また、安倍さんは織部菊文茶碗の絵付けを見て、これは職人に描ける絵ではないと言っておられた。このことは織部菊文茶碗に限らず黒織部、志野の名品といわれるものについてもいえることのようである。
このことについては、絵師が茶碗を作ったというより絵付けを絵師に行わせたと考えたい。
これも美濃の一職人の仕事ではないと考える理由の一つである。
あのようなあか抜けたあるいは手馴れた絵の描けるのはやはり京の絵師ではないか、と光禅さんも以前から言っていた。
推測だが「織部菊文茶碗」も、その動向が東西対決の勝敗にかかわる戦国武将の手に渡ったと考えたい。
伝わっているのは、平瀬家、藤田家伝来である。