織部様式茶陶を創ったのはだれか? 推理Ⅱ(33)
したり尾

さむしろさん、とりあえずお疲れ様でした。次は、私の番ですね。私は、さむしろさんほど明確に誰が織部様式の茶陶を作ったか、明確に言う事はできません。申し上げられるのは、ごくわずかなことです。私は結論から申し上げます。①多分、安倍さんの言われる三点展開は長次郎が発見した美の様式であるということ。②その後に続く織部様式の作家たちは、長次郎茶碗を観て、作品から学んだに違いないこと。細かいことは、まだ、いくつかありますが、主として言いたいことは、この2点に絞られるようです。

さむしろ

なるほど。それではお続け下さい。楽しみに拝読します。

したり尾

本論に入る前に私の切り口を申します。私は、作り手の側から、この問題を考えていこうと考えています。といいますのは、実は、私は数十年、「表現」を生業としてきました。芸術とは程遠い世界ではありますが。だから、この切り口が、私にはリアリティーがあるのです。何十年か表現ということを見つめてくると、それなりに見えてくるものはあります。そして、それが音楽であろうが、絵画であろうが、焼き物であろうが、「表現」については共通するものがあることが次第に分かってきました。そして表現者たちの思いも。(錯覚かもしれませんが)おかしなところがあれば、その都度、遠慮なくご指摘ください。では、次回からボチボチ話を進めます。

さむしろ

わかりました。どうぞ進めて下さい。

したり尾

①「多分、長次郎が三点展開という様式を作ったこと」利休が長次郎茶碗の制作を指導したと推測するのが一般的な見方です。私は、半分は「そうだろうな」と思いますが、半分は「そうかな」と首を傾げています。少なくとも、三点展開は長次郎自身が作った様式で、利休はかかわるはずはないと考えています。なぜかと申しますと・・・。続きは、明日にします。少々仕事に追われておりまして。明日は「三点展開」について、少しお話できたらと思います。では。

したり尾

「三点展開」について三点展開という技法は、おそらく「面」を組み合わせていく最も合理的な技法です。それまでの日本の美には「線の美」はあっても「面」という考え方はありませんでした。また、利休、織部時代以降、つまり遠州の時代も再び「線の美」に戻ってしまいます。明治になるまで「面の美」が明確に現れるのは、利休、織部時代の茶陶以外知りません。一方、西欧の美は「面」が基本です。例えば、日本人は雨は「線」で描きますが、西洋では煙るように描きます。「面の美」はきわめて西洋的な技法なのです。さむしろさんが桃山茶陶を彫刻のようだと言われていましたが、それは「面の美」を感じられたからだろうと思います。長次郎は、京都という、当時、最も進んだ町に住んでいて、次々と見たこともない西洋建築物が造られていく様に目を見張ったことでしょう。そして、「茶の湯」というもっとも前衛的な芸術活動の一翼を担うよう利休に命じられたとき、西洋の「面の美」がふさわしいと感じたに違いありません。一方、「茶の湯」も「面の美」を求めていた側面がありますが、この話は長くなりますので省くことにします。ところで、当時の西洋では「黄金比」や「遠近法」は既に一般的な技法として広く使われていましたが、「三点展開」のような技法は確立されたというところまではいっていませんでした。「三点展開」の技法が西洋で一般的になるのは、19世紀後半のことです。ですから「三点展開」そのものを輸入品と見ることはできにくいのです。となると、長次郎と呼ばれている人物が、「三点展開」の生みの親と考えるのが自然でしょう。もっとも長次郎の作品の全てが「三点展開」というわけでもありません。試行錯誤を繰り返しながら「面」の最も美しい組み合わせの技法の一つとして「三点展開」を完成させていったのです。少々長くなりすぎました。続きは、あさってあたりに書きましょう。明日は飲み会が入っていますので。ここまでのところで、ご意見があればどうぞ。

したり尾

飲みに行く前に少々時間ができましたので、書き足しておきます。ご存知のように「茶」は室町時代は朝廷の貴族たちの遊びでした。そこで使われていた茶碗は、全て唐物です。それには中国の美意識がよく反映されています。限りなく左右対称であり、限りなく真円形であり、この世のものとも思われぬほど美しい。勿論、真の左右対称や真の円形は存在しませんが、中国では、この世には存在しない美に近づけていこうと努めたのでした。室町貴族たちも、先進国である中国の美意識を受け入れていました。しかし、「侘茶」の登場とともに美意識が変わります。「高麗茶碗」の登場です。この世に存在するものの中に美を見出すのです。少々歪んでいるもの、釉薬も少々垂れてしまったり剥がれかけたりしているものこそ美しい。そう主張します。この価値の転換はルネサンスの運動と大変よく似ています。要するに、あの世の美を求めるのではなく、この世の美を求めるのです。これは「面の美」の発見の前段階ともいっていい。歪みは、さらに進めば「面」へと変化していきますから。それには、勿論、西洋文明という後押しが必要です。このあたりの茶の精神やら、茶碗のあり方やらは、利休から長次郎に伝えたのではないかと思います。厳しい要求もあったに違いない。なにしろ新しい価値観を世に問うのですから。しかし、実際に仕事をするのは長次郎です。利休の世界を実現するものの一人として、長次郎が見出したのが「三点展開」という技法であったと私は考えます。安倍安人さんは、西洋文明と日本の文明という異質の文明がぶつかったとき、新しい美は誕生したと以前から主張されていましたが、これは誠に正しい。もし、西洋文明が、あのとき訪れていなかったなら、「面の美」は登場しなかった。せいぜい、高麗物の段階で終わってしまったことでしょう。さて、そろそろ時間です。今夜はベロベロになるまで飲むつもりです。続きは、二日酔いから醒めてから。

さむしろ

程ほどのベロベロまでお楽しみ下さい。感想はゆっくり読み直して、そして後日ということで。

したり尾

今夜は少し話しの角度を変えて「作家の精神」について書くつもりでいました。長次郎を描く上でも、それに続く織部様式の茶碗を作った作家たちを描く上でも大事なことのはずでした。しかし、昨夜は少々飲みすぎました。夜になっても少しもよくなりません。申し訳ありませんが、今夜はもう横になります。すみません。

したり尾

さむしろさんのお話では、かつて安倍安人さんが、世の中には作家の作った茶碗と職人の作った茶碗があるというようなことを言われたそうですね。作家も職人も何かを作り出すのが仕事です。では、どう違うのでしょう。単純化すれば次のようなことになるのでしょう。作家は、表現したい何かが心のうちにあり、それを表現する。しかし、職人は心のうちとは無関係に熟練した技術で、同質のものを次々と作り出していきます。ここが違うのです。作品は作家自身の心の投影です。しかし思っているだけでは作品にはならない。どうしても、思いを形に表すための技術と技法が必要です。作家はどう表現するのか最も精力を注ぎます。そして従来の技法や技術では表現しきれない場合、新しい技法や技術を生み出すことになるのです。それこそ作家の真骨頂で、他人の入り込む余地はありません。作品とは、そうした作家の思いや技法や技術の集積物なのです。長次郎に話を戻しましょう。彼は歴史的な名品を作った人間です。同じものをいくつも作っているわけではありません。だから職人の範疇には入りません。長次郎は偉大な作家の一人であることはいうまでもありません。彼の作った作品は当然、彼自身の投影です。その技法も技術も含めて彼自身の投影なのです。「三点展開」は長次郎によって生み出されたのであろうと私が申し上げているのは、こうした理由からです。長くなりすぎると読みにくくなりますので、今夜はこのあたりで打ち止めにします。そろそろ、次の話題、織部様式の作家たちの話へ展開しなければと思っているのですが。では、また。

したり尾

織部様式の茶碗を作った作家たちへと少し話を進めます。織部の時代に入ると、志野や織部、瀬戸黒など、様々な地域で焼かれるようになりました。また、彼らの作った作品は、長次郎の作ったものとは随分姿も違っています。より動きがあり、文様も描かれ、(瀬戸黒は、黒一色ですが)勿論、焼きもそれぞれ違います。また、この時代になると、茶碗だけではなく、花入や水指にも数多くの織部様式の作品が作られるようになりました。今も殆どの方々が長次郎の作品と他の織部様式の作品の共通性を認めていません。つまり、共通性が感じられないほど、両者には距離があるのです。なぜ、このように距離があるのか、ここが次回書きたいテーマです。次回で終わればいいのですが・・・。そのつもりではいるのですが、もう一回ぐらい増えるかな???

したり尾

経験則で申し訳なのですが、先輩から教えてもらった技術や技法は、身につけるのが精一杯で、その技法や技術を使って先輩と同程度の実力になるまでには、相当の時間も努力も必要です。一生掛かっても、先輩を僅かに超えたか、超えないかという程度です。しかし、さむしろさん流の言い方をすれば、先輩の技術や技法を盗んだ場合は、先輩を超えることは比較的簡単です。それは、新しい自分らしい世界を造るための目的のために、先輩の技術や技法を学ぶ必然性が自分の中にあるからです。同じことが、長次郎と、その後の織部様式の茶碗を作った人々の関係にも言えはしまいかと考えました。日本では、技術や技法がごく内内に伝えられていくことがあったと聞きます。その場合、技術や技法は外に漏れることなく伝えられていきますが、作品そのものは、代が替わっても飛躍的な変化は見られません。(もっとも、この場合変化しないことが目的なのですが)しかし、長次郎作品からその後の織部様式の作品に至る間には飛躍的な変化があります。おそらく、織部様式の作家たちは、誰かからその法則を学んだのではなく、長次郎の作品そのものからその様式を学んだと推測する根拠の一つは、こういうことです。もう一つ、理由があります。それを書くには少々長くなりすぎてしまいました。やはり、もう一回、続きを書く必要があるようです。

したり尾

これが、私の主張の最後になることを祈りつつ。優れた作家であれば、作品のみを見て、その構成の仕掛けを見抜くことは、過去にもいくつもの例があります。芸術のあらゆるジャンルで。それだけではなく、ジャンルを超えて、その仕掛けを理解し、自分の作品に生かしていくということもあるのです。カンディンスキーという画家は、シェーンベルクという音楽家の作品に接して、抽象画家へと成長していきました。志賀直哉は、セザンヌの絵の構成を小説に生かしました。ピカソは、セザンヌの絵の仕組みを見抜き、キュビズムという新しい絵画のジャンルを確立しました。こうした例は枚挙にいとまがありません。人は人の作品の論理を見抜くことができるのです。(本当は、その気になれば誰でもできるはずのことです、なぜなら、その作品の美しさが理解できるのですから)こうした経験が長次郎作品に接した織部様式の作家たちにもあったに違いない。長次郎の作品から志野や織部の茶碗に至るまでにはかなりの飛躍が必要です。まして、花入や水指へと応用範囲が広がっていくためには、さらなる飛躍が必要です。指導者から教えてもらって形を作っていったのでは、そうした飛躍をすることは大変難しい。原理を体内に取り入れ、一見全く別の作品に表していくことのできる作家は、並大抵の作家ではありません。そんな力のある作家が長次郎の作品そのものから、その原理を見抜けないはずがないのです。志野にしろ織部にしろ、あるいは備前の三角花入にしろ、現代でも十分に通用する世界的な抽象芸術です。桃山という時代に、このような作品が日本で生まれたことは、世界に誇っていいことです。しかし、その生みの親は長次郎です。長次郎の原理なしには、決してそれらの名品は誕生しませんでした。誰がこんな作品を作ったのか、私には分かりません。何人ぐらいの作家がいたのかも分かりません。しかし、天才たちがいっぺんに登場した桃山という時代は、相当面白い時代であったろうとは思います。長い人類の歴史の中では、こうしたことが時々あるのですね。随分荒い文章ですが、書けばきりがないので、とりあえず、この辺で打ち止めにしましょう。失礼しました。

さむしろ

どうもお疲れさまでした。わたしも長次郎の楽茶碗が最初であろうとは思っていますが、今のところそれを断定するものは持っていません。したり尾さんは「長次郎作品に接した織部様式の作家たち」が誰で、それが何人位かもわからないとのことですが、そのことについてはだれも断定は出来ないでしょう。しかし、それでは話が止まってしまうわけで発展も展開もありません。是非とも想像力をたくましくしていただきたいと思います。
それはそれとして。楽茶碗が先に出来たとの前提ですが、「織部様式作家たち」は長次郎の楽茶碗をどのような形で見ることが出来たと想像されますか?

したり尾

間違いなく、長次郎茶碗が初めにあったと思います。長次郎茶碗に比べて、その他のものは姿も大きく、動きがあります。志野にせよ瀬戸黒にせよひとくくりでくくることができますが、長次郎茶碗だけは別格です。少なくとも、利休の周辺に長次郎茶碗以外の国焼きの茶碗が存在したとは、どうしても思えません。好みが違いすぎます。この考え方が間違っていたとすると、長次郎を含めた織部様式という考え方そのものが、錯覚だったということになってしまいます。
長次郎茶碗を、どのように見ることができたのか。それは、誰が織部様式の茶碗を作ったかということと直接関係してきますので、まだ断定はできません。さむしろさんのお説のように長次郎周辺の人物がかかわっていたのかもしれませんし、利休周辺にいた商人や武士たちの関係者の可能性もあります。長次郎の周辺では、常慶には少々興味があります。それは、彼の作風が他の楽茶碗を作った人々とは、異質なところがあるからです。なお、私が誰が作ったのか、何人ぐらいの人がかかわったのか明確にしていないのは、作品そのものに、それほど多く接していないからです。やはり作品を見ずに語るのは危険だと思っていますので。

さむしろ

「どのように見ることが出来た」の質問の趣旨です。したり尾さんは長次郎楽茶碗そのものからその様式を学んだ」と推測しておられます。わたしが想像するに、多分白紙状態で長次郎楽茶碗をながめまわして「法則」を発見するには少々の時間ではとても出来ないだろうということです。長次郎楽茶碗がどのような経路でながれたかということにもよりますが、わたしの想像では長次郎→利休→茶人であろうと思います。長次郎のところにあるうちに見ることが出来る者は限られるのではないでしょうか? また長次郎も長く自分のところに置いておくことが出来たかどうか、これも疑問です。利休のところでも茶の湯の弟子が見たいということで見せることはあったとしても、だれでもということはなかったと思います。見せてほしいと頼めるほどの人自体が限られたのではないでしょうか? 楽茶碗を手にした茶人にしても同じだと思います。茶人に対して「楽茶碗を見せてほしい」と申し入れることは、「茶会を開いて招いてほしい」と同義です。その場合は茶席での拝見という極限られた時間になります。前にも述べましたが、安倍さんは、楽、備前、志野、信楽、伊賀等など多くの織部様式茶陶を手にとって、ひっくり返しながら時間をかけて繰り返し見られたからこそ理解されたのではないかと思っています。このことについては近いうちに聞いてみたいと思います。

したり尾

NO.1232で私の書いたことは、身をもって体験したことです。自分自身の経験を書くことにはかなり迷いもありましたが、分かっていただくために敢えて書きました。またNO.1233で挙げたいくつかの例は事実です。もっと挙げろと言われるなら、いくらでも挙げることができます。求めているなら、長い時間はいりません。まして、織部の作家たちは、皆只者ではないのです。この件については私は本気でした。しかし、どうやら分かっていただけないようですね。書いたことを後悔しています。

さむしろ

わたしがわたしなりの仮説を述べ、したり尾さんがしたり尾さんのお考えを述べられました。自論を述べ合った後、互いに疑問点を質しあうものと疑問点を書きました。ところがこのことが、したり尾さんに不快な思いをさせたようで大変残念です。わたしの仮説、したり尾さんの見解、他の方からは別の見解を聞いています。これら以外の見解もあるでしょう。いずれの説が正解か、それともまったく別の事実が明らかになるか、今段階ではわかりません。仮説を述べながら新たな疑問も生じています。この論争は一応終わりとして、資料の収集、整理、検討をしたいと思います。ありがとうございました。

したり尾

私もさむしろさんの言われるとおり、きちんとお互いの問題点も、自分の意見の足りない分も、この先議論していこうと思って楽しみにしておりました。それには、それぞれの意見を間違えないように読み込んでいくことが必要です。しかし、誠に残念ながら、私の発言していないことを指摘され、問題にされると何のために発言したのか分からなくなります。例えば、私が「織部様式の作家たちが白紙の状態で長次郎茶碗に接した」ように理解されています。そのようなことは、全く発言しておりませんし、そのようなことは思ってもいませんでした。これは読んでいただいていないのかなと感じたのです。私はさむしろさんのご意見やお調べになったことにはその姿勢に率直に尊敬もし、敬意を表してきたつもりです。前回の私の発言の趣旨は、そういう気持ちを率直に述べたものです。これで議論もおしまいとは誠に残念です。

さむしろ

言い訳になりますが、画面上の書き込みを限られた状況のもとで読み返しながら書いています。(このことはお互い様のことです。)例にあげられた部分はNO1236の「多分白紙状態で・・・」の部分を指しておられると思いますが、わたしが(前後をあわせて)読み込んだものからそのように理解したものです。確か前にもありましたが、こちらの理解や解釈が間違ったときは「そこはそういう意味ではないよ」と言って下されば直ぐに訂正するのですが・・・、気付かずに迷惑をお掛けしました。同様にNO1237中の「後悔して」に、この論争を終ったほうがよいと感じました。しかしそうではなかったようです。議論の本旨以外で気を使うのは疲れます。ということで「長次郎楽茶碗」と「織部様式茶陶」の論争は一旦休憩しようと思いました。したり尾さんが、わたしの仮説への疑問やご自分の考えを述べ続けられることは何等問題ありません。

したり尾

さむしろさんのお気持ちはよく分かりました。不明を恥じるばかりです。さむしろんさんのお気持ちを深く傷つけてしまいました。幾つになっても無明地獄から逃れることはできないようです。これが私の業というものでしょう。心からお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。

マスター

「茶房 ものはら」の書き込みが1200を超えましたので一旦終了することにします。終了と同時に改装後の「茶房 ものはら」がスタートします。これまでのものは窯辺論談で「ものはらⅠ部」としてご覧いただけるようにする予定です。したり尾さん、さむしろさん引き続きよろしくお願いします。

したり尾

楽しみにしています。できれば椅子をもう少しだけ増やしていただけたら、余計いいのですが。できればでいいのですが、お願いします。