品格とは何ですか?(3)
したり尾

さむしろさんに伺いたい。NO31で、あの伊部を「品格ある」と表現されましたね。その「品格」とは何ですか。そして、どのようなところに品格を感じるのでしょうか。実は、NO23で、私は「精神性の高さ」という言葉を遣いましたが、分かっているようで、それが実態は何なのか、表現できずにもどかしいのです。「品格」という言葉も「精神性の高さ」と似たような抽象的な言葉ですので。是非、よろしく。

さむしろ

より正確に言えば、品格は「ある」というより「感じる」と言ったほうがいいのかもしれません。そういう意味でどういうものに品格を感じるのかといえば、清潔感、清清しさ、端正さ、そのものらしさ等等、それらのうちいくつかが備わって、ものほしそうにない(よりいい物にみられたいという感じがしない)もの、とでも言えばいいでしょうか。 例えば大リーグのイチローですが、アメリカへ行った当初と外見は大きく変わっていません(ひげをはやしたくらい)が数々の実績と大記録を重ねることによって、「風格」を感じさせるようになった、と言えば理解いただけますか?メジャーリーグというもの、イチローのこれまでの実績、その難しさ等を基礎知識として持っているから感じることができるのではないでしょうか? 茶道の茶碗には、ほとんど縁がなく初めてみる人にはわからないだろうと思います(決め付けてはいけませんが)。イチローを知らない人にイチローを指差して「どうだ風格があるだろう」と言ってもしようがないだろうなと思います。また造詣の深い人でもまったく違う感覚をもった人もおられますので、あまりこだわりすぎてもしようがないと思います。ちなみにわたしは「精神性」という語は使いません、というか使えないといったほうが正確でしょう。

したり尾

ありがとうございました。「あること」と「感じること」の違いという言葉は、かなり納得しました。こんなことを気にするようになったのは、20年近く前に、魯山人の次のような文章を読んでからのことです。「『長次郎というのはすごいね。何とも言えない』 で片がついているのですが、何とも言えぬということはありはしない。これは将来は何とか言えるにならなければならぬと思っておるのです。そうでないと物の見方が進歩しない」(「私の作陶体験は先人をかく観る」より)たいへん痛いところを突かれたようで、それ以来、主観的な言葉を客観的な言葉に置き換えていかなけらばならないと格闘しているのですが、なかなかうまくいきません。考えるヒントを頂戴しました。ありがとうございました。

さむしろ

山根基さんがよく使う言葉に「えも言われぬ○△◇・・・」というのがあります。説明する言葉がない、という事でしょうが、「本当にいいものなの?」と問いたいことが間々あります。安人は長次郎の茶碗を言葉で説明しています。その説明が、そのままもらさず変質させずに伝わったとは言いませんが、ある程度の部分がわたしに伝わり、思いを(十分ではありませんが)共有できたと感じています。説明ができるということは「理」があるということだろうと思います。他面、長嶋前監督は「ガツン」とか「バッ」とかの表現で指導し、野村前監督は言葉で教えたという話がありますので、「理」があっても説明できないという、その人の資質の問題もあろうかと思います。

したり尾

おっしゃることはよく分かります。安倍安人のすごさは、長次郎に限らず、自身の作も言葉で語ることができるという点にもあります。ある人が「安倍の特徴は自分の作品を客観視できるところにある」と言っていましたが、ほとんど同じ意味でしょう。おそらく努めて言葉にするようにしているのだろうと思います。芸術は情緒的なものだと思われがちですが、作家にとっては決して情緒的なものではないはずです。それは、本来、鑑賞者にとっても同じことです。放送の中で「えもいわれぬ」などど言うのは、伝えることを放棄しているのと同じことです。五感で感じるものは、とかく表現しにくいものです。しかし、そこを何とか言葉にしてくれなければ、伝わりようがない。残念なことです。イチローなどは、自分のプレーを見事に言葉にして語っています。その意味では安倍安人と似たすごさがありますね。長嶋は、私にはよく分からない人物です。

さむしろ

「えもいわれぬ」と言いながら、他に適当なほめ言葉がなく、やむなく出た言葉かな?と同情的な目で見ることもあります。イチローのバッテングには「理」があると思っています。どうしてもバットに当たってしまう、空振りが出来てうれしかった、バットはボールを捉えるべくして捉える等の発言は安人がよく言う、理論どおりに焼けばあの焼き味になります、と通じるものを感じます。

したり尾

イチローには「理」がある。そのとおりです。さむしろさんは、安倍安人にも「理」があると思いますか。私は、イチローと安倍安人には共通点が多いと思っていますが。別の人格ですから相違点も多いのは当然ですが。

さむしろ

はい。安倍安人には理があると思っています。

マスター

長次郎の楽茶碗の造形や生い立ちについての話なんか、おもしろそうですね。

さむしろ

長次郎の楽茶碗や織部様式の茶陶の議論はぜひやりたいテーマだけど、ただあまりに大きなテーマなのでもう少し先でやりたい気分ですね。