る「釜」ということになるのかもしれません。(第一、第二は入れ替るかも)NO803は道具好きの意見と考えて下さい。水指は鬼桶、種壺類の外は取り上げものが少ないような気がしますね。
正月のNHKTVで「白洲正子」をやっていましたがご覧になりましたか?

したり尾

すると「草人木」の時代からほとんど変化なしということですね、大方は。また、水指は「鬼桶」「種壷」が多いということは、他の道具類との関係であまり個性を主張してほしくないということですか。それとも、単に流行ですか。
「白州正子」は見ていません。なにか面白いものがありましたか。

さむしろ

そうですね。あまり変化はないということですね。水指ですが、現代において評価の高い水指としては桃山織部様式物、祥瑞、古染付、鬼桶、南蛮などがあげられますが利休時代に間違いなくあったのは鬼桶(南蛮もか)で、織部様式物は重なっている可能性がありますが重なっていない可能性もあります。祥瑞、古染付は少し時代が下るのではないでしょうか? 水指は利休時代まではまったくの脇役であったのかもしれません。
白洲正子ですが、広瀬久美子(?)さんの司会でゲストの3人(女1男2、いずれも知らない人)で白洲の人となりを話しながら、白洲がよく訪ねた琵琶湖畔の寒村、火祭りなどをカメラで紹介するものでした。白洲愛蔵の陶磁器類をもう少しは見せてくれるのではと期待したのですが期待はずれでした。そこで手元にある白洲の著書をめくってみました。そこに「信楽は好きだけど伊賀はきらいだ。こねくり回したいやらしさは鼻持ちならない。」と書いていました。ほかにも「不完全の美」という項もありましたし柳宗悦と近い考え方なのかなと思いました。いち文を読んだだけで決め付けはできませんが、白洲正子はここ「ものはら」で語り合っているような桃山造形の奥の深さ、味わいという世界を知らぬまま古美術人生を終えたんだな、と勝手な同情をしました。

したり尾

白州正子のお師匠さんの青山二郎は、ある意味では大変興味深い人物なのですが、彼女は結局、古美術好きの趣味人です。柳宗悦は、さまざま問題はあるにせよ、日本の陶芸界のリーダーであったことには違いないのですから、ふたりの距離は大きいと思います。思想家と鑑賞家の違いでしょうか。水指については、大体分かりました。
小堀遠州の価値観が今も生きていると考えていいのでしょうか。

さむしろ

なるほどそういうことですか。そんな気もしますね。こんなことも書いていました。「理想をいえば、長次郎の無一物に、志野の卯花墻、高麗の井戸茶碗でお茶を飲むことだが、(略)」と。同じ手法の伊賀は「こねくり回した」といいながら、長次郎の無一物や志野の卯花墻には惹かれていたのですね。
遠州のというより利休以来あるいはその前からというべきかもしれません。本来、特に利休以後、茶の湯において鑑賞は主ではありませんから、道具の格式という意味での序列は茶の湯の本質が変わらないかぎり大きくは動きようがないと思います。

したり尾

「茶の湯においては、鑑賞は主ではない」というお話は、なるほどなと思いました。そうなのでしょうね。白州正子は、あまり深追いしても無駄だと思いますよ。彼女のお師匠さんの青山二郎なら、趣味人の王様のような人ですから、なかなか面白いのですがね。

さむしろ

「鑑賞が主ではない」というのは私もそう思っていますが、ただそれはとことん突き詰めていったところの本質のことであって、道具のわかる人たちにとっては(とりあえずの茶会において)道具が一番であって、それを否定するものではありません。白洲正子の件は、白洲は大いに楽しんだと思うが、結局深いところの悦びは知らぬままであったであろうと言いたい訳で・・・。 ということでこれは終わりにしましょう。

したり尾

さむしろさんの「茶の湯」のお話はそれなりに理解しているつもりです。ご安心ください。