「茶会記にみる水指一覧」(24)
さむしろ

お待たせしました。「茶会記にみる水指一覧」が届きました。内容はまた後で。

さむしろ

水指は芋頭、手桶が圧倒的に多いですね。天正14年(1586)「土水指備前モノ、友蓋、下フクラニアリ、コブモアリ」といった記述があります。

したり尾

この記述が正しければ、少なくとも利休の時代に備前の水指を使っていたということではありますね。矢筈であるかどうかは別にして。しかし共蓋ということは、矢筈の可能性はあります。ところで、この会記は利休の茶会と理解していいのですか。また誰の手によって書かれたものですか。

さむしろ

亭主は圭音となっています。茶会記は「湛」となっていますので神谷宗湛の茶会記ではないかと思います。後程「湛」がだれの略か確かめてみます。友蓋、下フクラ(下のほうが膨れているの意か?)、コブ、が面白いですね。

したり尾

圭音とはどんな人でしょうか。コブは確かに面白いですね。下膨れで、共蓋があり、コブがあり・・・。どんな水指ですかね。さむしろさんは、ここから何を読み取りますか。

さむしろ

圭音が何者かはわかりません。1586年には茶会記に「宗易形茶碗」が初めて現れています。茶碗と同時期に水指でも造形が始まった可能性を想像させます。「湛」は宗湛日記の略でした。宗湛の解説で「博多の豪商。1586年、再度上洛して今度は畿内の諸大名や堺の大商人・津田宗及らと親交を深めた。同年、大徳寺にて出家し、宗湛と号した。」というのがありました。

したり尾

宗湛は、確か利休とも秀吉とも関係があったように記憶しています。うろ覚えですが。これはこれとしておいて、その他の記述もゆっくり読んで、何かを発見してください。別に急ぎませんので。

さむしろ

資料の写しがしたり尾さんにも届くように手配をしていますので、今日にでも届くと思います。じっくり見るといろんなことが見えてきそうです。

したり尾

「水指一覧」頂戴いたしました。ありがとうございました。かなりの量ですね。じっくり眺めて、この中から何か必ず発見したいと思います。さて、さて・・・。

さむしろ

ここのところ忙しくて「茶会記にみる水指一覧」が読めないのですが、ななめ読みの範囲では志野水指、伊賀水指がほとんどでてこないみたいですね。また、セト水指が多くでてきますがどのようなものをいっているのかわかりません。全体として紐解くには少々難解との印象です。

したり尾

私もさむしろさんと同じことを書こうとしていたところです。これ単独では、決定的なことは言えそうにありませんね。他のいくつかの資料と併せて読むと、何か分かる可能性はあります。しかし、大きな流れはようやく掴むことができました。それだけでも大変大きな収穫です。この手のものは、難解であることは止むを得ないでしょう。貴重な資料であることに変わりはありません。いずれにしても、相当時間をかけて一つひとつ読み込んでいく必要があるでしょう。